第74話 錨を放つ 十八


「あちこち飛んで回って聞いてきたが、鬼に憑かれた人間が自我を保ったままで生きているという確かな話は無かった。人間の自我だと思っていたものが、鬼による模倣だったという話ばかりだ。鬼は人間になりすますのが上手い種族だからな」

 晴嵐はチラリとナギを見たが、すぐに言葉を続けた。

「そうやって噂を探しているうちに、闇市で妙な話を聞いた。数年前から定期的に新鮮な人間の肉が出回るようになった、と」

「闇市や夜市で人間が売られているのは特別珍しくも無ぇだろ」

「どちらにも人間を扱う店はあるが、売られているのは生きた人間だろ。好きに弄べる分、五体満足で健康、若い人間はそれなりに高価だ。まぁ、妊婦や嬰児の価値はもっと高いんだが。あれの何が良いのか正直分からないな。いや、そんなことはさておき、出回っている人間の肉というのは屍だ。それも、身体全部は揃っていない、死体の一部ばかりだ」

「人間の屍肉は確かに闇市じゃあまり見掛けねぇな」

「だろ? それで、俺もその屍肉を見物に行った。あれは刃物で斬られた断面だ。わざわざ刃物を使って捌くような妖怪は居ない、俺たちには爪も牙もあるからな。だから人間に殺された死体の一部だと俺は考えた」

 晴嵐の話に志麻とナギは顔を見合わせた。

「先生、路地裏の首無し死体だ」

「私も同じことを思い浮かべていました」

「心当たりがあるのか」

「身体の一部の無い死体が帝都のあちこちで見付かっているんだ。俺たちが通り掛かった現場は首の無い死体だった。その死体の傍に、別人の右腕が落ちていたんだ。他にも、首吊り死体の片脚が無かったという話も聞いた」

「人間がたったひとりでそんなことを出来るとは思えない。だが複数の犯行ともなれば、統率する誰かが居るはずだ。人間を簡単に殺すことが出来て、闇市に容易く入ることが出来る、規律のある集団。そんなことが可能な人間たちと言えば、俺たち怪異を相手取る連中しかいない」

 そう言うと晴嵐は懐から煙管を取り出して口に咥えた。火も点けていないのに青紫の煙が立つ。

「相手の見当は付いたんだ、それなら次に調べるのは屍肉の出所だ」

「それはかなり難しいだろ?」

 矢橋が尋ねると、晴嵐は鼻で笑った。

「頭がひとつでもあれば、それで事足りる」

 そう答えた晴嵐の顔は、すでに別人のものとなっていた。精悍な顔つきの青年だ。

「こいつの素性はすぐに分かった。二十日ほど前に、川に落ちて行方知れずとなった憲兵だ。勤務明け、飲んだ帰りに誤って落ちたというのが目撃者、一緒に飲んでいた同僚の話だ。で、今度はこの同僚の行動を洗ってみた」

 晴嵐の顔がまた変わる。

「憲兵が行方不明になった後、同僚は妙に羽振りが良くなった。ま、それは当然だ、報酬として金を受け取っていたんだからな。要するに、金目当てに仲間を売ったということだ」

「そうなると、次は金を渡した相手か」

「勿論。酒に酔わせて聞き出してみれば、べらべらとよく喋る。あまりにも五月蠅いから、そのまま闇市に誘い込んで人買いに売り渡してきた」

 悪びれる様子も無く淡々と晴嵐が言う。その顔ももう別人だ。

「報酬を支払ったのは、お前たちがオニツクシと呼んでいる連中のひとりだった。こいつが少しばかり厄介な奴で、なかなか隙を見せない。尾行しても怪しい動きは無い。俺も暇じゃないからな、人買いから儲けた金でそういうのが得意な奴に調査を依頼した。そうやって次へ、次へと辿っていった」

