文学少女は希代の悪女になり果てた
母は本が好きだった。
親の愛情とか信じて頑張るとかそういう物語をよく好んだ。
わたしは小説は基本勧善懲悪だと思う。
思惑入り組んだ推理小説も、夢想描くファンタジーも、髷に草履にドレスに銃にどんな世界だって、もしかするとノンフィクションでさえも、根底には勧善懲悪が眠っているように感じる。
人は信じたいのだ。
不条理はいつか正されると。
努力は実を結ぶと。
そして────。
「真面目にいじわるしないでちゃんとしていれば、きっとわかってもらえるさ」
本好きの母がよくそう言っていたからかもしれない。
それが彼女の信念で、
陽気で呑気で明るい母だった。
そんな母が病気で死んだ。
わたしたちは祖母の家に住んでいた。
それは間借りのようでいつも息苦しく、わたしはここが嫌いだった。
そこでは次々にルールが作られた。
腕白だったわたしは動くことを禁じられた。
歌が好きだったわたしは家で歌うことを禁じられた。
共同生活においてそれは無理からぬ決まり事ではあったと今も昔も思うけれど、なにかが歪でわたしは疲れて、わたしという子どもからは禁じられたことは失われていった。つまり、駆けまわる代わりに本を読み、歌はなぜかどこでも喉が張り付き歌うこと自体が出来なくなった。
何より辛かったのは、幼い時分、学校から帰ると祖母の部屋に呼ばれることだ。
目の前にお菓子を積まれて、炬燵に座ってずっと彼女の話を聞く。
それは近所の人であったり普段は愛してる彼女の家族の愚痴であったり、比較や遠回しな物言いで唯一の客であるわたしの自尊心を傷つけることであったり、そして母への不満であったりした。
ぱり、とせんべいを齧った。
溢れ出す悪意が自分に注がれていくような感覚の中で「すごい、おいしい」と、子供には美味しくもない菓子を詰め込んだ。
心臓がバクバクして頭が鈍く硬直するような時間を無の心で過ごした。
庇ったり反論すると、その晩にひどく母が詰られ彼女はこっそり泣く。
それでも、傍目からは「やさしい祖母」と評された。
わたしは黙った。
幼い弟妹がお菓子目当てに行きたがったが、頑としてそれは阻止した。
それが、わたしの彼らへの必死の情だったのだが、彼らからすればお菓子を独り占めする強欲な横暴行為としか見えなかっただろう。
とにかく、はじめに訴えるための言葉が失われた。
それが続くと、段々とわたしの世界が灰色に変わっていった。
代わりに頁の向こうの世界が鮮やかに色づく。
それは、わたしが身を置く世界と本の世界の逆転。
わたしという子どもから表情が消えた。
祖母から湧き出るおぞましい負の言葉で満たされた自分が、世に言われるヒトである気がしなくなっていった。
それでも、大きくなって部活や仕方ない理由によって祖母との会合を無理なく回避できるようになると、今度は風呂場やトイレなどで灯を消された。
初めは母と間違えただけだったのだと思う。同時に、母ももしかするとそのような目にあっていたのかもしれないと思う。
しかし、成長し反抗はしないものの迎合しないわたしは小さな悪戯のよいターゲットだったのだろう。
それは、わたしにだけ何度も繰り返されるようになったが、わたしはすでにそれを拒むと言う選択肢がとうに思いつかない。
「やめて」と訴えると少女のように「きゃあ」と逃げるその様子をすりガラス越しに諦めた気持ちで見送り、月を眺めて風呂に浸かった。
一人になる風呂や布団が好きで、その頃はよくそこで己の頸を絞めた。
跡を残して心配をかけたくない、やんわりと苦しくでも恐ろしい。
気付いて欲しい、かなしい。
迷っていた。
祖母の話はいつもこのような色を持っていた。
「私はとても愛されていて、皆が私の言う事を聞いていたの」
そうではない人間と暮らすのに我慢ができなかったのだろう。
少女のようなひとだった。
無邪気であるし、残酷であってもゆるされた。
ひどいことをする者を選び、それ以外にはよい顔をした。
事実、誰かにとっては善い人であったのだろう。
高齢だったためか、晩年、彼女に付き添ったのは彼女曰く「自慢の孫」のわたしだけだったが。
