第一章 ようこそ魔界へ
2 異世界は突然に
いつもと同じ、いつもの朝。
「おばあちゃん、おはよう」
大家のおばあちゃんはアパートの前を掃く手を止めて、「おはようユキちゃん」と返してくる。その表情に私も笑顔を向けて、学校へ向かった。
私、白倉ユキがここで暮らし始めて、もう十五年になる。物心が付く前から父親はいなかった。母親はいるにはいるんだけど、女傑を地で行くあの人は、家にいることなんてほとんどない。仕事漬けの毎日だ。全国、ときには世界中を飛び回っているんじゃないだろうか。生活費はきちんと貰ってるから、私は一人暮らしも同然だった。いい大学入って国家公務員になってエリート街道突き進むのが私の夢! 寂しいなんて感情ありません!
親切な大家のおばあちゃんが毎日お世話してくれたし、一人暮らしにも慣れたし、それなりに幸せに暮らしていた。こんな日常に不満なんてなかった。
だから今のこの現状が信じられない。
私は「なにコレなんかのテーマパークですか?」と聞きたくなるようなお城の前にいた。西洋のきらびやかなお城ではない。どちらかと言うとお化け屋敷にありそうなお城だ。わぁ……コウモリまで飛んでる。
今日から私はここで暮らすそうだ。
*
話は数時間前に遡る。
学校から帰ってくると、私の部屋の前に一人の女の人が立っていた。その人を一言で表すなら……うん、そう秘書だ。それも相当美人の。楕円形の縁なしメガネ、髪は高い位置で一つにくるっと纏められている。きちんとしたスーツは膝上十センチのタイトスカートで、そこからすらりと伸びるストッキングに覆われた足は十センチ程のハイヒールを履いていた。
こんな知り合いはいないなと思って、どうしようか悩んでいた私に秘書さんは尋ねた。
「白倉ユキ様ですか?」
「そうですけど……」
不審者顔全開の私にその人は表情一つ変えずに続けた。
「あなた様の母君、凛子様との契約でお迎えにあがりました。ユキ様には我が主の城で暮らしていただきます」
「粗茶ですが……」
とりあえずは家に上がってもらった。知らない人に付いて行っちゃダメとよく言うが(この場合は知らない人を家に上げちゃダメ、だが)、十数年まともに会っていない母の名前を出されて、私は少なからず動揺していた。
母のことはほとんど記憶にない。どこで何をしているかすら分からない。それを知っているとあっては怪しいと思いつつも上げない訳にはいかなかった。
「それで……母をご存知のようですが」
秘書さんはお茶を一口飲んで言葉を紡いだ。うぅっ、それすらも絵になる。
「十五年前、凛子様は我が主と契約を交わしました。それは凛子様の子が選んだ者を、主の跡継ぎにするというものでした。その期限はその子の十六の誕生日……。ユキ様の誕生日まであと一ヶ月ですね? 時間がありません」
「ちょっ……ちょっと待ってください! なんで私が見ず知らずの人の跡を継がなきゃいけないんですか! 本当にお母さんがそんな契約をしたんですか!?」
「主が申されたことですから」
秘書さんはまたお茶を一口飲んでそう言った。
私は絶句した。存在感の薄い母親が、まさか娘を売りに出すようなマネをしていたなんて……。しかも生まれる前に。
「して時間がありません。すぐに参りましょう」
秘書さんは立ち上がって私の手をとって歩き出した。
「ちょっと待って! 準備とか……心も荷物も!」
「必要ありません」
秘書さんは玄関まで来るとドアに手をかざした。そしてなにか呟く。その瞬間、ドアがうっすらと光り輝いた。それから秘書さんはドアを開けて、広がった景色に私は言葉を失った。
いつものドアを開けて広がった景色は、いつもの景色じゃなかった。大地は剥き出しの岩、夕暮れ時だったはずの空はすでに暗く鬱蒼としている。そしてコウモリがキーキーと鳴く声が聞こえた。遠くの方には昔のヨーロッパにあるようなお城が見えた。
「な……なにこれ……」
これはいわゆる魔王城というやつなんじゃないだろうか?
