ビーチコーミング
リュウ
ビーチコーミング
「加藤真一さん、二番診察室へどうぞ」
待合室のスピーカーからの呼び出しだ。真一は、ゆっくりと立ち上がって、二番診察室に向かった。ちょっと、バランスを崩したが、壁の手すりに捕まり体制を立て直した。直ぐに、看護婦が来て、真一の顔を覗き込んだが、真一は、微笑んで介助を断った。
〈そうそう、左ひざの調子も悪いんだ〉
真一は、二番診察室へ入って行った。
診察室には、いかにも新人といったドクターが腰を掛けていて、目の前の丸椅子に座るようにうながした。
「どうかしましたか?」
「左ひざに力が入らないことがあって…」真一が言い終わらないうちに膝を触り始めた。
〈若造、こんな触診でわかるのかなぁ〉と、ドクターを見ていた。ドクターは、一通り触診が済むと、顔を上げ、不安気な真一の顔を見て言った。
「安心してください、私は、貴方の倍は、生きているので経験豊富ですよ。後、おかしなところはないですか?」
と、言いながらカルテが表示されている画面を見つめ、軽く頷くと真一に向き直った。
「加藤さん、他にもあるでしょ。っていうか、もう、身体を交換しないと・・・寿命ですよ」
真一は、気持ちを見透かされたので、微笑んで誤魔化した。
「はぁ、分かっているけど、この身体が好きなのです」
「技術は進歩していますよ。骨格は、今の身体の倍の強度があるし、外見も見分けがつかないほどそっくりにつくれますよ」
「高いでしょ」
「値段ですか?」というと、また画面に目を移して、マウスを操作した。
「前回と同じ条件で、我々に引き取らせてくれれば安くなりますよ、今、中古品は人気があるようなので」というと、画面を真一の方に向けた。ドクターが指さすところを見た。
〈なんとか、払えそうだ〉
「どうです?」ドクターは、真一に承認を求めた。
「あぁ、これなら、お願いします」
「有難うございます。では、ボディの3Dスキャンをしてから、受付で手続きをしてください」と言うと、奥に声をかけた。
ドクターの後ろから身体の線がくっきりと見えるボディスーツを着たどこかの歌姫のような女性が現れた。
「名前は?」その歌姫は、極めて事務的な応対だった。
「カトウシンイチ」
セクシーな受付嬢は、カルテに目を通すと、目を上げ真一を見た。
「ボディの買い替えですね。来週の金曜日の十五時は、どうでしょう?記憶の移行だけなので、土曜の朝、退院となります」
別に用事もなかったし、週末にボディを変えれば、月曜日までには、何とか慣れるだろう。と、OKした。
「今日は、ボディの3Dスキャンを済ませてくださいね」というと、スキャニング室に案内された。
「では、服を全部脱いで、この円の中で立ってくださいね」微笑みながら、扉を閉めた。
〈やっぱり、買い替えか〉真一は、服を脱ぎながら考えていた。
身体の調子が悪いのは、分かっていた。
この身体を手に入れてから、もうニ十年になる。なかなか、気に入っていた身体だった。
……思い出した。その前は、機械の身体をいいことに無謀にもカーレースに参加し、右カーブを回り切れずガードレールに激突、そして炎上した。ハード的なセキュリティシステムにより、私の記憶は保護された。それからは、無茶な使い方はしていない。
真一は、ゆっくりと服を脱ぎ、円の上に立った。
「もうちょっと、股を開いて、両手も少し上げてください」
真一は、あの女性に見られていると思うと恥ずかしかった。
「では、そのままで」というと、輪が身体の上から降りてきた。緑色の光が足元まで行くと、スキャン終了だ。
月曜日、真一は会社でプレゼンの資料を作成していた。と、言っても自分の仕事のような、そうでないようなという仕事だった。
