キャラクター論:ゆるキャラはアニミズム信仰

 キャラクター大国、ニッポン。

 その列島には異形の存在が跳梁跋扈している。

 やつらの名は、ゆるキャラ。


 日本のように非人間的なキャラクターが氾濫している国は、他にはないのではないでしょうか。直感で断じてしまいますが、梨汁をぶちまける妖精や、異常に伸びる納豆の精が日本以外の国で受け入れられたとは到底思えない。ましてや日本人以外が考え出すともちょっと思えない。なぜ日本人は非人間的なキャラクターを愛することができるのか。キャラクターという存在を考察することで探ってみたいと思います。


 冒頭で触れた、ゆるキャラとはどんな存在なのでしょうか。端的にいえば概念の象徴であると言えます。象徴をキャラクター化、つまりアイコン化することはイメージの共有化に大いに貢献します。

 例えば彦根城をイメージしろと言われた時、人によって想像するものが異なることは、容易に予想できるでしょう。城の概観、建っている場所、かつての城主。季節や時間だって様々なものが想像されるでしょう。

 しかしこれをニャンとしたキャラクターにしてしまえば、実際との乖離はあるにせよ、そのキャラクター名を挙げればどの人もそのキャラクターの姿を想像するでしょう。人によるイメージのズレは、少なくともキャラクター化しない時よりも少なくなるはずです。

 キャラクター化によって概念を容易にイメージできるようにし、それを統一することは認知してもらう上で非常に重要です(この話は今後掘り下げられたらいいな)。さらに商業的にはグッズ販売で営利まで出せてしまうわけで、結果こんなにも巷にキャラクターが溢れているわけですね。


 さらっとゆるキャラをグッズ展開したら儲かると書きましたが、なぜ売れるのか。なぜ梨を擬人化したものが受け入れられるのか。私はアニミズム信仰が日本人に根付いているからだと思っています。

 アニミズム信仰とは有り体に言ってしまえばあらゆるものを擬人化、神格化し、あがめる信仰のことです。神道風に言えば八百万の神様といったところでしょうか。

 一寸の虫にも五分の魂。食べ物を粗末にするとバチが当たる。鶴の恩返し。あらゆる対象を神格化し、愛着を持って接してきたからこそ、なかばクリーチャーのようなゆるキャラにもまるで人のように愛することができているのではないでしょうか。


 キャラクター論については別アプローチで今後も触れていきたいと思います。

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