ブルーショートピーシーズ

猫屋ちゃき

とろりきんいろ

 やわらかな光が、教室の中に入り込んでくる。射し込んでくる、というより入り込んでくるという言い方がしっくりくる、とろりとした光。

 窓の外を見ると、夕焼け空のところどころに昼間の青が取り残されていて、不思議な色を作っている。もう少し時間が経てば、日が沈んでマジックアワーが訪れる。日没後数十分だけ太陽が姿を消して、ほとんど影がない状態になるのをそう呼ぶらしい。写真なんかを撮る人間には、特別な時間なのだという。

 だけど、写真を撮らない俺にとっては、今の、太陽が沈んでいく時間のほうが好きだ。

 とろりとした金色は、それに包まれるものを魅力的に見せる力がある。


「ごめんね。もうちょっとで書き終わるから」

「あ、いや。大丈夫」


 俺の視線に気づいて、古谷さんが日誌を書く手を止めて顔を上げた。その真っ直ぐな眼差しに戸惑って、俺は変なことを口走る。何が、どう大丈夫なんだろう。

 慌てた俺の心中など知らぬ古谷さんは、すぐに手元に視線を戻し、サラサラと日誌の上にシャーペンを走らせていく。ミニーマウスを思わせる赤白ドットが可愛い、華奢なシャーペン。飾り気があまりない古谷さんの持ち物としては、ちょっと意外な感じがした。だけど、そのギャップがまたいい。

 日直なんて本当は面倒臭くてたまらないけれど、組む相手が古谷さんだったのはラッキーだなと思う。


「古谷さん」

「ん? なぁに?」

「彼氏いる?」

「え? やだな。なに、その直球な質問。……いないよ、彼氏は」


 視線を上げずに、声に笑いを滲ませて古谷さんは言った。その答えを聞いて、俺は自分の頭の中に勝手に作ったチェックリストにひとつ、クリアの印を付ける。


「そっか。俺もいないんだよね、彼女」

「そうなの」

「……うん」


 表情は見えないけれど、にこやかなのがわかる声で、古谷さんは答えてくれる。だけど、余計な言葉を纏わずに返答をされると、それ以上先に会話を進められない。ボールを投げてキャッチしてもらったはいいけれど、こちらへ投げ返さずに足元に置かれてしまった、という感じ。

 それでも、この貴重な機会を逃すわけにはいかない。

 会話のキャッチボールが続かないのなら、ド直球を投げてみる。


「あのさ、もうすぐクリスマスじゃないですか」

「そうだね」

「ここに、フリーの男女がいるわけじゃないですか」

「……だから?」

「付き合ってみるといいんじゃないですかね?」

「……」


 俺のふざけた提案に、スッと、古谷さんは顔を上げた。控えめな、だけどよく見ると整っているその顔は、やわらかな光を受けている。


「藤田くん」

「な、なに?」


 静かな声で、古谷さんが俺を呼んだ。その真剣な声音に、少し身構えてしまう。


「男とか、女とか、そういうのってこだわっちゃう人?」


 真顔のまま、古谷さんはそんなことを俺に尋ねる。こうして見ると、本当に端正な顔をしていて、そんな顔でじっと見られると落ち着かなくなる。

 全てのパーツが小作りで派手さに欠けるけれど、調和が取れた美がそこにある。大人はこういう子を見てよく「将来美人になるよ」と言うのだなと、突然納得がいった。


「私、彼氏はいないって言ったけど、クリスマスがフリーだなんて言ってないよ?」

「……それって、つまり……」


 わからずに首を傾げていると、そんな俺を見てニヤッと古谷さんは笑う。綺麗な子がそういう表情をすると艶っぽいんだな、なんて思う。思って、ようやく古谷さんの言葉の意味がわかった。


「え? え? 古谷さん……まさか……」

「そうよ。私、クリスマスは女の子と過ごすの」

「……マジか」


 両頬に手を添えて、恥じらうように古谷さんは笑う。その衝撃の告白に、俺はショックだったけれど、妙に納得もしていた。

 俺は今日、日直で一緒になるまで古谷さんの魅力に気づかなかったけれど、こんなに綺麗な子なんだ。俺だけが見出したわけではないだろう。だけど、今まで他の男子が騒いでいなかったのはこういうわけだったと思えば、何も不思議はない。

 ああ、そうか、そういうことなのか、などと心の中で呟いて、動揺を鎮めようとしたけれど、なかなかうまくいかない。そんな俺を、古谷さんは楽しげに見ていた。


「藤田くん、 何か誤解してない?」

「……え?」

「引っかかった」

「え?」


 書き終えた日誌で口元を隠しながら、それでも堪えきれないといった様子で古谷さんは笑っていた。完全に悪戯っ子の顔だ。だけど、俺は彼女がなぜ笑っているのかわからない。


「私は、彼氏はいません。クリスマスは女の子と過ごします。それってつまり?」

「……彼女がいるってこと?」

「違うよー。 やっぱり、騙されたんだね」

「……どういうこと?」


 どうやら、彼女に謎かけをされているらしい。だけど、俺はそれが何かわからない。しばらく待っても答えられない俺に古谷さんは焦れたのか、ニヤニヤを引っ込めて真顔になると、パッと日誌を差し出した。


「友達とクリパするけど、藤田くんも来る?」

「え?」

「男とか、女とか、そういうのこだわっちゃう人でなければ、仲間に入れてあげてもいいよって言ってるの! 友達とやるクリスマスパーティーに!」

「……や、やったー! いいの?」

「いいよ。別に男子禁制ってわけじゃないし」


 じわじわと、ようやく理解が追いついて、同時に嬉しさがこみ上げてきた。何となく、求めていた結果とは違うけれど、おかしそうに笑ってこちらを見る古谷さんに、それでもいいかと思えてくる。


「じゃあ、日誌と鍵、よろしくね」

「あ、うん」


 そう言うと、古谷さんはガラリと戸を開けて、廊下へと駆け出して行った。ほとんどシルエットになった姿で、一瞬こちらを振り返って小さく手を振って、そのまま、金色の外側へと駆けて行った。


 ひとり残された俺は、日誌を開いてそこに書かれた古谷さんの文字をそっと指でなぞって、彼女の笑顔とさっきの素敵なお誘いの言葉を思い出して噛みしめた。

 そうすると、この夕暮れの光と同じくらいとろりとした感覚が胸の中に広がっていった。

 とろりとした金色。

 その中に、俺は今、包まれている。


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