ROUND1 深部への入り口

新たな任務

1-1 本物の極めし者から見て

「結局最後はこうなるな」

 むっとする夏の空気を大きく吸い込み、結は小さく毒づいた。


 彼の目の前、三メートルほど先には容疑者の男。もう後がない焦燥感に顔をゆがめながら結を睨みつけてくる。


 犯罪の証拠集めをひっそりと行うのが諜報員の仕事だ。その後の、容疑者の逮捕は警察に任せるが、捜査の成り行き上、諜報員がそのまま容疑者確保に手を貸すことも少なくない。

 この世界に属してもうすぐ七年半になる結も、幾度もそういった状況に出くわしている。今もそうだ。


「逃げても無駄です。抵抗せずに警察に出頭する方が貴方にとっては利がありますよ」

 無駄な説得かもしれないが、と思いつつも結は男に告げる。

「うるさい! そんな業務的に言われて、はいそうですかって従うと思ってんのか」


 それなら感情に訴えれば従うのか? と思わず切り返したくなったが、不毛なのでやめておく。


「そうですか。それならば、少々強硬に拘束いたします」

「やれるもんならやってみやがれ、背ばっかり高い優男にできるかよ」


 男は吠えながら結に突きかかってきた。


 確かに、結は身長が高い割に見た目はさほど肉体派ではないし強面でもない。だがきっと男が思っているよりは、弱くはない。


 顔や腹を狙って次々と拳が突き出される。

 そららをかわし、いなしていく。

 数度動きを見ただけで、大体の攻撃パターンはつかめてきた。次に突っ込んできたら投げから押さえこんで拘束しようか、と考えた。


 が、男は結の予想外の行動に出た。

 こんな相手は殴り倒して逃げられる、と見込んでいたのだろう。追い詰められた容疑者は己の判断の甘さを目の前の追跡者への怒りに変え、罵りの言葉を叫ぶ。

 よせばいいのに、男は小型のナイフを取り出した。更に罪を上乗せだ。


「殴りかかるだけにしておけばいいものを」

 思わず思考が口をついて出た。


 馬鹿にされたと取ったのか、男はさらに怒りを募らせた顔で得物を振るう。

 いくら攻撃パターンが単調だとはいえ、刃物を振り回されては慎重にならざるを得ない。結はじりじりと後ろに下がりながらも相手の決定的な隙を待つ。


 動きを見定めんとする鋭い視線が、男の焦燥のそれと交わる。

 一瞬、男がひるんだ。


 結はそのチャンスを逃さず、大きく踏み込み、ナイフを握る右手を手刀で外へと弾いた。

 短い悲鳴を上げた犯罪者の手からナイフがぽろりと離れ、地面に落ちる。

 再び男に拾われないようにと凶器を蹴り飛ばす。これで拘束が楽になるだろう、と思われた。


「くっそ、この野郎、ぶっ殺す!」


 激昂した無頼漢がズボンのポケットをいらだたしげにまさぐり、何かをつかんで手を引き抜いてそのまま口へと運んだ。


 また武器を出すのかと警戒していた結だったが、相手の動きを見て、しまったなと息をつく。


 男の体からゆらりと深緑色のオーラが立ち上る。

 極めし者を知らない者がこれを見れば十中八九、特撮か? と口をポカンと開けることだろう。男はそんな反応を期待していたようだ。得意げにニヤつきながら拳を握った。


 男はうっとうしい追跡者を一撃で打ち倒すと自信満々だったことだろう。

 だが結はあっさりと相手の拳を見切り、顔をわずかに傾けるだけでかわした。

 常人では考えられないスピードで放たれた決定打を、だ。


 結の体からも深いあおのオーラが噴き出している。極めし者が扱う、ゆるぎない闘気とうきだ。


 犯罪者は一瞬で負けを悟ったのか、口をわななかせている。

 絶望を貼りつかせた顔で、それでも最後の抵抗とばかりに男は猛攻に出てきた。

 しかし、ただ振りまわすだけになった手や足が結を捉えることはなかった。


 ひときわ大ぶりの突きに、結は反撃に転じる。

 男の伸び切った腕をつかむと同時に足を引っ掛け、勢いを利用して投げを打つ。

 うめき声をあげながら悶える男を見下ろしながら、結は携帯電話を取り出し、懇意にしている警部補に容疑者確保を伝えた。




 容疑者を警察に引き渡し、結は勤務先、「IMワークス大阪支社」に戻った。