 フーッと吐き出された青紫の煙が晴嵐を包み込む。その煙が晴れると、晴嵐の顔はまたもや別人になっていた。

「こいつの顔を知っているか?」

 凜々しい顔の壮年の男だった。総髪に整えられた髪型からも厳格さが分かる。顔に刻まれた皺のひとつひとつが積み重ねた歳月であり、それが凄みとなって纏わり付いている。

 志麻はその顔に見覚えがあった。志麻だけではない。矢橋も近衛も、榊も、そして五津海も。その顔の人物が誰であるのか正体を心得ていた。

「……龍澤千早」

 乾いた声で答えたのは矢橋だった。志麻たちが龍澤さんと呼ぶ男は、このような顔をしているのかとナギは初めて知った。

「繋がっているとは知っていた、分かっていたさ。けれど、実際に他人から提示されるのと、自分で推測して辿り着くのとでは全く違うだろ」

 苦々しげに矢橋が呟くと、晴嵐は追い打ちを掛けるように告げた。

「こいつに辿り着きはしたが、探らせた奴はどうやら討ち取られたぜ。まったく、手回しが良い連中だ。姿形を変える俺のことを追うことは出来ないが、人間ではない何かが探りを入れているということは把握されただろうな」

「龍澤さんは今どこに?」

「さてなぁ、どこへ行ったんだろうな? 追尾は途切れたんだ、もう一度探し出すとなれば厄介だぞ。向こうも怪異の対策をしてくるはずだからな」

 そう言った晴嵐の顔は普段の見慣れたものに戻っている。志麻が問う。

「そんな不確かな情報を求めるより、もっと確かなものを考えたほうが良い。鬼の力に対抗出来る人間を生み出そうとしている話はどうやって手に入れた?」

「人間は文字を使って書き残す習性があるだろう? 日々の些細な出来事も、学問も、観察の記録も、上手い菓子の作り方も、人間は何でも書き留める。次の世代へと積み重ねた経験をどんどん受け渡さなければならないのは、短命な生き物の定めってやつだ。おかげで、奴らの考えが読めてきた。こう見えても俺は、伝承や民間信仰についての書物は読んできたほうだからな」

 南条の屋敷の蔵書を晴嵐も読み耽っていたのだろう。屋敷の大木に棲み着く以前からも様々な書物に触れてきたはずだ。

「龍澤という男に辿り着くまでの間、呪術師らしき人間が数人いた。そいつらは揃いも揃って闇市で同じ書物や品物を求めていた」

 ふぅ、と紫煙を吐いてから晴嵐は答えた。

「あいつらが求めている代物は、不老不死、あるいは不老長寿と呼ばれるものに関するものばかりだ。トキジクノカクなんて今どき神域でも滅多に見ないぜ。まぁ、そうは言っても、多種多様な方法を重ねていけば、不老不死のまがい物くらいは生み出せるかもしれないな」

 晴嵐は少し小馬鹿にしたように言ったが、それは人智を超えたものに手を出そうとする人間の愚かさを嘲笑したのかもしれない。いずれにしても晴嵐は状況を面白がってはいないようだった。

「呪術の重ね掛けで本当に不老不死に近付けるか?」

 近衛が問う。

「似たようなものは出来上がるかもしれないぜ? 何せ、命を永らえさえずとも構わないんだからな」

「どういう意味だ?」

「何を以て命と見做すかってこと」

 煙管から出た青紫の煙は何もせずとも変わらず立ち上がりゆらゆらと揺れている。

「肉体が永久に動けば、不滅と呼べやしないか? 傷んだ部位を入れ替えることで再び動くのなら、交換を繰り返せば永遠と同じ時間を生きると言っても構わないんじゃないか? 言い換えるならば、ひとりの人間は、ひとつの命である必要があるかって話だな」

「ますます分からん……」

 近衛が皺の寄った眉間を指でトントンと叩く。その様子を見た晴嵐は少し考えてから答えた。

「その昔、ある妖怪に出会った人間たちはその珍妙な姿に大層恐れ戦いたのだと言う。何せ、その姿形はとても一言では言い表すことが敵わない。そこで人間たちは、自分たちの知り得るものを借りて、その妖怪を表現することにした。自分たちが納得し、恐れないために」

