1-3 どこにバグがあると思う?

 月曜日の朝、結は名芝学園へと向かった。


 創立六十余年と、歴史はそれなりにある、中学から大学までを有する学園である。

 結が派遣されたのは高校だ。普段ならば、築年数の経ったコンクリートに生徒達の声がこだましているのだろうが、今は夏休みに入ったとあって、部活動にやってきた生徒達しかいない。


「本日より夏休みの間、全校のコンピュータのメンテナンスを行います、『IMワークス』の金谷かなやです。作業工程によっては先生方がお使いのパソコンも触らせていただくかもしれませんので少しご不便をおかけしてしまうかもしれませんが、よろしくお願いいたします」


 朝の職員会議の場で結は教職員の前で挨拶をする。


 金谷とは、潜入捜査の時に使う結の偽名のひとつだ。

 潜入するにあたっては、偽名だけでなく変装も施している。今回は友人知人などは関わらないであろう、ということで簡易なものではあるが。

 一八〇センチを少し超える、諜報員としては高身長である結は、平凡な顔に一つのアクセント、というコンセプトで変装をしている。今回はあごに少し大きめのつけぼくろをしている。


 挨拶をして軽く頭を下げ、視線をあげた時にざっと見る限り、不満や不安を表情に出している教職員は見当たらない。

 もしも不正があるなら、パソコンに何らかのデータを保存する可能性が高い。メンテナンスをするとなるとそのデータの存在が知られてしまうかもしれない、という危機感をあらわにする人がいるかもしれないと思っていたが、あてが外れた。


 いや、不正はないのかもしれないのだ。この中に犯罪に加担している者がいるかもしれないが、いないかもしれない、ということを忘れてはならない。


 表向きの名目であるパソコンのメンテナンスを行いながら、結は捜査行程を組み立てる。


 まずはローカルネットワーク上に犯罪の証拠などがないかをチェックする。次に個人で使用するパソコンの内部チェック。これは教職員だけでなく、学生が使うものも含まれる。

 犯罪によほど慣れている、あるいは初犯だとしてもとても頭の回転のいい者でもない限り、どこかに証拠は残っているだろうと踏んでいる。

 さらに、物質的な証拠がなくとも、すねに傷持つ者は自分の机に近づかれ、PCを触られることに不快感を示したり挙動が少し怪しくなったりするものである。そういった変化を見つけられれば、その人物に絞って捜査ができる。


 結の見積もりでは、全パソコンのチェックに七月いっぱいはかかるはずだ。もっと踏み込んだ捜索は八月に入ってからということになる。進捗状況によっては課員にヘルプを頼んでもいい。


 そうと決まれば、と結は早速仕事に取り掛かった。




 結が名芝高校に派遣されてから十日近くが過ぎ、八月に入った。

 章彦達のヘルプをもらいながらコンピュータをくまなく調べ、学内の様子も把握していく。


 教師と生徒は比較的親密である。今の時期に学校に来るのが部活動に積極的に参加している生徒であるという点を差し引いてもフレンドリーである。

 かといって、だらけた感じでもない。偏差値がそれなりに高く、また保護者は比較的裕福だそうなので、そのあたりのけじめはきっちりとつけられる生徒が多いように見受けられる。


