14 決意の朝

 二日連続ぐっすり眠れて、少しは調子も戻ってきた。

「うっ」

 思わずそんな声を出してしまったけど、仕方がない。廊下でばったりレヴィアタンと出くわしてしまったのだ。

 レヴィアタンも気まずいのか、しばらく視線を彷徨わせたあと、口を開いた。

「白雪さん、最近ベルフェゴールと寝てるの?」

「うん……」

 私はなんだかいけないことをしているようで、そう小さく返事した。彼の瞳が弧を描く。

「へぇ、魔界にいたくないとかいうわりにはちゃっかりしてるじゃん。そうやって取り入ってく気なんだね」

 頬がかあっと熱くなった。

「違う! そんなんじゃない!」

 ベルフェゴールは私のことを気遣ってくれたのに。そんなことを言われる筋合いはない。

「どうかな」

 レヴィアタンはにやにやとした目で私を見ていた。

「なーんだ。レヴィくんも白雪ちゃんと寝たいの?」

 レヴィアタンの背後から幼い声が聞こえた。彼の後ろから、ひょこっとベル君が顔を覗かせる。

「白雪ちゃんを独り占めしようだなんて許さないぞー」

「違う!」

 レヴィアタンは慌てた様子でベル君を振り払おうとする。でもすばしっこいベル君はひらりとそれをかわしていた。

「でも僕も妬けちゃうな。ベルフェくんばっかズルイ」

 逃げながらベル君は私に向かって意味深な笑みを投げかけてきた。レヴィアタンが軽く本気で追い回しているのに余裕だな……。

 結局、ベル君とレヴィアタンは追いかけっこをしたまま出て行ってしまった。

 うーん、レヴィアタンのは『嫉妬』だとしても、私ももうちょっと考えるべきだったのかもしれない。ただの抱きまくらとはいえ、男の人と毎晩寝てるのはやっぱり外聞悪いよね。ベルフェゴールに安眠グッズ借りようかなぁ。

 そう思いながら私は彼の部屋に向かうことにした。


   *


「おい」

 廊下を歩いていると、後ろからぶっきらぼうな声がした。

「なぁに、サタン」

 案の定、サタンだった。『おい』とか『お前』とかいう名前じゃないんだけどなぁ、私。

「普通に話せないの? あなたは」

「これが俺の普通だ」

 強情だなぁ。まぁいいけど。

「……今夜もベルフェゴールと寝るのか」

 辺りに沈黙が落ちた。サタンは落ち着かなく視線を彷徨わせていて、私の方を見ていない。

「うん……って言ったらどうするの?」

「どうもしねーよ!」

 噛み付くように言うその言葉は、どう見ても嘘だ。いつもきつい態度のサタンがなんだか可愛くて、私は思わず笑ってしまった。

「嘘だよ。誤解を招くようなことはやっぱダメかなって、今日からちゃんと自分の部屋で寝るよ」

 そう言うとサタンは目に見えてほっとした表情を浮かべた。どうしちゃったの? いつものサタンじゃないよ?


