(3)突入

 ジャックは激しくも乱れのない動作でアクセルとステアリングで御する。

 スキール音を響かせながらこの前とは比較にならないスピードレンジでマシンは市街地を駆け抜ける。


「手短に話すぞ。あのシンボルタワーに接近する手順についてだ」


 焦る心を抑え込んで、ジャックの言葉に耳を集中させる。


「幻影達が占拠しているエリアに近づくと、こちらを外敵とみなして襲ってくる。強引に突っ切るのもいいが、大勢から一斉に狙われるリスクが高まる。そこで道が狭く囲まれにくい場所でスピードを落とし、楓が上で幻影達を迎撃し数を減らしながら進んでいく」


 ジャックはステアリングから片手を離し、突き上げるようにルーフを数回ノックする。


「俺にできるのか?」

「なら、お前が運転するつもりか? こいつはわたしの言うことしか聞かないぞ」


 冗談だ、と彼女は片手を翻す。


「力量の問題ならば……所詮あれは本人から漏れ出た思念体に過ぎないから、お前の大剣なら一振りで消せる。それに春菜本人に対しても一方的な展開にはならない。施設にいた時、お前は灰人を相手に消耗していたから、まともな戦闘ができない状態だったはず」


 高速を維持しつつも、安定感のある車体がハイウェイの長く緩いRをスムーズに流していく。


「決意の問題ならば……もしあの幻影と退けないようなら、引き返した方がいい。春菜本人を前にしても殺されるだけだろう。結局はお前次第だ」


 何にしても引き返すことは考えていない。

 フロントガラス越しに見える巨大な東京タワーは、電波塔というより城に似た印象。

 下道に降りると、遠目でしか窺えなかった白い幻影達がはっきりと見え始める。その顔はどれも春菜と同じ。但し見掛けだけで、俺が普段から接してきた春菜の魂は宿っていない。


 その内の一人がこちらに気づく。周囲の同胞達に合図を送るため円を描くように夜空を旋回した後、彫刻の石造のような動かない微笑みを携えて飛翔してくる。


「行くぞ」


 それを察知し、ジャックはより強くアクセルを踏み込んだ。

 先行する一体の幻影とその後ろから二体が続く。

 対して迎え撃つべくマシンは加速し続ける。闇夜の空気を切り裂くほどの相対速度で間合いを詰め合い、双方が衝突した。

 あまりの勢いに一瞬目を閉じてしまったが依然としてマシンは速度を保ち、路面との安定したグリップを保ちながら加速していく。


「楓、準備はいいな。今更、答えは聞いてないがな!」


 何車線もある広い十字路の手前で、ジャックはフルブレーキングを掛ける。減速に伴う急激な逆Gに対し、俺はホールド性のあるシートを頼りに踏ん張る。

 そのままマシンが横Gに耐えながら向きを変え、二車線の道路に入っていく。

 道路幅自体は狭くない。しかし左右にある建物の壁は高く、建物同士の隙間も狭い。これなら徘徊する幻影達に囲まれない、というジャックの狙いを察して俺はドアノブに手を置く。


