第3話 とうがらしクレープにゃん!

 その日、俺は朝からご機嫌だった。

 前日から中島かすみとどこに行くか考え、一緒に朝食を食べ、服を選び、ヘアメイクをお互いに施し合い、昼食にするお弁当を二人で作って、それはもう弾むような気持ちで家を出た。


 十月の新宿御苑はあちこちに茂る青々とした緑とあちらこちらに咲く花が綺麗だった。

 都会の真ん中のはずなのに静かな雰囲気で、方々に滅多に見ないような高い木が立っている光景はどこか絵本の中に迷い込んだような気分になる。


 近くにある駅のアナウンスが聞こえてきたり、広い野原の奥に広がる木々の更に向こうに大きなビルが見えたりするけれど、それはそれでおもむきがある。

 俺は普段こんな大きな公園に来る事はあまり無いのだけれど、土曜日という事もあってか公園には結構沢山の人がいて意外だった。


「結構人が多いんだね~」

「バラが見ごろっていうのもあるけど、たぶんその内の何割かはタブモンが目的だにゃん」

 二人で園内を見て周りながらなんとなく俺が言えば、中島かすみが耳打ちするようにこそっと俺の耳元でささやく。


 中島かすみは今日家を出たときからずっと話しかける時はこうやって俺の耳元でこそっとしゃべる。

 鰆崎鰍のにゃん言葉は外では目立つので、今回は変装して出かけているということもあり、中島かすみなりの配慮のつもりなのだろう。


 そうやって中島かすみが俺の耳元で話すたびにかすかに吐息がかかったり、柔軟剤の香りがふわっと漂ってくる。

 今日中島かすみが着ているのは元々俺がすばるの服として着ている服なのだけれど、中島かすみからその嗅ぎ慣れた香りが漂ってくると、なぜだかドキドキする。


「タブモンって、タブモンGOの事?」

「新宿御苑は定期的にレアモンスターがいっぱい出るしタブスポットがそこかしこにあるから一時は人が押し寄せすぎて大変な事になったらしいにゃん」

「ああ、そういえばそんなニュース前に見たかも」


 タブレットモンスター、通称タブモンは石版にモンスターを封印して手懐てなづけ、戦わせたり捕獲したりする世界中で人気のゲームシリーズだ。

 中でも、タブモンGOは、今までのタブモンシリーズとは少し違う。


 GPSと連動させて現実の街を歩いて現れたモンスターを封印したり、ランドマークがタブスポットと呼ばれるアイテムを入手できる場所になっていたりする。

 現実とゲームが一体となる新しい形のゲームで、リリースされた直後は社会現象にもなった。


 俺はいざやろうとしたら自分のスマホが非対応機種で、すばるのは対応していたがスペックのせいか、やたら動作不良が酷かったので結局うんざりして辞めてしまったけれど。

 リリースされて結構立つが、まだタブモンGOの人気は根強いらしい。


 そんな事を話しつつ、俺達は公園の中を散策して昼食を食べる場所を探す。

 しばらく歩くと、青い芝生が大きく広がる場所に出た。

 入園した時に貰った地図によると、ここがイギリス風景式庭園らしい。


 新宿門から入ってここに来るまでにもいくつか開けた場所はあったけれど、ここが一番広いし、思った通り見晴らしが良い。

 辺りには俺達以外にも食事をしたり遊んだりしている人達が結構いた。

 柔らかい日差しと心地良い風を感じながら、早速俺達はシートを敷いて持ってきた弁当を広げる。


 この後はバラ園に行こう、いや、その前に温室を見に行こうなんて話しながら、とても長閑で平和な時間を過ごした。

 そう、背後から突然聞きなれた声が聞こえるまでは……。


「う~ん、この近所にいるはずなんだけどなあ……」

「あ、私の方モンスター来た」

「えぇ、また? なんでさっきからそっちばっかり入れ食い状態なの……」


 女の子二人の会話だが、不満を漏らしている方の声が、なんとなく聞き覚えがある気がして、チラッと後ろを振り返ってみた。


 優奈だった。


 5メートル位後ろで優奈が同級生と思われる女の子と親しげにキャッキャ言いながらスマホをいじっている。


 まずい、今の俺の格好は普段すばるの格好をしている時とは違う系統の服を着ているものの、顔見知りに至近距離で顔を見られたら別人とは言い切れないくらいにはすばるの面影が残っているのだ。


