5 男は狼なのね
静かな廊下を、肩を抱かれたまま歩く。豪華なお城は廊下までやっぱり豪華で、床に敷かれた真っ赤な絨毯はもちろん、壁際に飾られた絵画や壷まで贅を尽くしたものばかりだった。やっぱあれかな。魔王だから滅ぼした町とかから戦利品として持ってきてんのかな。
そう考えてたとき、アスモデウスの足はぴたりと止まった。
「アスモデウス?」
「なんで、なにも言わないの」
おずおずとお見上げた私の目に映ったのは、納得がいかない表情をしたアスモデウスの顔だった。
「え、何が?」
突然そんなことを言われてもわけが分からない。首を傾げる私を見て、アスモデウスは盛大な溜め息をついた。
「だーかーらー! このまま俺に食われちゃってもいいのかってこと!」
あぁそのことか。
……えっ本気だったの!? 昨日今日会ったばっかの子を食べようとかする!?
アスモデウスはとんっと私を壁に押し付けた。真剣な目で私を見下ろしてくる。
「男は狼なんだよ? 分かってる?」
アスモデウスは昨日のような妖艶な瞳を向けてくる。どこからか甘い香りが漂ってくるような気がするけど、彼からだろうか?
アスモデウスはゆっくりと顔を近づけてきた。
「ストップ!」
残念ながら私の手はフリーだ。右手でアスモデウスの顔を押しのけた。
「『色欲』のアスモデウスってのは分かるし、なんで自分がここにいるかも分かってる。けど人間界じゃこんな風にいきなり手を出すのはNGなの! 悪魔でも人間流に来て!」
自慢じゃないが、年齢イコール彼氏いない歴の私である。いい大学に入るため、国家公務員になるためそんな暇はない、なんて口では言っても普通の女子高生だ。イケメンに迫られたら照れもする!
赤くなった私に口を押さえられたまま、アスモデウスはぽかんとしていた。うぅぅ人間の理屈が通じないとかやめてくれ……。
「なんで、平気なの?」
「へ?」
ようやく返ってきた言葉はそれだった。どういうこと?
「『色欲』のアスモデウス様だよ? いま割りと本気出したけどなんで効かないの?」
……いやそんなこと言われましても、あなたがフェロモンばんばん出すのは昨日で分かったし、ちょっと気をつければいいんじゃないの……?
本気で言ってることが分からない私を見て、アスモデウスはやがて笑い出した。
「あの、アスモデウス……?」
「気に入った! 俺の『色欲』が通じない相手は初めてだ。本気でいくから覚悟してろよ、白雪さん?」
そう言ってニッと笑うと、アスモデウスは私に背を向けて歩き出した。
本気って……。どういうことなのよー!
*
鳥の鳴き声がする。カーテンの隙間から差し込む朝日が私を眠りから呼び起こす。
だから魔界なのに爽やかな朝ってどういうことだ。
私はゆっくりと目を開けた。
「おはよう白雪さん」
目の前にはアスモデウスの顔があって。
「がふっ!」
反射でぶっ飛ばした。
「おはようアスモデウス。ごめんね」
ベッドの下でうずくまるアスモデウスはよく見たら半裸だ。あ、朝から食う気満々ですか。油断も隙もない……。
「それ謝ってないよねー。なんでこうも効かないかなぁ?」
このやり取りは毎朝のことです。もう慣れっこというものです。
アスモデウスが言うには、彼のフェロモンを前にすればどんな人もイチコロらしい。私からすればそんなのは眉唾物な気がするけど、やっぱ仮にも悪魔なんだから本当なのかな。でもそうだとしたら、なんで私には効かないんだろう?
「はいはい。着替えるから出てって」
「手伝う?」
アスモデウスはいい笑顔で聞いてくる。私は満面の笑みを浮かべた。
「ぶっ殺されたいの?」
こわーい、なんて言いながらアスモデウスは部屋を出て行った。なんだかんだで本気じゃないんだよなぁ。
私は白い乙女チックなタンスを開けた。……これも魔王の趣味なんだろうか。白い木製のタンスは金色の取っ手が付いていて、とても可愛らしいものだった。魔王の少女趣味がだんだん濃厚になってきた。まぁ高そうではあるんだけど……。
その中には淡い色使いの可愛らしい服がところ狭しと並んでいた。ミニスカワンピとかレースのスカートとか、自分じゃ絶対買わないだろうなぁ。TシャツGパンで充分。魔王がこの服揃えてるとこ想像したらちょっと笑える。
まぁとにかくこれしかないわけだから、仕方なく私はそれに着替える。花柄ワンピースにレギンス。下履いておけばミニスカでも気にならないかなぁ。
「お、今日も可愛いね」
扉を開けるとそこには壁に背中を預けてアスモデウスが立っていた。先に広間に行ってていいのに。
「変じゃない?」
「可愛いよ。似合ってる。今すぐ脱がせたいけどいててて!」
余計なことを言うのはこの口か! 私は彼の頬を思いっきりつねり上げる。
「こういう服持ってなかったから似合うか心配なのよ。これ、魔王様が用意したの?」
アスモデウスは頬を擦っていた。あ、ごめんね。結構赤くなってる。
「ってアガレスさんは言ってたよ」
「そうなんだ……」
やっぱ魔王は乙女趣味なの?
*
そんな日々がしばらく続いた。
「アスモデウスもよく飽きませんねぇ」
マモンさんはそう言いながら私の前にティーカップを置く。
「ありがとう」
アスモデウスの色仕掛けは相変わらず続いていて、その度に私に吹っ飛ばされている。悪魔が女の子に負けてていいの……?
それでもしつこくつきまとってくるアスモデウスにうんざりしながらも、穏やかな日々が続いていた。
ここに来て、魔王城内を探検するくらいしかやることがないからしてみたけど、そろそろ飽きてきた。魔王様の部屋とか行っちゃいけないと言われたところは言いつけを守って行かなかったけど、いいかげん退屈だ。
「ねぇマモンさん。何か暇を潰せるようなことないかな?」
「そうですねぇ」
マモンさんはふむ、と顎に手を当てる。
「いいかげん退屈なのよねー。向こうじゃ学校行って家事して暇なく過ごしてきたから」
「学校、ですか?」
興味深そうな顔でマモンさんが尋ねてきた。
「そう。こっちにはないの?」
「教育機関というものはありませんねぇ。悪魔は体で覚えますから。人間界にそういったものがあるのは知識としては知っていますけど」
そうなんだ。やっぱ人間界とは違うんだなぁ。
「じゃあさ、じゃあさ! 白雪ちゃんは料理上手なの?」
ベル君がキラキラした瞳で聞いてくる。
「一応は。一通りはできるよ」
「ボク、白雪ちゃんの手料理食べたいなぁ」
「いいけど」
「やった!」
でも魔界も向こうみたいな食材あるのか?
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