10 信じるということ

 うんうん、何て? いま媚薬って言った?

「アスくんの『色欲』が効かないから白雪ちゃん、魔力の耐性が強いのかなーって思ったけどやっぱりそうみたいだね。お菓子にボクが作った媚薬混ぜてたんだけどやっと効いた」

 い、今までのにも混ざってたんですか……。

 混乱する私をよそに、ベル君は覆いかぶさってきた。

「『色欲』があるのはアスくんだけじゃないよ?」

 そう言って唇を重ねてくる。その幼い顔立ちとは裏腹にキスだけは大人っぽくて、絡み合う舌に私はなす術もない。媚薬の効果で動けない私は、ただ吐息を吐き出すしかなかった。

 びくりと体が強張った。

 ブラウスの裾からベル君の手が入り込んできた。ベル君はくすりと笑う。

「怖がらなくて、いいよ」

 違う! そうじゃない! こういうのは同意の上で行うものだと思うの!

 そうは思うけど、今の私にはどうすることもできない。いつもと違うベル君が何だか怖くて、私はぎゅっと目を瞑った。

 ガッと音がしたのはその時だった。

 そっと目を開けると、ベル君は壁際にうずくまっていた。そして私の傍に立っていたのは――

「参戦しないんじゃなかったの、サーくん」

 鋭い視線をベル君に向ける、サタンだった。

 サタンは私の肩をぐっと引き寄せる。痛いほどの力で掴まれる肩に、私は身動きが取れない。

「無理強いはしないんじゃなかったのか」

 ベル君は後ろで手を組んで、小首を傾げた。

「んー、そのつもりだったんだけどねぇ。白雪ちゃんも食べたくなっちゃった」

 可愛らしい表情をしてるけどセリフと合ってない!

「食うのは食べ物だけにしとけ」

 媚薬の効果でまだ足腰立たない私を、サタンはひょいっと抱き上げた。これは……俗に言うお姫様抱っこというやつじゃないですかい……?

 サタンはくるりとベル君に背を向けると、私を抱いたまま歩き出した。


 サタンはそのまま黙って廊下を進む。

 もちろん私を抱き抱えたまま。こんなの恥ずかしすぎる。今すぐ降りたいけど、まだうまく身動きが取れなくて、それは叶わない。

「あの……サタン……」

 私はようやくその言葉だけを吐き出した。

 サタンは進行方向を向いたまま、私の方を見ようとしない。

「もうちょっと警戒心を持て」

 その声は硬い。怒っているようなサタンに、私はなにも言うことができない。

「俺らは敵ではないけど、味方でもないんだぞ」

 そんなこと、言われなくても分かってる。ここでは私は駒のひとつでしかないことは、最初に説明されたから。魔王選定のためのひとつの駒。そんなの改めて言われなくても分かってる。

 サタンは私の部屋の前に辿り着いた。両手が塞がった状態でどうやって開けるのかなと思ったら、サタンが何かを呟くとドアノブがぼうっと光ってドアが開いた。おぉ、こういう魔法も使えるのか。

 そのままサタンは乙女チックな部屋を進み、私をベッドにそっと下ろす。

「外から開けられない術を掛けておくから、ゆっくり休め」

 それだけを言ってサタンは部屋を出て行こうとする。

「サタン……」

 まだうまく喋れなくてその声は消え入るようだったけど、サタンの耳には届いたようで首だけで振り返った。

「ありがとう……」

「あぁ」

 短く返事をすると、今度こそ出て行った。


   *


 中庭をぼーっと眺めながら、私は柔らかな日差しを浴びていた。

 外から見たときは、「ザ・魔王城」みたいな外観の城だったけど、中庭には癒しの空間が広がっていた。たくさんの花々が咲きほころび、さらさらと小川が流れている。中央にある石造りのアーチがおしゃれだ。これも魔王の趣味なのかな。ますます分からなくなってきたぞ、魔王……。

 とにかくまぁ、少し一人でぼんやりしたくて、中庭の一角に置かれたベンチで私はぼんやりしていたわけだ。

「しーらゆーきちゃん!」

 その声と共に視界が閉ざされた。私の目を覆うその小さな手の持ち主は。

「なにやってんの、ベル君」

 私がその腕を掴むとあっさりと光が戻ってきた。ベル君はそのままベンチを回り、私の隣に座ってくる。

「……どうしたの、その顔」

 ベル君の左頬は見事に青あざになっていた。ベル君はえへへーと頬を撫でる。

「ちょっと馬に蹴られちゃったカンジかなぁ」

 何のことを言ってるんだ?

 足をぷらぷらさせるベル君の隣で、私は空を見上げる。穏やかな空気が流れていた。

「白雪ちゃん」

 ベル君がふいに私の名前を呼んだ。

「んー?」

「……ごめん、ね」

 神妙な顔で呟くベル君を私はじっと見つめた。沈黙が流れる。

「あの……白雪ちゃん……」

「ベル君、本気じゃなかったでしょう」

 私の言葉にベル君はまた黙り込んでしまった。

 優等生を通してきたから、人の考えていることは何となく分かる。ひとりでも、うまくやっていかないといけなかったから。

 あの時のベル君は、たぶん本気じゃなかった。媚薬こそ使ってはいたけれど、私が泣くか暴れるかしたらやめるつもりだったんじゃないだろうか。

「あんまり簡単に悪魔を信じるなって教えようとしてくれたんでしょ?」

 サタンという邪魔が入っちゃったけど。

「いや、うん……」

 ベル君の返事は曖昧なものだった。そんなに媚薬使ったのが後ろめたかったのかな?

「でもベル君は優しい悪魔だよ。もう信じるな、なんて無理」

 にっと笑って私は言った。ベル君は面食らった顔をしている。そしてやがて声を上げて笑い出した。

「あっははは! やっぱボク、白雪ちゃんのこと好きだ!」

 サタンはああ言ったけど、「味方」じゃなくても信じることはしてもいいんじゃないだろうか。少なくとも、私はもう――。

「ありがと。私もだよ」

 さぁっと風が吹いて、庭の草木と私たちのわだかまりを揺らしていった。

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