第6章 女子力の敗北

第36話 わからない

 それは来週にバレンタインが迫った二月の初めの事だった。

 いつものように中島かすみがすばるの部屋に泊まりに来た夜。


「ご馳走さまだにゃん。今日のご飯も美味しかったにゃん! 将晴、今度の……それはなんだにゃん?」

「デザート作ってみたんだ」


 夕食後、俺はデザートにと作っておいたプリンを二つ、冷蔵庫から取り出した。

「最近またお菓子作りが楽しくなってきちゃってさ、ついつい色々作っちゃうんだけど、やっぱり誰かと食べるのが一番美味しいよな」


 中島かすみはしばらく無言で俺を見つめた後、決まり悪そうに笑って俺からプリンを受け取って静かに食べ始めた。

 プリンは好物だったはずなのに反応が薄い。


「あんまり美味しくなかった?」

「……すごく美味しいにゃん」

 俺が尋ねれば、中島かすみは静かに首を横に振る。


 最近、こういう事がよくある。

 何かの拍子に、中島かすみが落ち込んだように元気がなくなるのだけれど、俺にはその理由がわからない。


 それを指摘すればすぐになんでもないといつものように振舞うのだけれど、それも空元気というか、どこか無理しているような気がする。


 中島かすみに何か気に入らない事があるのかと聞いてみても、

「将晴は別に悪くないにゃん……」

 と、返される。


 しかし、途中まではいつも通りだったのに、俺と二人でいる時に限っていつも突然そうなるのだから、多分俺に何かしらの原因があるのだと思う。

 もしかしたら、俺が知らない間に中島かすみが嫌がるような事をしてしまっているのかもしれない。


「明日から一週間地方ロケに行く事になったからバレンタインは一緒に過ごせないにゃん」

 翌朝、朝食を食べている時に中島かすみが言った。


「ああ、前に言ってたな」

 俺は中島かすみの言葉に頷く。

 先月その事を聞かされた時は少しがっかりしたけれど、仕事ならば仕方ない。


「……バレンタインは一緒に過ごせないにゃん」

 しばらく間を置いて、不満そうに中島かすみが言う。

 どうやらバレンタイン当日一緒にいられない事について気にしているらしい。


 だから、俺はなるべく明るく気にしてないと中島かすみに言った。

「仕事じゃ仕方ないさ。とびっきり美味しいザッハトルテ作っとくから、帰ってきたら一緒に食べような」


 去年、一通りチョコレート菓子を作り尽くした俺の今年のバレンタインの目標は、見た目や味のクオリティを追求した俺なりの最高のザッハトルテを作る事だ。

 ちなみに、なぜザッハトルテなのかといえば、去年、しずくちゃんが稲葉に用意したザッハトルテが美味しそうだったからだ。


 一応手作りという事になっていたが、あのクオリティは恐らくプロのパティシエに特注したのだと思う。

 表面をチョコレート入りの糖衣でコーティングされているザッハトルテの表面は滑らかでつるっとした仕上がりになるので、色々とデコりがいがありそうである。


「…………」

 しかし、中島かすみの反応はあまり芳しくなかった。

 不満そうに拗ねたような顔が、どこか寂しそうなものになったけれど、俺は何がいけなかったのか検討もつかない。


「……ごめん」

「なんで謝るにゃん?」

 咄嗟に謝罪の言葉が口から出た。

 中島かすみは怪訝そうな顔で俺を見る。


「わからないけど、何か、鰍の気に障るような事言ったみたいだったから」

「何か鰍の気に障るような事をした心当たりでもあるのかにゃん?」

 しどろもどもろになりながら俺が答えれば、どこか呆れたように中島かすみが聞いてくる。


「無いけど最近、俺といる時に鰍はよく落ち込んだような顔してるだろ?」

「してないにゃん」

 俺が言えば、中島かすみは拗ねたようにそっぽを向いてしまった。


「俺にはそう見えた。だから、何か嫌な事とか、改善して欲しい事とかがあるなら言って欲しいんだ」

「……将晴は何もわかってないにゃん」

 中島かすみはそう言うと静かに立ち上がって壁の時計を見た。


「そろそろ現場に向かわなきゃいけないから出るにゃん」

 そう言って中島かすみはいそいそと出かける準備をし始めた。

 対して俺は、何か怒らせるような事でも言ってしまったのだろうかと不安になる。


「それじゃあ、行ってくるにゃん」

 玄関で靴を履き終わってもう出かけるだけになった状態の中島かすみが振り返る。

 ニコニコと笑顔で言う彼女は、表面上はすっかりいつもの中島かすみだった。


 だけど、俺はずっとさっきの事が気になっていた。

 中島かすみが、何を考えているのかわからない。


 もしかしたら今、中島かすみがこうやってニコニコ笑っているのもこの場を上手く取り繕う為に笑っているだけなのかもしれない。

 そう思うと目の前の中島かすみの笑顔も、弾むような声も、全てが空々しいもののように思えた。


「将晴」

 俺が悶々と考えていると、中島かすみがちょいちょいと手を右手を動かして俺を招く。

 なんだろうと思って寄って行けば、中島かすみが俺に抱き付いてきた。


「しばらく会えないから充電しとくにゃん」

 密着した状態で俺を見上げながら中島かすみが言う。


「うん……」

 中島かすみを抱きしめ返す。

 いつもならこれだけで幸せな気分になれるはずなのに、今はなんだかそんな気分にはなれなかった。

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