第二章 『色欲』アスモデウス
4 悪魔の常識は人間の非常識
鳥の鳴き声がする。朝日がカーテンの隙間から差し込んで、私を眠りから覚まそうとする。
あぁ、朝か。ゆっくりと開いた目に飛び込んできたのは――
「おはよう白雪さん。よく眠れた?」
低音魅惑ボイスと甘い顔立ち。
「うっわ!」
叫び声と床に転がる音。アスモデウスがベッドの下に転がっていた。
あ、反射でぶっ飛ばしちゃった。
そこでようやく思い出した。
ここは魔界。私は次期魔王を選ぶために連れてこられたんだった。
案内された部屋は魔王城の名に似合わず、ピンクを基調とした可愛らしいものだった。天蓋つきのベッドを始め、レースのカーテンや白い木製のキャスター。魔王が乙女趣味だったらちょっと引く。
「白雪さーん! 寝起き早々なんてことすんのー」
ぶっ飛ばしてそのまま放置してたアスモデウスが非難の声を上げた。
「そっちが悪いんでしょ。乙女の寝室に入り込むなんて切腹ものよ」
私は大きく伸びをしながら言った。中学のときから空手は続けてるけど、まさかこんなところで役立つとは。
「で、なんなんですか」
私はアスモデウスの顔を押しのける。性懲りもなくベッドに上がりこんできて抱きつこうとするなんてどういう了見だ。
「なにって、おはようのチューだけど?」
「当たり前のように言わないでください。そんなことしても伴侶に選ばないわよ?」
悪魔ってみんなこうなのか!? 人間式の正攻法で来てください!
アスモデウスはあっさりと離れていく。
「まー起きたんなら、ごはんだよ?」
タイミングよくグーッとお腹が鳴った。アスモデウスはくすっと笑う。
だって昨日から何も食べてなかったんだもん!
*
案内された大広間は、ここってやっぱり『城』だったんだなぁと思わせる一室だった。
ながーいテーブルに、壁には豪華そうな絵画。全体的に黒い男の人の絵だけど、これ魔王様かな。テーブルの上にはフォークやらスプーンやらたくさん並んでいた。
「白雪ちゃんおっはよー! よく眠れた?」
「白雪さんおはようございます」
そしてベル君とマモンさんが先に席に着いていた。
「おはようございます。おかげさまでよく眠れました」
昨夜、高飛車に部屋に案内させた私は、睡眠を妨害したらぶっ飛ばすという趣旨のことを言い残して、部屋に引きこもったのだ。おかげで朝まで熟睡です。
マモンさんに促されて上座の横の席に着く。と、顔を上げて目に入ってきたのは仏頂面のサタンだった。
「サタン、挨拶」
マモンさんは静かにサタンに告げる。
「……はよ」
それが挨拶か!
マモンさんは目を伏せて溜め息をついた。
「……おはようございます」
それでも返さないわけにはいかない。なまじ優等生で通っちゃってるもんだから、こういうのはちゃんとしないと気持ち悪いんだよねー。
「とにかく朝ごはんにしよ!」
ベル君の明るい声が響いた。
その五分後。
みんな何気ない調子で食事を続けている。が、私の箸っていうかフォークは完全に止まってしまっていた。
料理がひどいっていうわけじゃない。普通に人間食で逆に驚いたよ。私に合わせてくれたのかな? 悪魔って人の生き血を啜ってる感じだし。そしてなかなかにおいしいものだった。空腹のせいもあるけど、それを抜きにしてもおいしい。
そう考えてる間にもガツガツ言う音は聞こえていた。
「マモンさん……」
私は隣に座る彼に声を掛けた。
「なんですか?」
「ベル君のあれは、大丈夫なんですか……」
私の指差す先、斜向かいに座ったベル君の前には、空になったお皿が山と積まれていた。あ、また一皿増えた。
マモンさんはふっと吹き出す。
「大丈夫ですよ。なんてったって『暴食』ですからね」
「それ、昨日も言ってたけど何なんですか?」
マモンさんは静かにフォークとナイフを置いた。
「私たち七人が司る二つ名ですよ。私は『強欲』、アスモデウスは『色欲』、ベルゼブブは『暴食』だから、あのとおり大食らいですね」
ガツガツ食べ続けるベル君に視線をやった。あれだけ食べてもあの体型なんだなぁ。うらやましい……。
「でもマモンさんはあんまり『強欲』って感じじゃないですよね」
私は笑いながら言った。マモンさんは虚を突かれたような顔をする。そしてするりとメガネをはずした。そしてその手が私の髪へと伸ばされる。
「そうでもないですよ。……試してみます?」
待って待って待って。近い!
