8 それはとても強い欲

 今日も今日とて本を読む。

 暖かな日差しが差し込む書庫は、ともすればうつらうつらと眠ってしまいそうで、だけど私とマモンさんはぱらりぱらりとページをめくっていた。

 なんですかねこの居心地の良さ! ここに来て初めて心安らげた気がする。

 だけどそのぬるま湯に浸かっている場合じゃない。

「あの、マモンさん……」

 フレームの奥の切れ長な瞳が私を捉えた。

「なんですか?」

「マモンさんは、お仕事はいいんですか?」

 マモンさんはぱたんと本を閉じた。そして立ち上がって机を回ると、私の隣に腰を下ろした。

「今日の分は終わらせてきているので大丈夫です。この本も必要な資料ですし。それとも」

 すっとマモンさんの手が伸びてきた。

「私と過ごすのはお嫌ですか?」

 マモンさんの右手は私の頬に触れた。その瞳は切なげに揺れていて。

「そそそそんな滅相もございません! ウェルカムです!」

 経験値の差か! 私はマモンさんの手のひらの上で踊らさせれっぱなしだ!

 マモンさんはにっこり笑った。

「なら構いませんね」

 そう言ってそのまま私の隣で読書を再開した。

 これが大人の余裕か……。よーし参考にさせてもらうぞー。

 私は赤くなった頬を落ち着かせようと、気持ちに蓋をしてそんなことを考えていた。

「そ、そういえばどうして魔王サマは私がこの書庫を使うのを許してるんですか?」

 うぅむ動揺が収まってない……。しかしどもっちゃった私にマモンさんは気付かないふりをしてくれた。

「魔王様は白雪さんのことを大層お気に召していたようですよ。床に伏せられるまで、白雪さんが来る日を心待ちにしているお姿を拝見していました」

 どうして私だったんだろう? お母さんと魔王サマが交わした約束を、私は知らない。

 そもそもどうしてお母さんが魔王と知り合いになったのかが疑問だ。あの人にはこういうファンタジーなことは似合わない。はっ、まさかあの有能さは魔王と契約して手に入れた……?

「もちろんそれは、私たちも同じです」

 難しい顔で考え込んでいた私は、マモンさんのその言葉に顔を上げた。その瞳は優しげに細められていて。

「やっぱりマモンさん、『強欲』じゃないみたい」

 私はくすっと笑った。

 従者のみんなは次期魔王の座に着くために、あの手この手を使ってきている。だけどマモンさんだけは、みんなと違う気がした。言うなれば、それは『家族愛』みたいな。

「いいえ、私は『強欲』なんですよ。次期魔王にはなりたい。皆さんとも良好な関係を築きたい。そして白雪さんもここで楽しく過ごしていただきたい。欲だらけです」

 そう言ってマモンさんはにっこりと微笑む。

「なんだそんなこと。人間ならもっと欲深いですよ」

 私だって国立大入りたいし国家公務員になりたいし安定した生活が欲しい。そのためにこの状況を利用してるわけだけど……。

「マモンさんは、本当は魔王になりたくないんでしょう?」

 マモンさんは一瞬驚いた顔をして、それからにっこりと笑った。

「ばれちゃいました?」

 その声には、いたずらがばれたときの子どものような響きが混じっていた。マモンさんがそんな風に言うのは珍しい。

「私よりも魔王に向いている男がいる……。私は、上に立つよりもそのサポートをしたいんですよ」

 言われてなんだかすとんと納得した。

 マモンさんは、積極的ではないにせよ次期魔王レースに一応参加の姿勢を見せていて、だけどどこか一歩引いてる気がしていた。

「好きなんですね、サタンのこと」

 マモンさんは黙ったままにっこりと微笑んだ。否定も肯定もしないことが、答えを物語っている。

「口は悪いですけどね」

 確かに。私たちはぷっと吹き出した。

 なんかなぁ、お兄ちゃんがいたらこんな感じだったのかなぁ。でもそれを言ったらマモンさんはショックを受けそうだから、私は黙っておいた。一人だけ年上ポジションだったら、複雑な気分になりそうだもんね。


 そんな訳で、頼れる相談役ができたのでした。


   *


「あ……」

 その声はハモった。

 書庫から出てきたアスモデウスと鉢合わせしたのである。気まずそうな顔をして、彼は私の横をすり抜けていく。

「……アスモデウス!」

 私はたまらず叫んでいた。アスモデウスは立ち止まったけれど、こっちを振り向かない。

 その場に沈黙が落ちる。なんて言ったらいいんだろう。

「あの、さ」

 とにかくなにか言わなくちゃ。私の気持ちは変わらないんだし。

「アスモデウスの気持ちは、嬉しかった。私、今まで誰かに好きだって言ってもらったことなかったから……」

 アスモデウスは黙っている。

「だから……気持ちには応えられないんだけど……。……ありがとう」

 あんなにうだうだ悩んだことが、結局こんなに短い言葉にまとめられてしまった。アスモデウスはあんなに真剣に想いを伝えてくれたのに。自分が情けなくて嫌になる。

 アスモデウスは大きく息をついた。

「惚れた弱みって、こういうことかぁ」

「アスモデウス……ごめ」

「ストップ! それ以上は言わないで! 悪魔でもそれなりに傷付くし!」

 アスモデウスが表情を見せてくれたことが嬉しくて、私は思わず吹き出してしまった。しまった、こんな状況なのに……。

「……ありがとう、白雪さん」

「私の方こそ……ありがとう」


 笑っていたアスモデウスを見送った。背後でかたりと音がした。そういえばここは書庫の前だ……。

「マモンさん?」

 ドアを開けておずおずとマモンさんが出てきた。

「すみません、盗み聞きするつもりはなかったのですが……」

 心底申し訳なさそうな顔をされてはこっちも何も言えない。マモンさんには相談に乗っててもらってたんだしね。どうせ報告するつもりだった。

 マモンさんは柔らかな笑顔で私を見てくる。

「どうやら丸く収まったようですね」

「マモンさんが話を聞いてくれたおかげです」

 私がそう言うと、マモンさんはポンポンと優しく頭を撫でてくれた。

 やっぱりお兄ちゃんポジションだよなぁ。

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