「よし、行け!」


 バックミラーとサイドミラーを交互に睨むジャックの指示通り、助手席のドアを開きボディに手を引っ掛けてルーフの上に立つ。

 暴風が全身を打ち、後ろ髪が吹き乱される。

 背後にはすでに接近してくる幻影達の姿があった。

 迷うな、と頭の中で繰り返し唱えて、共に戦ってきた相棒を革ケースから引き抜く。


「いくぞ、リンダ!」

「まずはお掃除ね、ご主人!」


 距離を詰めてくる幻影達に対し、リンダを掲げるが幅の広い刀身はまだ半透明で、顕在化している最中。

 迫ってくる幻影に対し、刀身が不安定なまま大剣を前へ突き出した。

 仕留めたのかわからない時間が過ぎた後、糸のような緑色の光芒が剣の形を成す。


 すると春菜と同じ姿をした幻影一体は、柔らかい雲の如く風に流されるように掻き消えた。

 喜べない複雑な安心感に歯噛みする。

 ただそれも束の間、異常を察知した他の幻影達が前から、最初に遭遇した群れが後ろから、俺達を挟み撃ちする形で追い詰めにくる。


「次々来るぞ、振り落とされるなよ」


 運転席からジャックの声がするとマシンは徐々に加速していく。

 俺はやや斜め上に突き出したルーフスポイラーに足を引っ掛けて安定を維持する。

「待ってろよ」

 単純な概念の塊で魂の無い幻影達、その向こう側にいる春菜に向けて呟く。

 T字路で減速し煙が上がるリアタイヤをスライドさせて曲がるマシンは、次の獲物を求めて夜の街を疾走していく。


********************


 それから迫り来る幻影達を退け続けた。

 もう何体斬り裂いたのかわからなくなった頃には、周囲に一体も見当たらず遠くからこちらを窺っているのが数体いる程度だった。

 マシンが緩い速度で四本の赤い足によって直立する東京タワーの麓を目指す。

 静まり返っている都会の街並みで、低い回転を維持するエンジン音がこだまする。


「人の車の上に立ちっぱなしとはいい御身分だな。終わったなら降りてこい」


 少し不機嫌そうなジャックの言葉を聞いて、俺はすぐ刀身を収めたリンダを革のケースに刺し入れて、車のボディを極力傷付けないようにそっと助手席へ戻る。事が済んだのに、愛車を踏まれているのは確かに嫌だろう。


「ああ、悪い悪い。修理とか必要なら悪かった。なんかの形でお詫びするよ」


 ジャックは胸ポケットにある箱から一本のたばこを取って咥える。


「インサイドでの常識で考えるな。少しの傷ならいずれは直る。フレームの歪みがあれば戻るのに数日掛かるが、その程度だ」


 ぶっきらぼうに答えながら、同じ場所に入っていたライターも取り出す。

 その動作を見て、あることを思いつく。


「待った」


 なんだ? と表情だけで語るジャックのライターを取り上げ、火を点けてから口元へと運ぶ。


「悪いな」

「上で暴れたお詫びと、感謝を込めてだよ」

「ふっ、それにしては随分安くないか?」


 俺が座る助手席に煙が流れないように、ジャックは少し開いた窓へ向けて煙を吐く。


「ゲシュタルトの新参者、初心者に対するサービスとしてくれよ。大先輩」

「はっ、ぬかせ」


 戦いで神経が高ぶっていたせいか、面白くもないユーモアでも二人一緒に笑えた。

 やがて東京タワーの敷地内に入ると、斜めに地面へと突き刺さる塔脚がライトアップされていて、あやとりみたいに交差する赤い鉄筋がはっきり見える。

 東京タワーの真下には五体建てのビルがあり、中にあるエレベーターを使ってタワーの展望台へと行く。しかし屋外と違い、屋内の照明は消えていてエレベーターが動くかわからない。