それ以上の深みを知るための体力は残っていなかったから、わたしはただ「祖母を普通に好きな不出来な孫」であり続けた。実際、彼女からは私を案ずるような、「わたし」を知りたがるような言葉を貰ったことは一度も無かった。
だから、わたしはずっと仕えた。
それは、母とわたしの家族を守るためのものであったはずなのに。
結局、彼女は母より長く生きた。
家を出て、わたしはずっと傷ついて歪んだ自分の世話にかかりっきりだった。
前向きに生きるためのわたしを育てなくてはいけなかった。
母が死んだあとは、わたしは「自分は悪くない」という周囲の人々の話をずっと聞く羽目になった。それは一年ほど続き十年経つと元に戻った。
気が付くとわたしは泣く機会を逸してしまっていた。
母が死んだあと、わたしは初めて色んなことを知って泣くどころではなくうちのめされていた。
「ほんとうに、大変だったからね」
そう口走ったその女性はばつの悪そうに口を閉ざした。
それは悪いことを言ったからではない。善意で
遠い祖母の実家では驚くほどおぞましい女がいた。
それは祖母と暮らして、少女のような祖母を苛め抜いていたという。
それが死んで良かったと、今後はその子供であるわたしとも仲良くやって行きたいと、その地のひとたちはほがらかに笑っていた。
その場で、わたしは長くそこで悪女が肴になっていたと知った。
それは心配であり善意で在り正義感であった。
何十年もの厚みのある「真実」を初対面のわたしが崩すそんな体力も無かった。できることは祖母にしたように声無く笑うだけ。
それらは愛されたがりの少女が作った創作物だ。
悪意以外は、祖母がそうしたかったであろうおとぎ話を聞いて内心嘘にうんざりした。
それはなかった、それは違う。
けれども、訓練された喉は声を外に出すことは無かった。
香りの良い果物が毎年届いたことを初めて知った。
それを祖母が毎年わたしたち以外に配って、あとは自分でたっぷり食べて残りを仕舞い込んで腐らせていたことはよく知っている。
それの贈り先に自分たちも含まれていたなんて想像もしていなかった。
なのに、物語の中ではそれを奪い取り貪り食うような貪欲な女がいた。
むしろ、それを憐れに思った母方の家族が贈ってくれたものを祖母が盗んでいた方が多かったのに。
その場での「真実」を前に、わたしが見たことを語ってもわたしが受けたことを語っても、それらが受け入れられることはないだろう。
母が亡くなって十年経った。
十年前のわたしの家は傍からはきっと幸せなふつうの家族であり、わたしはふつうの不器用な子供であった。
今でも、わたしは唐突にこんな思いに囚われて苦しくなる。
「誰かのための我慢がこんな結末になったことが辛くて希望が持てない」
「わたしのようなからっぽな子供を得て、このように扱われて、母が幸せだったのか」
胸の中から何かから何度も何度も繰り返し問いかけられる。
十一年目を迎えて、わたしは思う。
つらい部分ばかりに想いを馳せることは彼女の本意ではないのではないか。
わたしの知る彼女を語ることこそが、母が喜ぶことなのではないか。
それを知られたらまた波乱が起きるかもしれないけれど、かなしい顔ばかりではなくて、ひっそりとこっそりとおっちょこちょいで明るくてのんびりした優しいひとりのお母さんを、思い返したい。
だって、わたしはくやしかったのだ。
そのくやしさに負けて、つらい思い出ばかりを強めたら、それこそ悲しむではないか。
ずっと笑顔で病の中でも明るく振る舞っていた「お母さん」、だったのに。
寂しい少女が創ったきらびやかなおとぎ話と一緒に、死してからもずっと悪女は作られる。
悪は善きよりずっと語りやすく。
不器用な文学少女は、今も希代の悪人として思い出したかのように語られている。
けれども、一生懸命だった温かな母は、ここにいる。
よせる、ゆだねる、あわせる 萩 @ni_3
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