第4話 月と遊ぶ 一

 志麻は大きな欠伸をした。

 春、麗らかな昼下がり。宿の三階から往来を見下ろしていた志麻は暇を持て余していた。穏やかな日差しが降り注ぐ宿場町は賑わい、見上げれば春霞の空に鳥が弧を描いている。桜は既に散り、葉桜が新緑の始まりを告げていた。ゆっくりとした空気の中で、軍服姿の志麻の周りだけは空気が張り詰めていた。

 志麻は窓際の椅子に座り、ひとり思案していた。

「さて、どうしてものか」

 志麻は部屋の中に目を遣った。この辺りでは珍しく西洋風の建物だ。調度品は海の向こうから取り寄せたものだろう。だが、残念ながらそれらを楽しむ余裕はない。散らかった服、暴かれた荷物。荒らされた室内に志麻はまた大きな欠伸をして、通りに視線を戻した。昼間から酒を飲み歌い騒ぐ人々。羨ましいわけではない。むしろ志麻は呆れていた。春の陽気に当てられて、世間はどうにも浮かれている。呑気なものだと志麻は首の後ろを掻いた。

 しばらく通りを見下ろしていると、人波をすり抜けて足早に戻って来るナギの姿を見つけた。ナギはそのまま宿に入り、やがて志麻のいる部屋の扉を開けた。

「駄目ですね」

 開口一番、ナギはそう言った。

「追いかけてはみたのですが、見張りが多く、あれは何か策を練らなければ入れませんよ。一応、それとなく聞いてみましたが、どうにも怪しい連中が出入りしているらしく、丸腰ではとても」

「それは厄介だねぇ」

 志麻は椅子に座ったまま伸びをした。

「京へ急ぎたいんだが、そういうわけにもいかないようだな。問題は、さて、どうしてこうなったのかということか」

 うんざりした様子の志麻に対し、ナギは心配そうに部屋の中を行ったり来たりしている。

「先生、落ち着けよ。あれは俺が良いと言うまで死にはしないのだから」

「そういうことではありませんよ」

 ナギは壁際に置かれた椅子に腰を下ろし、溜息を吐いた。肘掛を神経質にトントンと指で叩く。

「酷い扱いをされていたらどうするのです。異国に攫われてしまったら。お腹を空かせてはいないでしょうか」

「むしろ相手方の命のほうが心配だろう。確か私服に着替えていたな、間違うのも無理はない。だがあれでも軍人だ、そこらの奴よりも格段に強い。何も知らなかったのだとすれば酷く不憫だな。だがなぁ、狙いが分からない」

 志麻は脚を組んだ。

「狙いは榊か、それとも他にあるのか。さて、どうしたものか」

 消えた部下が巻き起こす騒動を想像し、志麻は長い溜息を吐いた。


 話は半刻ほど遡る。

 この先の川を渡る舟が混雑しているため、今日のところはこの宿場町に留まることを決めた。どうやら数日前の豪雨で舟がいくつか流されたらしい。高い宿を取ることになったが、足がないことには進めない。やることもないため、各自が自由に行動することになった、その矢先のことだった。

 船頭たちと話をして宿に帰って来た志麻が見たのは、見る影もなく荒らされた部屋だった。さすがの志麻も頭を抱えた。鞄から出された衣類は床に散乱し、開け放たれた窓から吹く春風が書類を虚しく捲り続けて、割られた瓶から零れた薬が床の絨毯に染みを広げていた。榊が背負う木箱は開けられなかったのだろう。無理矢理に壊され、こじ開けられた中身が床に散らばっている。

 志麻は窓から身を乗り出して通りを見回すと、甘味処の店先で団子を頬張っているナギを見つけた。すぐさま志麻は宿から出てナギのもとに向かった。

「先生」

「あ、志麻さんもどうぞ」

 志麻はナギが差し出した団子を丁寧に断った。

「遠慮しておく。そんなことよりも、榊を見なかったか?」

「榊さんなら昼寝をすると言って宿に戻りましたよ」

「いや、俺も今しがた宿に戻ったんだが、部屋には見当たらなかった。もとい、部屋が大変なことになっている。これは悠長に団子を食っている場合ではないかもしれない」

 ナギは残っていた団子を一口で飲み込んだ。

 宿に戻ると、部屋の前に宿の使用人の女が立っていた。使用人は青褪めた顔で震え、今にも倒れそうな様子だったが、志麻とナギの姿を見ると少しばかり安心した表情に変わった。