それは上司の報告書だった。上司の報告書なのだから、上司の仕事なのだが、上司が言うには、「私の仕事は、部下である君の仕事だ。私の評価が上がれば、当然、部下である君の評価も上がるだから、頑張ってくれ」と、言うことだった。
そんなはずない。うまくいけば貴方の手柄で、悪ければ部下の私の能力不足ということになり、貴方には、損はないと言うことでしょう。なんて、野暮なことは言わずに、笑顔で了解した。
どうも週初めの仕事は調子がでない。やたらとちょっとした忘れ物が続いたりする。やる気のない仕事を無理やりやる気を起こして、やっつけるしかないが、ボディを変えてから時間が経っていないので、右手の感覚にしっくりこない。
しっくりこないと言えば、真一の本当の仕事がしっくりこなかった。
真一は斬新な企画や研究で成果を上げていたが、最近、ことごとく他の会社に先を越されていた。
それも、企画や研究の内容が同じで、ほんの少し、他の会社の発表が早いのだ。
そのため、真一は、仕事が無い状態だった。そんな状況を上司が見逃すはずもなく、この報告書を作る破目になった。
そんな時、肩を叩かれた。
「よっ、昨日はどうしたんだ。何かあったのか?」同僚の佐藤だ。
「何かって?」と聞き直した。
「昨日、帰りにあの店に行っただろう。声かけたけど、無視しやがって」
「昨日?昨日は、どこも出かけていないよ」
「お、新しいボディじゃないか」一歩下がって、真一の全体を眺める感じ。
「仕方がないさ、健康診断で赤紙貰って、診断してもらったら、取り換えだって…」
「なんか、若返ったって感じ」
「昨日は、このボディに慣れるのに忙しかったって訳」
「そうか、お前だと思ったんだけどな」
佐藤は、「またな」っと、肩をポンと叩いていった。
真一は、パソコンに向かった。
〈僕を見た?〉
真一は、気になっていた。最近、真一を見たという人が多いからだった。駅前のゲームセンターや映画館で、目撃されているらしい。
自分とそっくりな人間がこの世には、三人いるらしい。
そう『ドッペルゲンガー』とか、言ったっけ。確か、自分のドッペルゲンガーを見ると、しばらくして死ぬらしい。
〈まさかな〉この信じられないくらい科学が進んだ時代に、ドッペルゲンガーなんて…。それに今、『死』そのものが無くなっている。生まれてからのすべてがライフログとして記憶され、その記憶を新しい機械の身体に移行することで、永遠に命を手に入れた。
身体のどこかが故障したら、そこを取り換えればいいし、新しいモデルが開発されたら取りかえればいい。車と同じだ。
真一は、上司に頼まれた資料をメールで送った。しばらくして、
『よくできている、ありがとう』上司からのメッセージをみると、パソコンをシャットダウンし、帰る準備を始めた。
その時、スマホにメールが入った。佐藤からだ。
〈何処にいる?〉
〈会社〉真一は返信した。
〈お前を見つけた〉真一は、頭を上げ周りを見回した。佐藤はいなかった。
〈何処にいる?〉と、真一。
〈ビーチコーミング〉
〈分かった、今、行く〉
真一は、急いで会社を飛び出した。『ビーチコーミング』とは、アンティクな隠れ家的な喫茶店だった。最近は、行っていないが、前はよく通っていた。別に目的もなく街を歩き回っているとき、偶々見つけた店だった。名前の通り、そこに流れ着いてしまったという感じだった。
会社から地下鉄の二駅目で降り、古びた商店街の狭い路地に入ると『ビーチコーミング』があった。
まるで、別世界だった。この町中に海辺にある古びた洋館の作りで、昔の船の備品や本当のビーチコーミングで見つけられた流木やガラス玉が無造作に飾られていた。何度きてもその雰囲気は格別だった。
カランカラン。
店の扉を開け、薄暗い店に入った。
真一は、店の奥の席で佐藤が手を振っていた。真一は、まっすぐ佐藤の方に向かい腰を下ろした。
「ここなら、店全体を見渡せるだろ」佐藤は、真一を見ずに言った。