 とりあえず、隣でサンドイッチを食べている中島かすみに、すぐ後ろに妹がいると小声で教えれば、中島かすみは鞄からコンパクトを取り出して、背後を確認した。


「どっちが噂の優奈ちゃんだにゃん?」

「ツインテールの方だ。もう一人のサイドテールの方は友達なんだろうが、俺も知らない」

 それからしばらく俺達は声を潜めてこっそり二人を観察していたが、やがて二人はどこかに行ってしまった。


「別に鰍はバレても問題は無いと思うけど、何がダメなんだにゃん?」

「いや、ダメって訳じゃないけど、それだと変装した意味がないというか、なんというか……」

 不思議そうに中島かすみに尋ねられて、俺は言葉につまる。


 まさかこんな所で優奈に会うとは思ってなくて、咄嗟にコソコソしてしまったけれど、何が問題なのかと言われるとうまく説明できない。

「まあ、二人共ゲームに夢中だったみたいだから、別に普通してればまず気づかないと思うにゃん」

 そう言うと中島かすみはまた手に持っていたサンドウィッチを食べ始めた。


「例えばこんなデート中、もしファンに見つかったとしても、友達と遊んでるだけだって堂々と言えるのが鰍達の強みだにゃん」

 サンドウィッチを食べ終わった中島かすみが、俺の左手に彼女の右手を重ねながら言う。


「そんな事より、せっかくのお出かけデートなんだから今日はいっぱい楽しむにゃん」

「……うん!」

 眩しい笑顔を向けてくる中島かすみに俺も頷く。


 それから昼食を食べ終えた俺達は、温室や見ごろを迎えたバラ園、日本庭園等を見て回った。

 旧御涼亭きゅうごりょうていを見た後、坂を下りて橋を渡ろうとした時、俺はある人物達に気づいて足を止めた。


「鰍、他の道から行こう」

「どうしたにゃん?」

 こそっと中島かすみに耳打ちすれば、中島かすみが不思議そうに俺の方を見る。


「大学の知り合いがいる……」

 ちょうど橋を渡った所に、大学の知り合いである永澤厚と武村賢斗がいたのだ。

 橋の上で振り返って旧御涼亭を見るフリで二人に背をそむけながら言えば、再びコンパクトを出して中島かすみが前髪を直すフリをしながら背後を窺う。


「誰だにゃん?」

「あそこの、立ち止まってスマホいじってる、金髪と、ジャケット着た眼鏡……」

 ちなみに、金髪が永澤で、眼鏡が武村だ。


「二人はすばると面識があるのかにゃん?」

「いや、直接はないんだけど……」

 直接の面識はないが、二人にはすばるが稲葉の彼女と認識されている上に、コスプレなどマニアックなプレイを楽しんでいるイロモノカップル認定されている。


 俺が言いよどむと、中島かすみはニヤリと笑った後、俺の手を引いてきた道を引き返して旧御涼亭に続く坂を上りだした。

 坂を上り、振り返っても二人が完全に見えない所に来ると、中島かすみは笑顔で俺の方を振り向いた。


「なんだか面白そうな気配がするから、その辺を詳しく話してくれるなら、ルート変更してあげても良いにゃん」

 イタズラっぽい笑みを浮かべながら中島かすみが言う。

 そういえばその話はした事なかったなと思いつつ、俺は日本庭園から母と子の森公園へと歩きながら事情を説明した。


 二人が大学では稲葉と仲良くしている事や、去年のクリスマス直前の悲しい誤解とそれに伴い稲葉が大学で彼女を作りにくくなってしまった事、あいつ等にすばると稲葉がイロモノバカップルと思われている事等を説明すると、中島かすみは終始爆笑していた。


「色々さすが過ぎるにゃんっ! やっぱりすばるを選んだ鰍の目に狂いはなかったにゃん……!」

「えぇ……」

 中島かすみはそう言って目を輝かせるが、この話でそんな反応をされても非常に複雑な所である。


 それからしばらく適当に歩いて行くと、角ばった建物が見えてきた。

 売店も併設されていて周りにベンチも沢山あるので、少しここで休憩していこうという事になった。


「信玄餅クレープ……気になるにゃん」

 売店ののぼりを見た中島かすみが呟く。

 俺も気になって探してみれば、信玄餅クレープの広告が貼られたアイスケースを見つけた。

 中を見れば、そこには春巻きのように具を巻かれた冷凍クレープが並んでいる。


 どうやら信玄餅クレープというのはよく街で見かけるクレープ生地をその場で焼いて具をトッピングするようなタイプの物ではないらしい。

 アイスケースの中には他にも抹茶クレープや八橋クレープ、とうがらしクレープなんて物まであった。


「八橋クレープも気になるけど、唐辛子ってどこから来たんだろう……」

「この辺一帯は昔、唐辛子畑だったんですよ。江戸前蕎麦に入れるのに使われてたんです」

 アイスケースを覗きながら呟けば、ちょうどそれを聞いていた売り子のおばちゃんが教えてくれた。


「なるほど! だからそれにちなんでとうがらしクレープにゃん!」

 直後、俺のすぐ隣でそれを聞いていた鰍が突然元気な声で話に入ってきた。


「鰍もそれ気になるにゃ~、でも、信玄餅クレープも気になるにゃん! でも二つも食べたらお腹冷やしそうだし、迷っちゃうにゃ~」

「ええっと……じゃあ、私とうがらしクレープ買うから、半分こ、する?」

「わあい! すばる大好きにゃん!」


 急に元気よく話しかけてくる中島かすみに困惑しつつも、俺達はクレープを購入して近くのベンチに座って食べることにした。

 ベンチに座って思ったよりカチカチに凍っているクレープを袋の上から手で握って温めていると、突然目の前に影ができた。


 何かと思って顔を上げれば、そこには緊張した面持ちの優奈とその友人が立っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る