「旦那様方」

 使用人は消え入りそうな声で言った。

「もしや坊っちゃんが消えてしまわれたのでは?」

「その通りだが、どうしてそれを?」

 志麻が問うと、使用人は志麻に縋りついた。

「お願いします、どうか、お願いします。私の妹を助けてください」

「……詳しく聞かせてくれ」

 使用人を荒れた部屋に通して話を聞くことにした。使用人の女は、むしろ少女と呼ぶべき年齢かもしれない、まだ幼さの残る顔を悲痛に歪ませていた。

「私はカヨ、妹はサチと申します。妹はこの夏で八つになります。両親は帝都へ出稼ぎに。今は妹とふたりで暮らしています」

 カヨは事の次第を話し始めた。

 始まりは、二年ほど前のある晩夏のことだった。この宿場町の子供が一人、消えた。子供たちが一緒に外で遊んでいる最中だったという。気が付くといなくなっていたと話す子供もいれば、フラフラと歩いていくのを見たという子供もいた。大人たちは方々を探し回ったが、ついに見つかることはなかった。やがて、ふた月に一度ほどの頻度で子供がいなくなるようになった。奉公の途中でいなくなる子供もいたし、夜中の間に姿を消した子供もいた。かれこれ二十人近い子供が消えた。子供たちの年齢や性別、貧富は様々だったが、全ての子供に共通していることは、それから二度と姿を現すことはなかったということだ。

 サチがいなくなったのは、去年の梅雨の頃だったという。夜、カヨが家に帰ると姿を消していた。やはり方々を探し回ったが、今でもまだ見つかってはいない。

「妹はひとりで出歩くような子じゃありません。私が家を留守にしている間、家でじっとしているような子です。勝手にどこかへ行ってしまうなんて、有り得ません」

「絶対に、と言い切ることが出来るのか?」

「サチは生まれつき目が殆ど見えないのです」

 カヨの瞳が不安に揺れた。

「ここの大人たちは、神隠しだと言います。けれど、誰も子供たちのことをこれ以上は探してはくれません。皆、商売人です。きっとこの町の良くない噂を広げたくはないのです。それに……」

 小さな肩をより一層小さく屈めて、カヨは言った。

「外れの廃寺に、柄の悪い人たちが集まっていて、私きっとサチはあの人たちに攫われたのだと思っています。みんな、そうだって思っています。だけど、怖くて……大人たちだって誰も、手出しが出来ないのです。お願いします、旦那様方! どうか、サチを助けてください!」

 カヨは勢いよく頭を下げた。志麻が隣に立つナギを見遣ると、ナギは一瞬だけピクリと眉を動かした。

「俺たちに頼まなくとも、憲兵がいるだろう? 憲兵は何をやっているんだ」

「憲兵さんは駄目です。私も少しは調べてみたのですが、憲兵さんたちは頻繁に廃寺に出入りしています。裏で繋がっているのかもしれません」

「なるほどねぇ。調べてみるとしよう。だが、お嬢さん。その廃寺の連中の仕業とは限らない。妹さんが無事なのか、保障はない。出来る限り手を尽くしてみるが、過度な期待はやめたほうが良い」

「それでも、もう頼れるのは旦那様方だけなのです」

 カヨは瞳に涙を溜めて、そう懇願した。志麻は顎に指を当ててしばらく考えた後、その指をナギに向けた。

「カヨと言ったな、廃寺の場所を先生に教えてやってくれ」

「私が行くのですか」

「軍服じゃあ目立ちすぎるだろう。無駄に警戒されても困る」

 驚いた顔をしたナギはすぐに納得したのか、カヨから廃寺の詳しい場所を聞いていた。その間、志麻は窓から外を見下ろした。

 鬼ではない。

 部屋に残る気配から、そう察していた。これは鬼の仕業ではない、部屋を荒らしたのはただの人間だ。それは良いことでもあったが、同時に、悪いことでもあった。オニカエシにとって、鬼以外の妖異を相手にすることは本来ならば専門外のことだ。あまり深追いをしたくはないが、そうかと言って、少女の願いを無下にすることも出来ない。榊とサチを助けて終わりというわけにはいかないだろう。

 さて、どうしたものか。

 廃寺に向かうナギを窓辺から見送り、志麻は溜息を吐いた。


 そして今に至る。

「それで先生。廃寺の様子はどうだったって?」

 散乱したものを拾い集めながら志麻は尋ねた。

「廃寺とは言え、手入れはされていましたよ。私が間借りしていた社よりも、随分と人の手が加わっています。何人も集まって暮らし、悪事を企てるには、不足などありません」

 ナギは衣服を丁寧に畳みながら答える。

「それに、かなり広いです。そのまま山の中に抜けられそうでしたね。見張りは、表の門の外側に二人、内側に二人。裏の門にもそれぞれ一人ずつ。少し離れた木の上から見ましたが、中も定期的に巡回しているようでした」