私の前を行っていた彼女は振り返って優雅に微笑んだ。
「ここは魔界。あなたは我が主、魔王様の屋敷で暮らしていただきます」
秘書さんはどんどん歩いていく。振り返ったそこにはもう見慣れた私の部屋はなかった。さっきまでいつもの日常だったのに。
「ひっ秘書さん……! いったい何なんですか! これは……」
秘書さんは歩みを止めない。
「名前を申していませんでしたね。私は魔王様の側近でアガレスと申します。そしてここは先程も申し上げたとおり魔界。あなた様のお母様は魔王様と契約なさったのです」
ちょっと待て。私の日常はどこに行った! さっきから魔王やら魔界やらいきなり信じられるか!
「嘘でしょ……?」
「本当でございます。ご自分の目が信じられませんか?」
アガレスさんは冷静にそう言う。
「そして魔王様は病に臥せっております。ユキ様の誕生日まで日がないということもありますが、二重の意味で時間がないのです」
「病気って」
私たちは、古びた金属製の門の前まで辿り着いた。先が尖っていておどろおどろしいな……。
「……もう先が長くないのです。その前にユキ様にお会いしたいと申されていました」
そんなの聞いたら帰れなくなるじゃないか。なんで見ず知らずの魔王様がそんなことを言うのか分かんないけど。
「分かった。とりあえず会うだけ会うよ。でもほんと会うだけだからね! 魔界の跡継ぎとかいきなり無理!」
アガレスさんは極上の笑みを浮かべた。
そして私たちは城へと入っていった。
アガレスさんに続いて、長い長い廊下を歩く。道すがらアガレスさんは話してくれた。
「魔王様には七人の従者がおります。今まで人間界にいらっしゃったユキ様は魔界に不慣れでしょうから、七人の中から伴侶となられる方をお選びになられると良いでしょう、と魔王様の計らいです」
「はぁ!?」
なんだそれ。跡継ぎの話は分かったがいきなり結婚とか聞いてないぞ。
「従者たちにはすでに伝えてあります。じっくりお選びしたいでしょうが、先程も申し上げたとおり魔王様には時間がないのです。一か月で決めてください」
無理です、キャパオーバーです! と言おうとしたのに、アガレスさんが扉を開いたことでそれはできなかった。
「へー、この子が白雪ちゃんか」
私の目の前に、突然一人の男の子が現れてそう言ったからだ。ちなみにアガレスさんは私が先に入れるように扉の傍に控えたから、必然的に私がその子と鉢合わせるようになった。
「可愛いじゃん」
黒髪に猫目のその男の子は、私の目の前でにっと笑顔を浮かべる。両耳はピアスだらけだ。何個開いてるんだろう……?
「僕、『嫉妬』のレヴィアタン。よろしくね」
レヴィアタンは私の手を握ってぶんぶん振った。
「はぁ……」
あれだよな? この人って婚約者候補の一人だよな?
なんか見た目は普通の人なんだなぁ。悪魔って言うからもっとこう、ツノ生えて残忍な笑みを浮かべてるような人かと思ってた。そして『嫉妬』ってなに?
「レヴィくんばっかずるーい!」
未だレヴィアタンに手を握られてた私は、背中に軽い衝撃を受けた。振り返ると、ふわふわした金髪の男の子が私の腰に抱きついている。
その子は愛くるしい表情で私を見上げてきた。
「ボクは『暴食』のベルゼブブ。ベルって呼んでね! よろしく白雪ちゃん!」
そう言って浮かべる笑みは……。うん、天使。エンジェルスマイルというやつか。でもこの子も悪魔なんだよね? ……天使にしか見えない。こんな小さな子まで婚約者候補だなんて……。
「二人とも、初対面からそんなに馴れ馴れしくするものではないですよ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます