16 素直になって
あれからサタンとは顔を合わせていない。
目覚めたらなぜか自分の部屋にいて、謝らなきゃと思ったんだけど、どこを探してもサタンはいないのだ。食事のときにも姿を見せない。どうしたらいいんだろう……。
「元気ないねぇ白雪ちゃん」
「ベル君」
ベル君は笑顔を浮かべてはいるけど、気遣わしげな目を向けている。
「お菓子食べる?」
「いや、いいよ」
心配掛けてるよなぁ。でも事情を説明するわけにもいかないし……。
「白雪さんが元気ないと、みんなが心配しますよ」
そう言うのはマモンさんだ。ことりと目の前にティーカップを置いてくる。
「ごめん、ね」
それしか言うことができなくて、部屋には沈黙が落ちた。
「……ちょっと散歩してくるね」
沈黙に耐え切れなくて、私はそう言って広間を出て行った。
中庭には相変わらず沢山の草花で溢れ返っている。穏やかな風がそれらを優しく揺らす様を、私は見るともなしに見ていた。
なんでこんなに落ち込んでるんだろう。私はサタンに怒られるだけのことはした。ちゃんと話せば分かってくれたかもしれないのに……。
かさり、と草を踏む音が聞こえた。
「アガレスさん」
振り返るとそこにいたのは今日もきっちり髪を結い上げて、シルバーフレームのメガネを掛けた美人秘書・アガレスさんだった。
「聞きましたよ。サタンと喧嘩したって」
「喧嘩じゃないです。ただ、呆れられてしまっただけです」
俯いた私の隣で、アガレスさんがふっと笑う気配がした。
「それをユキ様は、悲しいと」
私は答えることができなかった。
レヴィアタンにも敵意を向けられることがあった。そのときには湧き上がらなかった感情が、今の私にはある。もう認めざるを得なかった。
「そんなユキ様に、ひとつ昔話をして差し上げましょう」
アガレスさんはすとんとベンチに腰を掛けて、隣を促した。私はそれを受けて隣に座った。
「ユキ様が魔界に来られることを一番反対していたのはサタンでした」
その言葉は何となく予想していたことだった。サタンだけは最初から私に対して辛辣だった。初めは嫌われてるのかなと思ったけど、段々そうじゃないって分かってきた。サタンの性格なら、嫌いな人は徹底的に無視するだろう。現にルシファーとは目も合わせようとはしない。
「今でこそそうないですが、あの七人は次期魔王の座を狙って熾烈な争いを繰り広げていたのですよ」
正直、それはすぐには信じられなかった。私がここに来てから、みんなはそれなりに良好な関係を気付いていたように見えた。とてもじゃないが争っていたようには見えない。
「当初はみんなユキ様の心を射止めるため、猫を被っておりました。あの小悪魔たちが変わったのは、ユキ様、あなたのおかげです」
「わ、たしの……?」
「えぇ」
「でも私、なにもしていませんよ……?」
「ご自分では気付いていないだけです。レヴィアタンなんかは特に根っからの捻くれ者でしたから。素直にユキ様の言うことを聞くのが不思議なくらいです」
アガレスさんは冗談や嘘を言っているようには見えなかった。
「話が逸れましたね。サタンのことです」
アガレスさんは視線を正面に向けた。
「サタンは魔王城に来た最初の小悪魔です。魔王様のことも従者の皆さんのこともよくご存知です。だからこそ、ユキ様が傷付かないようにと働き掛けていたのですよ」
そんなことを言われても困る。
「そんなの……。なんで私なんかに構うんですか……」
アガレスさんはにっこりと笑う。美人が極まった。
「それは皆さんが言ってらしたでしょう?」
私は言葉を詰まらせた。あれ、かな……。「好きだ」と言ってくれるあれ……。
「でも次期魔王の件があるから……」
「もうそれだけではないことはお気付きでしょう? ユキ様は頭のいい方ですもの」
返す言葉もなかった。
本当は気付きたくなかった。気付いてしまったら帰りづらくなる。私の夢は、人間界でひとりでもちゃんと生きていくことだ。ここの人たちと親しくなったら帰れなくなる。
そして私も、彼らのことを好きになりかけている。
「大事なのは、素直になることですよ」
それだけを言うと、アガレスさんは去っていった。
「なに話してたの」
振り返るとそこにはレヴィアタンがいた。
「まぁ、ちょっと」
「ふーん。まぁ興味ないけど」
じゃあ聞くな。このツンデレめ。レヴィアタンはベンチの背もたれに肘を付いて、感心したような声を出した。
「しっかしまぁ、女にしか見えないよね。アガレスさん」
はい? 今なんと?
ぽかんとする私にレヴィアタンは信じられねぇなにこいつという視線を向けてきた。
「え、もしかして気付いてなかったの? アレ女装だよ」
いちばん素直になってないのはおまえじゃないかー!
*
重厚な扉の前で、もう十分はうろうろしていた。この扉を潜ることは、私には敷居が高い。
覚悟を決めるしかないか。私は大きく深呼吸をした。
コンコンコン
思ったよりも軽やかなノック音がする。
「入れ」
誰かも聞かないってことは、私がここにいることは分かってたのかな……? 私はサタンの部屋の扉を開けた。
扉の先のサタンは、机で何か書き物をしていた。私の方を見もしない。
私は後ろ手で扉を閉める。どうしたものかと思いあぐねて、そのまま立ち尽くしていた。やっぱり私の方から言い出さなきゃダメだよね。
「あの」
「おい」
ふたりの声が重なって、再び部屋に沈黙が落ちる。
「……そこのソファに座れ」
沈黙を破ったのはサタンだった。私はおずおずとソファに座る。この沈黙が痛い。
えーいもうどうにでもなれ!
「ごめん!」
「悪かった」
また言葉が重なった。え、今謝ったのってサタンだよね? 聞き間違い?
ふたりともぽかんとした顔をしている。あ、サタンのこんな顔初めて見た。
「なんでサタンが謝るの?」
「いやそれは俺のセリフだ」
なんじゃそりゃ。どう考えたって悪いのは私だ。
「だって勝手にサタンの部屋に入ったのは私じゃん」
「お前がそうしたのはルシファーのせいだろ。俺は……お前に魔力を使うつもりはなかった……」
サタンは私から視線を外して、俯いた。その表情には後悔の色しかない。
私は勢いよく立ち上がるとずかずかとサタンの机まで歩いていった。そしてバンッと机に手をつく。
案の定、サタンは驚いた顔をしていた。
「あれはサタンの大事な物なんでしょう?」
私の勢いに押されてサタンはこくこくと頷いた。こんな顔も初めて見た。
「じゃあ怒っていいの! 大事なものを守るために魔力を使ったんだって分かってる。そのことでサタンが私を傷付けたわけじゃない。優しいくらいの罰だったのに、謝ったりしないで!」
一息で言ってしまって、私は肩で息をしていた。
「お前は……本当に、まっすぐだなぁ」
そう言うサタンは、笑顔を浮かべていた。
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