第41話 正々堂々と勝負です!

「……と、いう訳なんだけど、それで参考までに美人な姉を持つ稲葉に聞きたいんだが、風呂の残り湯って……」

「常識的に考えて、残り湯は残り湯だろ……」

 ドン引きした様子で稲葉が答える。


 バレンタイン当日の夕方、大学が終ってすばるの格好に着替えた俺は、しずくちゃんが来る予定よりも早い時間に稲葉の家に行き、その日の打ち合わせがてら、先日出来事を話していた。


「あ、でも雨莉の場合は……」

「お、なんだ?」

 言いかけて稲葉が黙るので、気になって俺は尋ねてみる。


「雨莉の時はどうだったか思い返してみたんだけど、考えてみれば当然のように姉ちゃんが一緒に風呂に入ろうって誘って入ってたな」


「えーと、それは付き合った後の話か?」

「いや、雨莉が引越しの挨拶に来た日になんやかんやで一緒に夕食を食べた後姉ちゃんが……」

「美咲さん手を出すの早すぎないか……?」


 引越しの挨拶をしに行ってその日にとか、展開速すぎだろ。

 しかし、稲葉や雨莉の話によると美咲さんと雨莉がくっ付いたのは稲葉が高校三年の頃なので、それからしばらく色々あったようだ。


「一応、変な事はしてないらしいけど……姉ちゃんは好みのタイプがいると、とりあえずアプローチかけたり同性である事を利用して色々接触しようとする人間だから……」


「うわあ……」

 知ってはいたけど、思った以上に美咲さんが肉食系だった。


「姉ちゃんは女が好きっていうの昔から家族にはオープンにしてたから、子供の頃、俺が妹だった方が良かったんじゃないかって聞いたことがあるんだ。そしたら……」


「そしたら?」

 どこか遠くを見るような目で、稲葉は昔の事を語りだす。


「妹だったら確実に道を踏み外してたから弟で良かったって言われた」

「それは……」

 色々と容易に想像がつき過ぎてヤバイ。


「当時は子供だったから意味はよくわからなかったけど、今になって思うと、ホント俺、男に生まれてきて良かった……」

 しみじみと噛み締めるように稲葉が言う。


「なんというか……良かったな……?」

「全くだよ!」

 力強い稲葉の言葉に、今ばかりは俺も頷かずにはいられなかった。


「ほんと稲葉の周りの女性陣は恐ろしいな」

「最近は結構、将晴とも被ってるけどな……まさかお前がかすみと付き合いだすとは思わなかったし……」

「なあ、そのかすみの事でちょっと相談したい事があるんだけど……」


 俺がそう口にした直後、インターフォンの呼び鈴が鳴った。

 しずくちゃんだった。


「悪いな、その話は後で聞くよ。とりあえず、打ち合わせ通りに頼む」

「おう。任せとけ!」

 ドアのロックを解除した後、バツの悪そうな顔で稲葉が言うので、とりあえず俺は元気に答えておいた。


「こんにちわ! 去年は少し過激な方法をとってしまいましたが、今年は正々堂々と勝負です!」

「いらっしゃいしずくちゃん」


 玄関のドアを開ければ、元気良くしずくちゃんが宣戦布告してくるが、これはもう挨拶のようなものなので、笑顔で俺は招き入れる。

 後ろで稲葉がなんとも言えないような顔をしているが気にしない。


「コレはお兄ちゃんの分。そしてこっちはすばるさんの分です」

 リビングに着くと、早速しずくちゃんは稲葉へと可愛らしい箱を差し出したのだが、俺にも赤い小さな紙袋を差し出してきた。


「私にもいいの?」

「すばるさんにはお世話になってますからね。もちろん本命はお兄ちゃんだけですけどね!」


 俺が尋ねると、ちょっと照れたようにしずくちゃんが頷く。

「ふふふ、ありがとうしずくちゃん。私もしずくちゃんにチョコレートブラウニーを作ったから、良かったら食べてね」


 なんだかちょっと嬉しくなりつつ、俺はしずくちゃん用に作ってきたお菓子を差し出す。

 一応用意してはみたものの、貰ってくれるかはわからなかったのだが、この様子なら大丈夫だろう。


「ぐっ……さすがすばるさん……やりますね!」

「そんな大げさな」


 しかし、お菓子の包みは受け取ってもらえたものの、なぜかしずくちゃんにはダメージを受けたかのような反応をされてしまった。


「でも! 私にはまだコレがあります!」

 そう言ってしずくちゃんはテーブルの上に置いた稲葉へのプレゼントらしいその箱を開ける。


 中から出て来たのは、それはそれは美しいチョコレートケーキだった。

 光沢のある表面に、立体的なチョコレートの飾りやレースのような形の砂糖菓子があしらわれたそれは、もはや芸術品のようだった。


「我が家のお抱えパティシエが試行錯誤を重ねて生み出した、最高のチョコレートケーキです!」

「わぁ! 綺麗……!」

「おお……これはすごい……」


 そのあまりの美しさに、思わず俺も稲葉も感嘆の声を上げてしまう。

「さあお兄ちゃん、早く食べてみて!」

 目を輝かせながらしずくちゃんが稲葉に迫る。


 俺は台所からフォークを取り出して稲葉に渡す。

 稲葉はそれを受け取りながら俺に礼を言うと、ケーキを一口食べてみる。


「うまい……」

「でしょう? 試作品の段階でも、コレが特に美味しくて!」

 思わず、といった様子で稲葉がポツリと呟けば、そうだろうそうだろうとしずくちゃんが頷く。


