第七章 『傲慢』ルシファー
15 七人目の悪魔
「おい、誰だそいつは」
背後から声がして、驚いて振り返るとそこにいたのはひとりの男だった。ふわりとした黒髪から覗く黒い目は鋭く、足を掛けた窓枠からひらりと降りると漆黒の翼をしまった。すごい、ようやく悪魔らしい悪魔を見た。
「あ、おかえりルーくん」
「ルシファーお疲れ様でした」
ベル君とマモンさんが迎える。なるほど、ずっといなかった悪魔の最後のひとりか。ルシファーは私にさして興味がなさそうで、マモンさんの方へ歩いてく。
「あぁ。ちょっと骨の折れる仕事だった」
「ルシファーにしては時間が掛かりましたねぇ」
「どいつもこいつも使えないヤツばっかりでさぁ。泣きつくヤツばっかで困る。オレは楽したいのに」
「何だかんだ言ってちゃんと仕事するあたり、あなたもいい悪魔ですね」
「うるせーよ」
彼はマモンさんにぶっきらぼうに言った。そしてその目が、私を捉えた。
なんだろう……その微笑みが怖い……。彼はまっすぐに私の方で歩いてくると言った。
「初めまして白雪。オレが『傲慢』のルシファーだ」
そう言って彼は当たり前のようにキスをした。
「!?」
驚く私と同時に非難の声が上がった。
「ルシファー!」
「ルーくん何してるの!?」
「ルシファーさんちょっと!」
マモンさんとベル君とアスモデウスから責められて、ルシファーはまるで心外といった表情をした。
「え、この世の女は全部オレのものだろ?」
なんだそのガキ大将発想! アスモデウスが後ろから袖で私の唇を拭ってくる。痛い痛い。
ルシファーはニヤッと笑った。嫌な予感がする……。
「なんだ、誰も手付けてないの?」
ルシファーはがしっと私の肩に手を回してきた。
「行くぞ白雪」
その力は強くて、私は逃れることができない。彼に連れ立たれて歩き出した。背後でみんなの不満の声が上がる。
いやちょっと、助けてくれませんかねぇ?
「もうちょっと下。ちげーよ、下すぎ……あぁそこそこ」
私は何をやってるんでしょうねぇ……。さっきから遠い目が止まらない。
ルシファーの部屋に連れ込まれた私は、これから自分の身に起きることを予想して顔を強張らせていた。
しかし予想に反してルシファーはぱっと腕を離すと、ずかずかと部屋の真ん中を進んでどかっとソファに座った。そして首だけで私の方を振り返る。
「おら、何ぼさっとしてんだよ。さっさと肩揉め」
は? 私の耳、おかしくなったんですかね?
固まる私にルシファーは「ほら早く」と続けた。
「未来の旦那サマがお待ちだぞ?」
さすがの私も怒りそうですよ? と口を開きかけたけど、
「次期魔王を誰にするか、決めたんだろ? それに必要なモノがあんの知ってる?」
という言葉でマッサージ係をやる羽目になった。その目はにんまりと弧を描いている。
なんでこんな羽目に……。
「いいからさっさと教えなさいよ」
いいかげん、腹が立ってきた。手に思いっきり力を込める。
「あでっ! いってーなこのヤロ……」
ざまーみろ。人を下僕扱いするからだ。『傲慢』という名に相応しいけど。
「しゃあねぇなぁ。魔王になるにはあるモノが必要なんだ。従者の中でもサタンは一番信頼されている。最初に従者になったヤツだからな。魔王様はアイツにそれを預けた。魔界と人間界の境界の鍵。それが魔王になるために必要なモノだ。それを持ってきてほしい」
ルシファーは首だけで振り返って私を見ると、にっと笑った。
「なんだ、それだけでいいの?」
もっと難しいことだと思ってたから、拍子抜けしちゃった。ルシファーは意外そうに言う。
「へぇ、できんの?」
「取ってくるだけでしょ? 簡単じゃない」
「相手はあの『憤怒』のサタンだぞ。ばれたらタダじゃ済まねーからな」
……安請合いしすぎたかも。
*
誰もいない廊下。私は曲がり角の影からその部屋の様子を伺っていた。
ルシファーの要求を呑んでから三日。私はサタンのストーカーと化していた。いやいやストーカーっていうか張り込み。この三日間でサタンの行動パターンは大体分かった。
まず起床。起きる時間は私と一緒くらいみたいで、広間に朝食を食べに顔を出す。早々と食べ終わるとさっさと自分の部屋へと戻っていく。それから昼までは何やらお仕事をしているようで出てこない。
昼は弁当を持って外に出て行く。ここがチャンスだ。
私はサタンの部屋のドアをそっと開けた。広々とした部屋には机とソファと本棚しかない。殺風景な部屋だな。
私はルシファーに教えられたとおり、机の右側、二番目の引き出しを開けた。サタンは大事なものは必ずここに仕舞うらしい。なんでそこまで知ってて自分で取りに来ないんだろう?