思わず身を引こうとすると、シュッと音がした。振り返ると、壁にフォークが刺さっている。顔を元に戻すと、どす黒いオーラを放つサタンがそこにはいた。うわ顔こわっ! なまじ顔が整ってる人が怒るとすごいオーラ放つんだなぁ。
「……冗談ですよ」
「やっていいことと悪いこととあるだろ」
マモンさんは頬を拭った。その手には血が付いている。え、今この人フォーク投げた? サタン、人を狙った?
「まぁそんなわけで、それぞれの二つ名は各々の性格を表しているのです。白雪さんもお気を付けください」
何事もなかったかのように話し出したけどマモンさんとんでもないこと言ったな! 『色欲』とかどうすりゃいいの! あとほっぺた大丈夫?
「白雪ちゃん食べないのー? それも食べていい?」
険悪なムードを無視するかのような、のんびりとした声が響いた。
ていうかベル君何皿目!? ちょっと目を離した隙に積んでる皿、倍になってない!?
「ベルゼブブ、これはユキさんの」
マモンさんが嗜める。ベル君はつまらなさそうに唇を尖らせた。う、そんな可愛い顔をされると私がいじわるしてるみたいじゃないか……。
「あとで一緒にお茶をするのはどうですか?」
マモンさんの提案に、ベル君はパアァッと目を輝かせた。あぁもう可愛いなぁ。思わずしっかり頷いちゃった。
「お前らいつまで仲良しこよしやってるつもりだよ」
硬い声が広間に響いた。全員の視線が一点に集中する。
私の向かい側、一番右の席に座っていたサタンだった。
「そいつに選ばれるのは一人なんだぞ。分かってんのか」
広間に沈黙が落ちる。ベル君のフォークでさえも止まっていた。
次期魔王のことを言ってるんだろう。現魔王の従者七人の中から私が伴侶を選ぶ。その伴侶が次期魔王。
なんていうか。
「それサタンさんが言っちゃうー?」
みんなの心を代弁したのはアスモデウスだった。あっそんなはっきり……。
「サタンも伴侶の座に立候補するんですか?」
「違う! 俺はこんな茶番認めたわけじゃねぇ! 俺抜きにしてもお前らは乗り気なんだろ? だったら相手の出方なんて伺ってねーでさっさと食っちまえよ」
「食っ……!」
その言い方はストレートすぎない!? 純情可憐な乙女の前ですよ!?
私が赤くなってみんなを見渡すと、それもそうか、みたいな顔をしている。ちょっと待って!
「じゃあサタンさんは邪魔しないってことだね?」
いつの間にか私の隣に来ていたアスモデウスが、私の肩に手を回しながら言った。その声はどこか楽しそうで、サタンの方を見るともうそっぽを向いていて、その横顔からは何の感情も読み取れなかった。
「勝手にしろ」
ただ冷たくそれだけ言い放つ。アスモデウスはそれを聞くと、にっと笑った。
「勝手にする」
アスモデウスは好機とばかりに私を立ち上がらせると、そのまま歩き出した。
「アスくんズルーイ!」
ベル君の不満な声が飛んできたけど、サタンも誰も追いかけてはこなかった。
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