   *


 今日だけは、扉が開くのを待った。

「白雪?」

 扉を開けたベルフェゴールは、案の定、不思議そうな顔をしていた。いつもはノックして返事をされたら自分で開けるんだから当然だ。

 ベルフェゴールは少し横にずれて私を通そうとする。だけど足を動かそうとしない私を見て、口を開いた。

「決めたんだね」

 相変わらず察しがいいなぁ。本当にベルフェゴールはいろんなことをちゃんと見ている。

「ごめんね、と、ありがとうを言いに来た」

 私は笑顔でベルフェゴールを見上げる。

 思えばベルフェゴールには悪いことをした。彼は黙って傍にいてくれたけど、たぶん私が少しでも天秤を傾けたら次期魔王に名乗りを上げてたんじゃないだろうか。

 そう感じるのは私の思い上がりかもしれないけど。

「ごめんは言わなくていいんだよ」

 俯きかけた私の顔を、ベルフェゴールは引き戻した。

「自分は」

 ぽつりとベルフェゴールは話し出す。少しずつ糸を紡ぐような彼の話し方が好きだった。

「白雪のことが大事だから、白雪が進みたい道を進めばいいと思う」

「……ありがとう」

 ならばやるべきことはひとつだ。


 夜の帳は完全に落ちた。

 今日二回目の緊張するノックだ。だけど返事がなくて、私はごくりと唾を飲んだ。

「開いてるよ」

 長すぎる沈黙の後、ようやくその声が返ってきた。

 私はそっと扉を開ける。

「なに? ベルフェゴールの次は僕に夜這い?」

 私はぱたんとドアを閉めて、それを背に立った。誤解されるようなことは、もう駄目だ。

「違うよ。ベルフェゴールには今日から一人で寝るって言ってきた」

「それをわざわざ僕に言って、どうするの?」

 私は口を噤む。そうだ、別にレヴィアタンに報告する必要性なんてない。ましてや仲違いしてた相手だ。

「誠実で、ありたいなって思って」

 結局のところ、そこに行き着く。

 不可抗力とはいえここに来て、政権争いに巻き込まれた。嫌だと思うならもっと主張しなきゃいけなかった。

 誰かが傍にいるという暖かさに、私は甘えてしまっていたんだ。

「もう、みんなのこと知っちゃったから」

 レヴィアタンは怪訝そうな顔をしている。

「私さ、向こうじゃあんまり親しい人がいなかったんだよね。うちの家庭環境ってちょっと特殊でさ、ひとりでもちゃんと生きていかなきゃって思ってた。だから誰かに頼るのって苦手で……」

 こんな風に話すのは初めてだ。レヴィアタンは黙って聞いていた。

「ここで暮らすの、楽しくなってたの。こっちの事情なんてお構いなしにみんなぐいぐいくるから……。レヴィアタンが私の駄目なとこをズバズバ言ってくれるの、ほんとは嬉しかったんだよ? 今までそんな風に言ってくれる人いなかったから」

 ひとりでできるでしょう? と周りに距離を置かれてきた。最初にそうしたのは自分かもしれないけど、もう私には甘え方が分からなくなってしまっていた。

 この魔王城で知ったものは、生きる上できっと必要なものだったんだと思う。

「これでも私、魔界気に入ってるんだよ? レヴィアタンの希望どおりにはいかないかもしれないけど……」

 私は俯いてしまう。レヴィアタンが大きくため息をついたのが分かった。

「君の気持ちなんて筒抜けだし」

「え!?」

 呆れ顔のレヴィアタンは私の元へ歩み寄ると、グーでおでこを小突いた。

「腹括ったんなら別に反対はしない。未来がどうなるかなんて誰にも分かんないんだし、せいぜい足掻けば?」

 やれやれといった風体でレヴィアタンは私に背を向ける。小突かれたおでこはそんなに痛くはなくて、むしろぬくもりを感じた。

「レヴィアタン……ありがとう!」

 レヴィアタンは後ろを向いたままひらひらと手を振った。

 彼の先にある窓の外には、満天の星空が輝いていた。


   *


 さて翌日の朝である。ちなみに憑き物が落ちたように、ひとりでもぐっすり眠れました。悩みが解決するのって効果テキメンだなぁ。

 しかしまぁ、別の悩みが浮上して、私の心臓は早鐘を打っている訳だ。

 やっぱり人間界で生きていきたいって気持ちはあるし、それは魔王様に頼んで何とかしてもらおう。私は、厳しいことも言うけれど、いつも私のことを一番に考えてくれる彼の傍にいたい。

 いざ言おうと思ったらお腹が痛くなってきた……。

「白雪ちゃん、ごはんおいしくない?」

「うへ!? いやいやおいしいです!」

 やだやだ変な声が出ちゃった。ベル君はなにも言わなかったけど、怪訝そうな表情をしている。

 朝食の席にはみんなが揃っていた。初めは三人だけだった広間だ。アスモデウスはベタベタ触ってくるし、ベル君はパンをボロボロ零している。半分寝ながらスープを飲んでるベルフェゴールと、むすっとしながらそれでも全部食べようとしてるレヴィアタン。それから頬杖を付いて食べるサタンに小言を言うマモンさん。

 こんな風に誰かと朝ごはんを食べる日が来るなんて、一ヶ月前には思いもしなかった。

 だからこそ、この均衡を崩すのが怖くなる。

 私はこの中からひとりを選ばなければならない。選ぶつもりなんてなかった。人間界に戻ることをずっと望んでいたはずだった。

 だけど、心が動いてしまったら、もうどうしようもないんだ。

「ねぇみんな。私、みんなに言いたいことがあるんだ」

 全員の視線が私に集中する。

「私、決めたんだ。誰を伴侶に選ぶか。私は……私は」

「おい、誰だそいつは」

 凛とした声が響いた。

 振り返った先にいたのは、黒髪黒目、背中に黒い翼を持つ目付きの鋭い男だった。

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