引き出しの中には、小さな小物入れが置かれていた。赤いリンゴの形をした小物入れで、可愛らしいフォルムのそれはサタンにはとても似合わない。私も小さいときは似たようなものを持ってたな。なんでサタンがこんなものを持っているんだろう?
私がその箱を手に取ろうとしたときだった。
「ストーカーの次は窃盗か?」
その声と共に後ろから肩を掴まれた。慌てて振り返ると、そこにいたのは当然。
「サ、サタン……!」
どうしてここに!? まだ戻ってくるには早いはず……。
サタンは大きく息を吐いた。
「お前が数日前から俺を付け回していたのは気付いていた」
ば、ばれてたの……。
サタンはかたっと引き出しを閉めると、私の腕を引っ張った。そしてそのままの勢いで私をソファに突き飛ばす。
「いった……」
レディの扱いはもうちょっと丁寧にしてくれませんかね!
なんて言葉を言えるはずもなく、見上げたサタンの目に私はすっと背筋が冷えるのを感じた。
冷ややかに落とされた目。その瞳には『憤怒』の感情だけが灯されていて、それは私に向けられている。
ルシファーの頼みなんて聞くんじゃなかった。この人にこんな顔をされるなんて……。
今までサタンは、私のことを良くは思っていなかった。口を開けば私に対する嫌味だ。でもそれは私を嫌っているわけじゃなくて、ここにひょこひょこ付いてきたことに対する文句だったと思う。
だけど今は違う。サタンの大事なものを盗ろうとした私は、間違いなくサタンの『敵』だ。向けられる敵意に、私はものすごく後悔した。
「大方ルシファーに唆されたんだろうけど」
そう言いながらサタンはソファをぎしっと軋ませながら、私に覆い被さってくる。両手はサタンの手に固定されていて、身動きが取れない。本当に引き受けなければ良かった……。こんなことになるなんて……!
サタンの顔が近づいてきて、私はぎゅっと目を瞑った。キスされるかと思ったけどそれはいつまで経っても振ってこず、私が目を開けようとしたときふっと息を吹きかけられた。驚いて目を開けると、猛烈に眠気が襲ってきた。
「サタ、ン……ごめ……」
術を掛けられたと気付いたときには、私はもう眠りに落ちていた。
「おーおー、優しいこって」
いつの間にか、壁際にはルシファーが立っていた。サタンはそれを一瞥すると、無視して机に着いた。それをルシファーはニヤニヤ見ている。
「大事なんだねぇ、本当に」
「何の話だ」
「いいの? そんな態度で。俺、本気で取っちゃうよ?」
「好きにしろ」
一度もこちらを見ようともしないサタンにふっと笑いをこぼすと、ルシファーは部屋を出て行ってしまった。
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