店は、アンティク風。落ち着きのある店だった。店には、十人近くのお客がいた。
薄暗い店内は、なんというかなつかしさがある風景だった。それは、ランプのゆらゆらと揺れる炎や心地よいコーヒーの香りのせいかもしれない。
直ぐに、注文を聞きにウェートレスが現れた。ブレンドを注文した。私は周りを改めて見回して、水の入ったグラスに口をつけた。心地よいグラスの硬さを唇に感じ、水を飲みこんだ。水の入ったグラスの氷が当たる心地よい音がする。食道を通る冷たい水は、心地よかった。久しぶりの感覚だ。いつもはプラスチックの容器だったから……。
「どれだ?」真一は、客をから眺めながら、佐藤に訊いた。
「うん…」佐藤は、なかなか返事をしない。
「真一、ドッペルゲンガーって知っているか?」
「ああ、自分にそっくりな人間を見ると、近いうちに死ぬってやつだろう」
「お前、怖くないか?死ぬんだぜ」
「何、言っているんだ、死なんてないんだぜ」
「そうだけど…」佐藤は、なぜか怯えているようだった。
「なぁ、佐藤。どいつだ」真一は、また訊いた。
佐藤は、カウンターに座る男を指さした。丸まった猫背の男が居た。
半袖シャツから、見える左腕には、黒く焼けた跡があった。
そう言われれば、そうかもしれないが、真一には、ピンと来なかった。というのは、自分の後ろ姿なんて、なかなか見れるものではない。自分の写真を撮ってもらうか、アミューズメント施設のミラーハウスに入った時くらいだろう。ずーと、カウンターの中を見てこちらを見ないので、顔がわからない。
「本当にヤツか?」と佐藤に訊いた。
その時、カウベルがなり、店に男が入ってきた。真一は、息が止まりそうになった。サングラスを掛けていたが、直観で自分だと思った。よく見ると、少々太っていているが、確かに似ている。
真一は佐藤の顔を見ると、佐藤も目を丸くして真一を見ていた。
「あれ、お前だろ?」真一は、言葉を失っていた。
「そっくりじゃないか」と小さな声で佐藤が言った。
自分にそっくりな人間を見たら、近いうちに死んでしまう…
真一の頭の中で、声がした。
佐藤が、座りなおして、真一を見つめながら言った。
「変じゃないか、ここに居る客は、どこかお前に似ている、全員だ」
佐藤は、店の客を見回した。
「服装や体形は、ちょっとずつ違うが、なんというか、雰囲気は、お前だ」
真一の背筋に冷たいものが走った。真一も気づいていたが、改めて言われると認めざるをえなかった。
自分にそっくりな人間が、こんなにいるなんて……。
〈ここにいるのは、すべて、私なのだろうか?〉
真一は、確認することにした。
店員に私を呼んで貰おう。真一は、トイレに立つと、そこから電話を掛けた。『カトウシンイチ』に伝言をお願いした。待ち合わせ時間に遅れることを伝えてほしいと。
真一は、席に戻り雑誌で顔を隠して様子を伺っていた。佐藤も店内を見渡していた。
店員がカウンターから出てくると、お客に声をかけた。
「カトウシンイチ様、おいででしょうか?」
すると、店にいたお客が、全員が、店員の方を向き、手を挙げたのだ……。
「全員が……」真一は、手を挙げた自分たちを見ていた。
真一は、その時ドクターの言葉を思い出した。
「前回と同じ条件で、我々に引き取らせてくれれば安くなりますよ、今、中古品は人気があるようなので」
中古品の人気があるというのは、ボディのリサイクル利用だけでは、なかったのではないか…。ここに居るのは、すべて自分なんだ。
何年前に存在した自分だ。
同じ自分だから、考えることは、似ていて、波に流されるように、ここにたどり着いたのだろうか。
ビーチコーミング リュウ @ryu_labo
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