第38話 お風呂に入ろう

 金曜日の夕方、約束の時間ピッタリに優司と優奈はやって来た。

 リビングに二人を通し、荷物を適当に置くように言いながら、コートを受け取ってハンガーにかけて手近な場所に吊るす。


「お兄ちゃん、はい。これ私からのチョコ!」

「これ、僕から……」

 優奈はソワソワした様子で、優司は気恥ずかしそうにそれぞれに手に持って来た小さな紙袋を差し出してきた。


「二人共ありがとう。俺からのはもう作ってあるからちょっと座って待っててくれ」

 紙袋を受け取って一旦テーブルに置くと、俺は冷蔵庫の方へと向かった。

 冷蔵庫から二つの皿を取り出して俺は二人の元に向かう。


「えっ、コレお兄ちゃんが作ったの!?」

「店で売ってるケーキみたい……」

 優奈と優司は口々に俺の作ったザッハトルテを褒めてくれて、スマホで撮影までし始めた。


 ザッハトルテに優司の分には白、優奈分にはピンクのデコペンでワンポイントの模様を描き、無糖のホイップクリームを添えたのだが、どうやら気に入ってもらえたようだ。


「味もすごく美味しい!」

「へへへ……そんなに褒められるとなんか照れるな」

 早速ザッハトルテを一口食べた優奈は、その後も少し食べるたびに随分と褒めてくれてくるので、だんだん恥ずかしくなってくる。


「これ、僕達のために作ってくれたんだよね」

「当たり前だろ?」

「ありがとう。嬉しい……」


 優司は静かに半分位食べた後、優奈が落ち着いたタイミングで声をかけてきた。

 あんまりにも優司が幸せに笑うものだから、釣られて俺まで笑顔になってしまう。


 その後は俺も二人のチョコレートを食べたり、一応パーティーという事だったので用意していたそれっぽい軽食を三人でつまみながら他愛も無い話をした。


 ちなみに優奈のくれたチョコレートは茶色だけじゃなくて赤や白、ピンクなど色とりどりの可愛らしいチョコレートのアソート、優司がくれたのは生チョコのトリュフで、なんとなくそれぞれの性格が出ているような気がする。


 食事も終って一段落した頃、食後のお茶を飲みながらふと思い出したように優司が言った。

「それにしても兄さん、このマンションって、結構高そうだけど事務所の寮か何か?」


「いや、寮というか、この部屋の持ち主から個人的に借りてる」

 食後の気だるさもあって特に深く考えず素直に俺は答えた。


「個人的に!? えっと、その人に家賃払ってとか、そういう事?」

「金は払ってないな。身体で払ってはいるけど」


 戸惑ったように尋ねてくる優奈に、稲葉の恋人のフリやしずくちゃん関係事をどう伝えたものか悩んだ俺は、特定に繋がるような答えは避けて、答えもある程度ぼかす事にした。


「か、身体!?」

「ああいや違う、別にそういう意味じゃない。これは恋人の真似事をする見返りというか……」

 しかし、そのせいで優奈に妙な誤解が生まれてしまったようなので、俺はもう少し事情を話して説明する。


「それってつまり……愛人契約……?」

「いや違うから」


 優司が神妙な顔でとんでもない単語を口にする。

 おかしい、余計に変な事になっている。

 そんな問答を俺と優司でしばらく続けていると、優奈がチラチラと時計を見ながらソワソワしだした。


 どうしたのかと尋ねたら、

「そろそろお風呂の時間だよね! さっき見たけどここのお風呂結構広いし、私とお兄ちゃんくらいなら余裕だよね!」

 と、目を輝かせて言ってくる。


「時間短縮のために一緒に入るのはいいと思うけど、ここは性別で分けるべきだと思う」

「何言ってるのよ、優司と一緒に入ったらお兄ちゃんの貞操が危ないわ!」

「むしろ危険なのは優奈だと思う」


 直後、優司と優奈がどっちが俺と風呂に入るかで揉めだしたが、そもそも三人くらいなら普通に順番に入ればいいと思う。


「あ、俺はもう入ったからお構いなく」

 というか、俺は既に風呂に入っているのでそんな心配はないのだけれど。


「えっ……」

「なんで!?」

 優司と優奈がショックを受けたように俺を見る。


「いや、早めに準備終って時間余ったから先に入っちゃおうかと思って……」

 というのは半分本当で半分嘘だ。


 今日は授業も昼過ぎまでしかなかったので、干していた布団を取り込んだり部屋の掃除やチョコレートや料理の準備をしても時間が余ったのは本当だ。


 だけど、この前実家に帰った時に風呂から上がったら脱衣所の外でなにやら優司と優奈が言い争っていたので万が一、二人が一緒に入るだなんだと言い出した時のために対策を打っておいたのである。


 当然、優奈と風呂に入るのは色々問題がある。

 しかし、優司とも公衆浴場で他に人がいる状態なら大丈夫だろうが、密室に二人で風呂というのは、色々問題があるというか、何かあった時にこの体格差ではどうしようもないのでできれば避けたい。


「……じゃあ僕、先にお風呂入ってくるね」

「待ちなさい優司、ここは年功序列でしょう……?」

 しばしの沈黙の後、風呂に向かおうとした優司の腕を優奈が掴んで止める。


「生まれたの一時間も変わらないじゃないか」

「いいじゃない、私は今ものすごくお風呂に入りたいの!」

 優司が振り向いて文句を言えば、なぜか優奈は猛烈に自分が先に風呂に入るのだと抗議する。


「まあまあ、優奈は兄さんと二人で楽しく話してたらいいじゃないか」

「それは後でもできるわ、それよりも今しかできない事がそこにあるのよ……!」

「「…………」」

 力強く優奈が宣言すると、二人の間に沈黙が流れる。


「わかった。じゃあここは公平にじゃんけんしよう」

「そうね……一発勝負でどっちが勝っても恨みっこ無しよ」

 そうして二人がじゃんけんをした結果、優司が勝った。


「じゃあ僕、行くから」

「ノー!! じゃあもうここは二人で入りましょうよ! 久しぶりに!!」

「じゃんけんの意味は? というか最後に一緒に入ったのって十年以上前なんだけど……」


 優奈は爽やかな笑顔を浮かべて風呂に向かおうとする優司の腰にしがみつきながら尚も食い下がる。

 一体何が二人をここまで駆り立てるのか。


「というか、なんで二人共そんなに順番にこだわってるの? 家だと特に気にしてなかったのに……」

「だってこの前はお父さんが一番風呂だったし……」


 訳がわからず尋ねてみれば、優奈がむくれたように答える。

「へ?」

 なぜ、ここで父さんが出てくるのか。


「うん、なんでもない。じゃあ僕お風呂入ってくるから」

「あ、まって私も行く!」

 優司は話を切ってそそくさと風呂場に向かってしまったし、優奈もそれを追いかけていく。


「……うん?」

 そして一人部屋に取り残されて、ふとある事に気づく。


 今の風呂と、前回の実家の実家の風呂の違い……風呂の順番……父さんが一番風呂……風呂の残り湯……。


 …………俺はこれ以上深く考えるのは辞める事にした。

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