第四章 『暴食』ベルゼブブ

9 甘いものにはご用心

「白雪ちゃーん? ご機嫌ナナメ?」

 書庫でぼんやりしていた私に声を掛けてきたのはベル君だった。

「うんにゃ。読書に身が入らなかっただけ」

 魔王城の一室、この書庫にはどういうわけか人間界の本もいっぱいあった。ここにいる間、勉強したくてもできないし、普通の小説から参考書まで揃ってるから助かる。こんな状況だけど戻ったら勉強に身を入れなきゃいけないから。

 私はマモンさんがいないときでも、入り浸るようになっていた。

「だったらさー、おやつタイムにしない?」

 ベル君は可愛らしく小首を傾げた。


   *


 曲がりなりにも私も女子である。この光景にときめかないわけがない。

「人間界のお菓子はおいしいよね。マドレーヌにフィナンシェ、ザッハトルテ、マカロン、タルト、モンブラン、その他いろいろ! どれから食べる? あ、紅茶もいろいろあるよ」

 夢のような光景である。ベル君の部屋のテーブルには、所狭しとスイーツが並べられていた。

「どうしよう……目移りしちゃう……」

 目が本気になっている私にベル君はふわふわと笑った。

「全部半分ずつ食べちゃう?」

「いやっ、そんなに食べたら太る……!」

 よく考えたらベル君はこれだけ食べても太らないんだよね? ずるい……。

 じとっとした目付きでベル君を見てると、彼はくすっと笑ってマカロンをひとつ手に取った。

「はい、あーん」

 ……不覚にもちょっとドキッとしてしまった。

 いやいやだってベル君だよ!? 人間で言ったら小学校高学年くらい? そんな外見だ。小さい子にときめくなんてあるわけない!

 私は平静を装って、差し出されたマカロンにぱくっとかぶり付いた。

「おいしい?」

 ベル君はまったく動揺していないようで、笑顔でそう聞いてくる。私ひとり焦ってバカみたいだ……。

「うん……」

 ベル君はそんな私を見て嬉しそうな表情をした。


「そういえばベル君は何歳なの?」

 私が迷うまでもなく、テーブルの上のスイーツはベル君の手によってすごい勢いで消費されていく。うーん、魔王城ってエンゲル係数高そうだなぁ。その様子を見るだけでお腹いっぱいになる。私はアップルティーを口にした。

「僕? うーんと、百二十歳くらいだったかなぁ?」

 そしてそのままむせた。

「大丈夫!?」

 慌て顔のベル君に返事をする余裕もなく私は咳き込む。

「え、年上……?」

 まだぜいぜい言ってるけど、何とかそれだけ言えた。

「そうだよー。七人の中で僕がいちばん年下。いちばん上はルーくんとマモさんだったかな? 何歳だったか忘れたけど」

 うっかり忘れてたけど、みんな悪魔なんだよね……。百超えててもおかしくないか……。

 ベル君はいたずらっぽく笑った。

「年上は、キライ?」

 ……なにその顔! あざとい!

 私があわあわしていると、ベル君はいつもの調子でくすっと笑った。

「なんてね。僕は白雪ちゃんのこと好きだよ」

 そう言うと立ち上がって、お茶のおかわりを淹れにいった。

 ……悪魔だ。年上だろうが可愛かろうがほだされないんだからー!


 粗方お菓子を片付けてしまったベル君は、紅茶を飲んで一息つく。

 うーん、いい息抜きになった。

「ね、お疲れでしょ? ここで毎日午後のお茶会しようよ」

 その申し出はすごく魅力的だ。なにせこのスイーツの山だ。悪魔の誘いだ。

「……うん」

 欲望に勝てなかった自分に腹が立つ!


   *


「うーんおいしい!」

 私はフォンダンショコラを一口食べて、思わず声を上げてしまった。だって甘いものは食べたいもん! 己の欲望に忠実でなにが悪い!

 そんな私を見て、ベル君はくすくす笑っている。

「……なによ」

「ううん。そんなに幸せそうな顔で食べてくれたら、僕も幸せ」

 ……そんな笑顔で言われたら、逆に食べづらい。が、私はごまかすようにぱくりとまた一口食べた。

 今日テーブルの上に広がるのは、フォンダンショコラをはじめとしたチョコレート色一色。ガトーショコラにトリュフ、生チョコ、ブラウニー、オランジェットにショコラムースとそれからホットショコラ……。ベル君チョコ天使か。いや悪魔だった。

「白雪ちゃんはさぁ」

 ベル君がいつもの調子で切り出した。待って待って、フォンダンショコラ熱い。

「誰も選ばないつもり?」

 ベル君の顔は笑っていなかった。見たことがない表情に背筋がひやりとする。

「ベル君、私はね、欲張りなんだ」

 静かに話し出した私に、ベル君は黙ったまま聞いている。私はマモンさんとの会話を思い出していた。

「ひとりでも生きていける力がほしいの。人間いつひとりになるか分からない……。だから、私は誰かに頼ろうとは思えない」

 あーあ、ついに言っちゃった。

 仮にも七人は悪魔だ。悪魔は人間を騙すものっていう認識がある。みんなと触れ合って、全員がそうってことはないのは分かったけど、みんなが望んでいることを私は望んでないのはやっぱり簡単には口に出せない。

 だからベル君にペロッと言っちゃったのは早急だったかもしれない。でも言っちゃったのはベル君の人柄のなせる技だろう。真顔にさせちゃったけど。

「僕らがそれを許すとでも?」

 その瞬間、ふっと力が抜けた。すとんとソファの背もたれににへたり込む。なんだこれ?

 私の目の前にベル君が立った。ベル君は今までに見たことがないような妖艶な笑みを浮かべて私を見下ろしていた。

「ベル……君……?」

 声を出すのもやっとだ。というか私がこんな色っぽい声出せるなんて! 普段だったら真っ赤になりそうなところだが、今はそれどころではない。

「媚薬って、知ってる?」

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