 車を停めてたばこを咥えたまま外へ出るジャックに続く。

 すると出迎えるように一階フロアの照明全てが一斉に点く。芝居めいた嫌な演出だ。


「セルフが言っていた時間まで十五分だが、やつが来ても足止めしてやる。時間は気にするな」


 愛車に寄り掛かりジャックは首から下げた懐中時計を見て、人差し指で揺らしたばこの灰を落とす。


「世話になった。そういえば、最後に一つだけ聞きたいことがある」


 唸り声で聞き返してくるけど、その横顔は「先を急げ」と言いたげだった。


「名前、ジャックって偽名か何かだろ? もし良ければ本当の名前を聞いておきたい」

「次に会うとき教える」

「今、頼むよ」


 たばこの煙を吐き、一呼吸置いてから振り向いて睨んでくる。

 別れのようなタイミングで聞くと教えてくれないとは思っていた。だからその鋭い眼から伝わってくる威圧感に対して俺は目を逸らさない。

 するとジャックは短く舌打ちしてから、やれやれと諦めたように仕方なく話し出す。


「本当の名前……か。何十年、いや何百年ぶりだろうな。本当の名を自ら口にするのは」


 夜空を見上げたまま思いに耽る彼女の口が開かれるのを静かに待った。


「わたしの名は……ジャンヌ。ジャンヌ・ダルクだ」


********************


 彼女はなぜ楓を助けるのか。オルレアンの乙女と呼ばれた彼女の思考をボクは理解できない。


 ジャンヌ・ダルク。

 中世末期、英仏間の対立によって百年戦争と呼ばれる長い覇権争いがあった。

 内紛の影響もあり窮地に陥っていたフランスを救ったのが、神の啓示を授かったという村の羊飼いでしかないまだ十代の少女、ジャンヌであった。


 ジャンヌはシャルル王太子に謁見し信頼を得ると、甲冑を身に纏い指揮官としてフランス軍兵士達を鼓舞することで劣勢を跳ね除け勝利を重ね続ける。

 やがて歴代の王が戴冠式を挙げたノートルダム大聖堂のあるランスを奪還し、正式に王太子を戴冠させた。


 しかし後の戦で身柄を敵国に引き渡され、監禁される。

 神の声を聞いたと主張する彼女は宗教裁判に掛けられ、異端者――魔女とされ、十九歳の若さで火刑に処される。

 危機を救ったのにも関わらず自国に裏切られ、挙句の果てに魔女の烙印を押され、火あぶりという屈辱的な死を迎え、その数百年後にはキリスト教の聖人として扱われる。


 その胸中を窺い知ることなど、他人には不可能だろう。

 そういった理不尽な最期を経た者が、ゲシュタルトには数多く存在する。彼女もそんな一人だ。

 彼女は自分と同じ悲劇的な末路を迎えようとする者達を救いたいのかもしれない。

 だとしたらなんて自己満足。下らない、ナンセンスとしかボクには思えない。

 但し、そんな彼女の導きが二人の少女に何をもたらすのか、ボクには興味がある。


********************


「手助けしたついでに、こちらからも一つだけ聞きたい。インサイドじゃわたしは有名人らしいな、どういう風に扱われているんだ?」


 その世界中に知れ渡っている偉人の名前は、歴史に疎い俺でもわかる。


「ジャ、ジャンヌ・ダルクって……学校の教科書に載ってたよ。あ、あとはゲームとかにも結構出てくるかな」


 突然の話に驚いて信じるかの判断すらつかず、思い出した事を垂れ流すように話してしまう。


「はっ、娯楽に利用されているのか、それは愉快だ。無意味な信仰より光栄だね」


 過去の記憶、そこに積もった埃を払う彼女の面持ちは、苦しさや懐かしさが入り混じったようなとても複雑なものだった。


「炎に焼かれてもこんな世界で意識を保っていられるのは神の導きだと信じていた頃もあった、セルフには馬鹿にされていたがね。しかし何百年か経ってから、わたしは聖人だかなんかに祭り上げられたそうじゃないか。その時ようやく……覚めたよ。だから車やたばこなんて俗なものに手を出してみた。イデアを様々な武器にして戦うのも無意味な嗜好の一つさ」


 慣れない内容が続いて返す言葉も思い浮かばないが、そんな彼女が何者だとしても構わない。

 最初は頼みを受けた側だったけど、それ以上に俺は助けられた。


「話してくれて、ありがとう……忘れないよ」


 最後の一言は余計だったろうか。彼女は再び舌打ちして、再び俺に背を向けた。


「死の覚悟など聞きたくもない。さっさと行け」


 口の悪い言葉で罵ってくる彼女に会釈する。

 そして巨大な東京タワーを一度仰ぎ見てから、出入り口へ向かった。

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