 ビジネス街に建つビルの一つに足を進め、社員用の入り口で警備員に会釈をして中に入って行く。


 IMワークスはアメリカに本社を置く、日本最大手のITエンジニア派遣会社だ。

 諜報部は社内の一部署にひっそりと存在する。当然のことながら、ほとんどの社員は自社は普通の企業だと信じて疑っていない。


 三階の「システム開発部第三課」が諜報部だ。


「ただいま戻りました」

「お疲れ様、青井君」

「青井さん、お疲れ様です」


 課内にいたのは結の上司、西村と、後輩の黒崎章彦くろさきあきひこだけだった。


「他の人達は?」

「昼休憩です」


 なるほどもうそんな時間か、と納得した。


「西村さん、報告よろしいですか」

「あぁ。会議室に行こうか」


 西村と共に向かったのは隣の小会議室だ。防音設備が整っており、ドアをしっかりと閉めると密室となる。普段はその名の通り会議に使われる部屋だが、諜報部は任務の伝達や捜査の進捗の報告に使用する。

 ロの字型に置かれた机の一角に並んで座ると、早速結は容疑者確保の経緯を西村に報告した。


「――ということで、無事、警察に身柄を引き渡しました。今回の件はこれで終了です、が」

「が?」

「被疑者が使用していたクスリが気になります。最近よく犯罪者達が使用するようになってきたものだと思います」

「一時的に極めし者と同等の力を得るクスリ、か」


 西村がうーんと唸った。


「本物の極めし者から見て、とても危険なものなのか?」


 問われて、結は軽く首をひねる。


「今はそれほどでもありません。しかしこれがもっと改良されていく可能性は高いです。現に、偶然に出来あがったであろうほんの一部のものは、瞬間的にかなりレベルの高い極めし者に匹敵するほどの力を得ることができています。それがもし意図的に作り出せるようになれば――」

「非極めし者の捜査関係者が被疑者を確保することが出来なくなる、ということか」


 結は西村の言葉に、はい、とうなずいた。


「薬品の開発など一朝一夕にどうなるものでもないでしょうから、今は心に留めておいて、暴力団やその繋がりをチェックする、という感じでいいと思うのですが、軽視はできないと思います」

「判った。警察の方とも連携を密にしよう」


 お願いします、と頭を下げながら、異能を簡単に手に入れようとする輩に結は嫌悪を覚えた。


 極めし者。格闘を極め、体のうちに宿る気――闘気を自在に操ることができるようになった者をこう呼ぶ。

 彼らは俊敏さ、頑強さに秀で、常人ではなしえないわざをなす。


 結は、大学生の頃に闘気を習得した。諜報組織に属することを決意し、危険な世界で生き残るすべを手に入れようと学んだのだ。習得まで一年近くかかった。ごく平均的な期間で会得できたことにほっとしたのを思い出す。


 極めし者を目指す者が必ずしも闘気を操ることができるようになるわけではない。数年かけてもついに呼吸法を習得できずに涙をのむ者もいる。

 それを知るからこそ、麻薬に近い危険な薬品で安易に力を得ようとする犯罪者に辟易する。


「さて、仕事を終えてすぐで申し訳ないが、次の任務の話をしてもいいかな」

 西村の声に、結は「はい」と返事をする。

「来週から、『名芝なしば学園』に行ってもらいたい」


 名芝学園は大阪の西部にある中学から大学まで揃った学園だ。その高校の運営資金に不透明な点があるので内偵してもらいたい、と警察から依頼が来たそうだ。

 期間は夏休みにあたる来週から八月末までで、運営資金の流れに犯罪性があればその証拠を、無実であるならその根拠を示すことが結の任務だ。

 派遣期間は夏休みの間のみで延長はない。ひと月半の間に何らかの結果を出さねばならない。


「承りました」


 結が応えると西村は「よろしく頼むよ」と言って立ち上がった。

 二人は会議室を出て、システム開発部第三課に戻る。

 その頃には他の課員がちらほらと戻って来ていた。


「青井君、黒崎君も、休憩行ってきてくれ」

 西村に促されて、結と章彦は連れ立って休憩をとることになった。

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