 突拍子も無い話に皆が首を傾げるものの、晴嵐は気にせず続ける。

「尾は蛇と似ているのではないか、四肢は虎に近く、胴は狸かもしれない、顔は猿のようで、その鳴き声は、あるいは虎鶫と似て聞こえる。得体の知れない妖怪はいつしか鵺と呼ばれるようになった。まあ、俺たちの本来の姿は、そんなにごちゃごちゃとしたものではないし、名前も無い。俺たちは何者でも無いものだからな。しかしまぁ、たとえ複数の生き物の寄せ集めだとしても、出来上がったそれは、どうやら人間たちにとってはひとつの生き物ということになるらしい」

 ということは、と晴嵐は続ける。

「人間の部位を寄せ集めれば、ひとりの人間が出来上がる、というわけだ。そこに何人分の命が宿っていようと、繋ぎ合わせればひとりの人間に過ぎない。呪術を重ね掛けすれば、そういう類いのものを生み出せる」

 場がしんと静まり返る。皆が晴嵐の言葉を頭の中で考えていた。

「……一理ありますね」

 ナギが言う。

「焚火に何がどれだけ入っていようとも、ひとつの炎。火の勢いが弱まったなら新しい枝を足せば良い。薪をくべ続ける限り火は燃え続けるでしょう」

「それが呪術で可能なのか?」

「不可能では無いと言うほうが正確な表現に近いでしょう。拒否反応が出た部位は交換するだけで良いのですから、代わりがある限り、歪な形で生き存えると考えられます」

「だが、それだと人格はどうなるんだ? ずっと同じままで居られるとは限らねぇだろ」

「移り変わるだろうな。頭部が自我として肉体の主導権を得るはずだ。身体はそれに付随する部品に過ぎない」

「それは同じ人間だと言えるのか?」

 志麻の問いにナギと晴嵐が顔を見合わせて首を捻る。

「個として同じものとは言えませんよね」

「だが、川の水だって常に流れて変わっていても、同じ川だと言うだろう? そういうことじゃないのか?」

「森も同じですね、草木は枯れ、動物も死に、次の代が生まれ育っていく。それでも同じ森だと捉えるでしょう」

「自我が宿り肉体が成立しているならば、部位がどれほど入れ替わったところでそんなものは些細な変化だと言えるかもしれない」

 晴嵐が視線で尋ねると、ナギは肩を竦めた。何とも言えない様子だ。感覚としては理解しているが、それを言語化しかねていた。

「いずれにしたって、不自然であることには違いないんだ。神の戯れのようなものだぜ。人間が手を出すべき領域じゃ無い」

 不快そうに晴嵐はそう言った。

「問題は、ひとつの人間を保つのに、代償となる人間の数が多すぎるということだな。鬼の力をねじ込んで、駄目になった肉体は取り替えて、寿命を延ばしたところでそのうち、人間の材料が不足する。たくさんは造れないし、維持も出来ない、燃費の悪い計画だ。だから、お前が欲しいんだろ」

 煙管の先が志麻に向けられた。

「鬼の力を宿しても、肉体はそれを拒まないから取り替える必要が無い。燃え続ける炎のようなものだ。だから連中は、不自然を自然と成立させるお前の秘密が欲しいんだ」

 あるいは、と晴嵐は続ける。

「秘密はすでに解き明かされている。だが、再現が出来ない。その理由も分かっている。とすれば、お前を求める理由は内側の鬼を追い出して、もっと高位の鬼を入れること。そうすれば、さらに強力な存在に仕上がるってわけだ」

「どうしたって志麻の中から鬼を引き摺り出したいってことか」

「俺はこの鬼を手放すつもりは無い」

 志麻はきっぱりと言い切った。

「それさえ分かっていれば、抗うには十分だな」

 そう言ったものの晴嵐はどこか詰まらなさそうだった。身の程知らずな人間の無謀さを憐れんでいるようにも見えた。

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