 もちろん、隠れて喫煙するなど一部例外も、しっかりと存在しているのだが。


「そろそろ学内のメンテが一通り終わりそうだけど、君の目から見て、どうかな」

 昼休憩で学校のそばの和食店を訪れた結が、向かいに座る章彦に話しかける。

「定期メンテは順調ですね、ただ、緊急メンテの方は再構築が必要かと思います」

 そろそろ内偵に本腰を入れた方がいい、ということだ。結はそうだなとうなずく。

「どこにがあると思う?」

「三年の学年主任辺りでしょうか」

「そうか。君もそう感じるなら、そちらで進めてもいいかな。あとは事務員の坂本さんのところも、と俺は思ってる」


 現時点で犯罪につながる物証はないが、二人とも、どことなくそわそわしているように感じるのだ。


「それにしても。仕事と言っても高校というところに久しぶりに来て生徒とかを見ていると、自分の高校時代を思い出すよ」

 あまり外で内偵の話をするのも、と思い、結は話題を切り替えた。

金谷かなやさんの高校時代ってどんな感じだったんですか?」

「ん? 陸上部に入っていて、何かと走ってたな。あの頃はこの職に就くとは思ってなかったっけ」

「そうなんですか? じゃあ、いつ決めたんですか?」

「受験でどこの大学を受けるか、って時だな」

「意外でした。もっと早くから決めていたかと思いました」


 結の父も諜報員である。現在でも「IMワークス」で務めており、諜報部の事実上最高権力を握っている。つまり結の上司にあたる。


 結が父の本業を知ったのが、高校二年生の秋だった。

 父は結が同業に就くことはないと思っていて、結が大学に入ったら打ち明けようと思っていたそうだ。

 だが些細なことから父の本業を多感な時期に不本意に知ってしまい、結は一時期、精神的に荒れてしまった。

 なので父は予定を早め、彼の生い立ちや、なぜ諜報界に属しているのかという話をした。


 父がやむなく裏稼業に就いたことを、その境遇に腐ることなく実力を身につけ、家族を必死に守ってきたことを知り、悩んだ結果、結は父と同じ職に就く決意をした。それが高校三年の夏であった。


「まぁ、いろいろと考えるところはあったけれどね。……君は? 高校生の頃はどんな生活?」

「俺は何とか授業に遅れないように必死だったから、あまり楽しい記憶はないですね」


 あぁそうだったな、と結は相槌を打つ。

 章彦はアメリカのロサンゼルスで育ち、スキップ制を利用して十五歳で高等教育を修了している。さぞかし大変だっただろう。


「日本とアメリカの高校って、やっぱりすごく印象が違う感じ?」

「そうですね。アメリカの方が卒業する時が大変なので、特に卒業年次生の雰囲気は全然違うと思います」


 確かに、名芝高校でも部活を引退した三年生が後輩の様子を見に来ていたりと、受験生なのにわりとのんきな感じがする。パソコンルームにも受験勉強と称して遊びに来ている生徒も見かける。そういった生徒達は、内部進学がほぼ確定なのかもしれないのだが。


 そうだ、と結は思いついた。生徒間のネットワークももう少し調べてみよう、と。


 中学から内部進学してきた生徒だと五年半近くこの学園で過ごしてきているのだ。ぱっと来て調査しているだけの自分達より教師のことをよく観察しているはずだ。彼らの目から見た教師達を探れば、違った視点からの情報がつかめるかもしれない。


 章彦には教員のパソコンのを引き続き行ってもらい、結はパソコンルームの準備室にこもることにした。




 目にする情報は多ければいいというものではない。

 結は改めて痛感していた。


 巨大掲示板を検索すれば、たやすく名芝高校に関する書き込みは見つけられる。

 いわく、理科の先生の問題が難しすぎて悪意を感じる、とか、国語の先生があからさまにひいきしている、とか。

 もちろん、そういった情報の中から教師の普段の言動をつかみ、それが捜査の役に立つこともあるかもしれないので、一応しっかりと読むのだが、何せ十代の若者が奔放に書き散らした愚痴がほとんどで、辟易してくる。


 そういえば、自分達もそうだったな、とも思う。

 今のようにこうやって公共の場に書きこむシステムがなかっただけで、仲間内では教員の悪口やテストの愚痴などは遠慮なくやりとりしていたものだ。


 数時間、気がつけば夕方まで広大なインターネットをさまよって得たのは、やはり三年生の学年主任、森教諭は生徒の目から見ても怪しいところがある、ということだ。

 特に女子から「三年の学年主任ってなんかキモくない?」「Mでしょ?」「だよねー」などと書きこまれていることが多かった。


 結が覚えている限りでは、森はさほど気持ち悪いというような雰囲気ではないが、高校生女子の書き込みは、まるで天敵扱いだ。


 女子をいやらしい目つきで見ている、というのがその主な理由だ。

 森の担当科目は社会で、女子バレーボール部の顧問をしているが、特に部活動の時間に、ふとそのような顔を見せることがある、と言うのだ。


 社会のテストが難しくてあまり点数が取れなかった生徒や、バレーボール部でレギュラーの座につけなかった生徒の逆恨み、と取れる部分もあるが、そういったところとは関係のない生徒の書き込みもあることからして、少し掘り下げて調べてもいいと思われる情報だ。


 そろそろ章彦と合流して、それぞれの進捗状況を確認しよう、と考えながら、結は閲覧履歴を削除し、準備室を後にする。


「ねぇ、ちょっと」


 唐突に、職員室へと向かう結の後ろから声がした。

 振り返ると、夕暮れの廊下に、嫌に落ち着いた雰囲気の女子生徒が立っていた。

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