第4話



愛想の良い店主を呼び注文を伝える。

注文は厨房を仕切る彼の妻へと伝えられる。

店主が厨房に戻ったことを確認して、獲物の様子を窺う。


「樫井さんは、ここにはよく来られるんですか?」


「そうですね、仕事が終わる時間にもよりますが週に1度、来れたらいいほうですね。」


「そうなんですか。私も同じくらいですよ。ただ、ランチの時間帯なので。」


くどい程に繰り返して彼の脳を同期発火させる。我々は仲間だと、同じだと、味方だと。


「そうなんですね、私は夜しか来ないので。」


「お昼間は、お仕事ですものね。私、これからは夜に来るようにします。」


わざとらし過ぎる甘い声と態度で敵意はないのだと伝える。

大丈夫ですよ

安心ですよ

あなたは傷つきませんよ

そう言って両手を広げて迎え入れる態勢を見せる。

ここは安全で居心地の良い場所なのだと獲物に刷り込む。

そのまま少しづつ距離を詰める。警戒心の強い野生動物の保護は、なかなかに気を使う。


「弓道は、いつから?」


畳み掛けるように質問をする。余計な事を考える暇を与えないように。


「春からですね、半年くらいたつかな。」


これには少し驚いた。同じ時期から始めていたのか。

あの場所で同じ時期から同じ時間を共有していたのか。


「そうなんですか、私も春からです。何で弓道をしようと思ったんですか?」


「スポーツは学生時代からしていまして、体を動かしたいなと思ってはいたんです。この店を見つけて通うようになったんですが、音が聞こえてきて。何の音かなと思ったら弓を射る時の音でして。それで興味を持って、一般向けにも練習会を開催しているとのことなので参加してみたんです。」


身体を動かすことが好きなのか。ならば、其処を褒めてみようか。

ただ、こういった人種は褒められる事には慣れている。だからこそ、『褒める対象』が重要になる。

さて、どこを攻めるか。


「すごいですね。スポーツされてたんですか?何をされてたんですか?」


「昔は柔道を、それと陸上競技です。」


「すごいですね。運動一筋なんですね。」


「そんなことないです。それに大学ではしていません。」


「そうなんですか、あ、医学部。お勉強お忙しそうですものね。」


「でも、サークルには参加していましたがね。」


運動以外のサークルね。

一体、何だ。


「へぇ、何のサークルですか?」


「オーケストラです。」


この男、引き出しの数は多いようだ。

文武両道、勉強も、運動も、芸術も。

もう少し彼のことを知りたいと思った。


「オーケストラ!すごい、何か楽器ができるんですか?」


「チェロです。」



昔の男の声が響いた。


『チェロの構造は、人のそれに近いんだよ』


脳内で現に混ざるは、何の夢か

それは遠い昔

過ぎ去りし日々の向こう側

もう忘れてしまった夢



気持ちを切り替えて目の前の獲物に集中する。

どうやら彼は子供っぽいのもお好きなようだ。

男というのはプライドの塊だ。

まして、この男は頭の良い男だ。

人として、男として、医師としてのプライドがある。それを守る事に重きを置いている。

きっと身構えているのだろう。私に弱みを見せまいと。

かなり年上の人妻、おまけに、小さいながらも自らの事務所を構える所謂女社長。

対等に、いや、上に立ちたいのかもしれない。

ならば、立てばいい。

私の掌の上に。


「すごい、チェロって、あのチェロですよね?バイオリンの大っきいの。すごい!」


「大っきいの、ええ、バイオリンの大っきいのです。」


呆れたように、それでいて楽しそうに笑っている。

彼の警戒心は完全に消えた。

第二段階クリアか。

あと、一押し、いけるか。


「なんで笑うん。だって大っきいやん。」


拗ねた子供が親に甘えるように。

こういう時に方言というのは相手の心に入りやすい道具になる。

まだ親になっていないはずの彼が親のように優しく笑う。

これで私たち二人の関係性が確立された。

それは飼い主と犬のような関係。

彼が飼い主で私が犬だ。

ただ、彼は勘違いしている。

私のことを、トイプードルやミニチュアダックスだと思っているだろう。


「もう。」


口を尖らせ可愛く拗ねる。

見つめ合う視線には、先ほどまでの探り合う色は無い。

お互いの間に流れる心地よい空気。

第二段階クリアの証拠。

あとは、二人の時間を楽しめばいい。


「じゃあ、このお店も春頃から?」


「いえ、こっちに来てしばらくしてからですかね。」


「こっち?」


「ええ、病院で働き出してからです。」


こっちに来て、か。

育った場所はこの辺りではないのかもしれない。

もしくは、ここから遠い大学だったのか。


「ああ、そうなんですね。いつからお勤めなんですか?」


「勤めだして四年目です。」


「そうなんですね。四年目。」


医師のシステムに心当たりがないのでわかりませんという表情をすると、彼が簡単に説明してくれた。

医学部は六年あって、国試と言われる医師の国家試験を受ける。それに合格して初めて医師としての人生が始まる。

まずは病院にて研修医として一通りの研修を受ける。

これも制度により変化するので一概には言えないが、彼が研修を受けた当時に限って言えば、最初の二年間は初期研修といわれ各診療科をローテーションしてオーベンと呼ばれる指導医から研修を受ける。

ジュニアレジデントとも呼ばれる初期研修医の期間に徹底的に様々なことを学ぶ。

三年目からはシニアレジデントと呼ばれる後期研修医として自ら選択した診療科にて外来を担当する。

所謂、我々患者が知っている『お医者さん』になる訳だが、後期研修医は、教えてもらう立場の初期研修医とは違い自らの考える力を非常に重要視される。

お医者さん一年生、とはいえ、患者側からすれば診察室で白衣を着て座っているお医者さんに診て貰えば、どんな身体の不調も治してもらえると思い込んでいる。

そのために病院に駆け込むのだ。

したがって、患者からすれば相手の医師が一年生でも卒業間近のベテランでも同じような結果、つまり体調の回復を望み、且つ、その望みは叶えられて当たり前の事だと思うのである。

これは後期研修医としては、かなりの重圧であろう。右も左もわからない初期研修医とは違い、ある程度の知識と経験はある。しかし、主訴から診断をつけるのは難しい作業だ。患者が訴える様々な症状を症例に照らし合わせて病名を絞り込み診断し、治療の必要があれば治療する。

これは経験がものを言う作業である。

おまけに、患者の種類も様々で、その患者に合った対応を心がけるという。

雄弁に語る彼の口が少し重くなった。


「患者さんに合わせた対応?」


「ええ、いろんな種類の患者さんがいらっしゃいますからね。」


しばしの沈黙。

言葉を選んでいるのか、

何かを思案しているのか、

視線を落とした彼を見つめる。

彼の脳が情報を処理するのを邪魔しないように黙って様子を窺う。

今の私に出来ることは、口元で微笑み、二人の間の暖かな空気が冷えないようにすること、それだけだ。

そうして彼が心ゆくまで思案できる環境を作る。

店内に響くタイの民族音楽と来店客の話し声。

向かいの壁際のテーブルに加え、いつの間にか窓際のテーブルにも客が座っている。



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