「いいなー美味しそう……」

 あんまり美味しそうなので思わず願望が口から漏れてしまった。


「すばるも食うか?」

 それを聞いた稲葉は俺にも食べてみるかと聞いてくる。


「え、いやでもコレはしずくちゃんが稲葉に贈った物だし……」

「構いませんよ。味には自信がありますから!」


 俺が躊躇うと、しずくちゃんが胸を張って大丈夫だと言う。

「じゃあほれ」


 早速稲葉がケーキを一口大に切ってフォークに乗せてさしだしてくるので、俺はジュースを回し飲みするような感覚でそれに口を付ける。


「あーん……何これ! すごく美味しい!」

「だろ?」


 すごく美味しい。

 口の中に豊かなチョコレートの風味とくどすぎない甘さが広がって、クリームの中のざらめだろうか? じゃりじゃりとした食感がまた違う味わいを届けてくれる。

 すっきりした後味だけれど、もう一口欲しくなるような後引く味だ。


 やはりプロの仕事は違うな。

 とちょっと感動しつつ、ケーキの飾りにも目を向ける。


「立体の飾りつけもすごく綺麗だよね……デコペンで応用できるかも……」

 そういえば、前にクッキングシートの上にデコペンで模様を描いて冷やして固めたという手作りケーキの飾りをネットで見かけた気がする。


 後で色々調べてみるのもいいかもしれない。

 そんな事を考えていると、稲葉から声がかかる。

「そういえば、すばるの方もケーキなんだっけ」


「うん。でも二個いっぺんに食べるのはきついだろうし、明日でいいよ。朝食のデザートにでもして?」

「そうだな、そうするよ」

 俺の言葉に稲葉は頷く。


「す、すばるさんはそれでいいんですか!? だってこれはバレンタインチョコなんですよ?」

 すると、焦ったようにしずくちゃんが言ってきた。


「でも、一応今日中に渡せたし、この後夕食もあるから、今あんまり食べられてもね」

「そ、そうです! 夕食をどこで食べるかはもう決まってますか? まだなら……」

「あ、大丈夫。私作るから」


 恐らく、どこか高級な店に俺達を連れ出したいのだろうしずくちゃんに、俺は笑顔で待ったをかける。

「え」


 きょとんとしたようにしずくちゃんは固まるが、ここは稲葉との打ち合わせ通り、すばるの手料理を振舞って、高級料理店に連れて行くより、家で普通の料理を作った方が喜ぶ稲葉を見せて、稲葉の嗜好をそれとなく教える事にしようと思う。


「しずくちゃんは食べた事ないだろうけど、すばるの料理はうまいんだ」

「まあ、そんな特別な料理は作れないけどね~」

「そこがいいんだよ」


 照れたように俺が謙遜すれば、稲葉がここぞとばかりに褒めてくる。

「お、お兄ちゃんがそこまで言うのなら、ちょっと食べてみたいです……」

 しずくちゃんも、興味を持ってくれたようなので、早速俺は料理へと取り掛かる。


「何か手伝う事はありますか?」

「じゃあ、にんじんとごぼうをそれぞれ皮を剥いて細切りにしてもらおうかな。あ、ごぼうは切り終わったら水にさらしてね」


 エプロンをつけて俺が手を洗っているとしずくちゃんがソワソワした様子で聞いてきたので、俺が指示をすると、しずくちゃんは笑顔で頷いた。

「わかりました!」


 稲葉にはは以前など料理以外の諸々の雑事をしてもらい、その間に俺としずくちゃんは夕食を作ってしまう事にする。


 そうして俺が作ったのは白ご飯にごぼうとにんじんのきんぴら、鶏肉のあんかけ、海藻サラダ、味噌汁という、特別豪華でもなんでもない一般的な家庭料理だった。


「豪華な料理もたまになら良いけど、やっぱり毎日食べたいのはこういう味だよなあ」

「ふふ、ありがと」

 夕食を食べながら、しみじみと稲葉は言う。


「お兄ちゃんは、こういう料理が好きなの?」

「ああ、こういう普通の家庭料理を美味しく作れるのって、それだけで十分すごいと思うよ。俺は普段自炊とかほとんどしないから、店で食べる料理よりこういう味の方がグッとくるよ」


「……お兄ちゃんは、プロの作った料理と、素人の料理だと、どっちが美味しいと思う?」

 しずくちゃんの問いに稲葉が答えると、どこかムッとしたような様子で更にしずくちゃんは聞き返してきた。


「うーん、コレは俺の好みだけど、プロの料理とか素人の料理とかは置いといて、美味しい手料理を作れる女の子って、それだけですげー魅力的だと思うな」


 稲葉が俺を見てこれ見よがしに言うので、俺もそれに乗ってやる事にする。

「いーくんったらそんなに褒めても何にもでないんだからねっ」

「既に美味しい手料理が出てきてるから何も問題は無いな」

「もうっ、またそんな事言って~」


 言いながら俺は隣に座る稲葉の腕をぺちぺちと軽く叩く。

「わ、私だって今に美味しい料理をさくさく作れるようになるんですからね!」

 直後、しずくちゃんが張り合うように言ってきたので、作戦成功だと俺は心の中でほくそ笑んだ。


「そっか、じゃあその時は私にも食べさせてね」

「のぞむところです!」

 しずくちゃんのこういう素直な所は可愛いんだけどなあ……と、俺は心の中で思った。

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