「子供の姿は?」

「私が見ていた間には、一度も」

「妖異については?」

「一度も」

 志麻は手を止めずに尋ねた。

「敢えて聞くが、先生。何の仕業だと踏んでいる?」

 ナギも手を止めずに答えた。

「人ではないかと」

「なかなか面白いことを言う。そうか、人か。それはまた、厄介な奴だ」

 志麻は、ようやく手を止めた。

「今夜あたり、ちょっと様子を見に行こうか」

 そう言った志麻の声に、ナギは顔を上げた。その表情は怪訝そうに、眉間に皺が寄っていた。

「突然……ですね」

「そうかい? 急げと言ったのは先生じゃないか」

「いえ、ですが、準備は」

「準備?」

「志麻さん、いくらあなたがオニカエシとはいえ、刀くらいは用意しておくべきですよ」

 ナギは床に転がっている刀を指差した。その刀は鞘の中で折れている。京で打ち直しに出す予定だったのだ。

「先生、俺だって武器のひとつやふたつ持っているよ」

 志麻がそう言うと、ナギはバラバラに壊された木箱を見遣り、それから呆れた瞳で志麻を見た。

「……志麻さん。私が廃寺に行っている間、部屋を片付けておいてくださいよ」

「いやあ、悪いね。こっちにも色々とあってな」

「たとえば?」

 ナギはてきぱきと荒れた室内を片付けていく。長年の旅で培ったものか、それとも性格なのか。部屋の掃除はナギに任せることにして、志麻は窓辺に座って外を見た。

「消えた子供等は皆、家庭に何かしらの事情を抱えていたらしい。宿の者たちに聞いてきた。あのカヨのところも、そうだ。帝都に出稼ぎなんて、嘘八百だとさ」

 往来を親に手を引かれて子供が歩いて行く。あの子は大丈夫だろう、消えたりはしない。志麻は宿の女将から聞いた話を思い出していた。

 カヨとサチの父親は、人徳のある男で、仲間内でも町の人からも厚く信頼されていた。そんな男が、悪い女に捕まった。余所からやって来たその女は、酷く美しい女だったが、如何せん横暴で人遣いが荒く、金を食い潰さんばかりだった。周囲は反対したが、本人たちは聞く耳を持たなかった。カヨとサチが生まれてから、女の態度は悪くなる一方で、ついには金が底を尽いた。カヨは七つの頃からこの宿で奉公している。時には幼いサチを背負い、すでに十年ほどになる。

「出稼ぎなんて、まったくの嘘。あの女は逃げ出しただけですよ。まだ幼かったカヨとサチを捨てて。毎月、帝都の両親から手紙と僅かな金が送られてくるんだと、カヨは笑って言うけれど、その手紙を書いているのはアタシなんです。同封している仕送りだって、手切れ金だとあの女がせせら笑って置いていった金を毎月少しずつ渡しているだけ」

 あんな女、母親でも何でもない。宿の女将は悔しそうに唇を噛んだ。カヨの給金を支払うだけで精一杯で、姉妹を引き取ってやるだけの余裕などない。しかしそんなこと、本来は女将が気に病む必要はないはずだ。幼い頃からカヨの面倒を見てきただけでも立派なものだ。

 いなくなった他の子供たちにも、それぞれ家に複雑な事情があったらしい。親に捨てられた者、厳しく当たられている者、見放された者。そういう子供たちばかりが行方をくらましたため、危険を冒してまで廃寺を探そうとする者は現れなかったのだ。知らずのうちに、今の生活よりはマシだろうと、はっきりとしたことが分からないままに曖昧な幸福を見ていた。

「似たような異国の話なら、いくつか聞いたことがある。しかし、まあ。同じようなことをする奴がこの辺りにいるのかねぇ」

 志麻がそう言うと、ナギは鼻で笑った。

「不幸な子が攫われているのなら、榊さんの場合、あなたが悪人だということですよ」

「おっと、そりゃ心外だな。大切に思っていないのならば、わざわざ探そうとはしないだろう。助けようと試みているということは、俺にもまだ余地があるということだ」

 志麻はニヤリと笑った。ナギは呆れたように溜息を吐いてから、割れた小瓶の破片を慎重に拾った。

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