(7)楓vs灰人

 高過ぎても低過ぎてもダメだが、歪んだ紫色の輪が一瞬広がった場所を狙う。

 地面を蹴飛ばし、建物の壁に向かってリンダを力任せに振り切る。

 かなり乱暴なやり方でも壁やガラスを打ち破り中に入ることに成功、粉々になった破片が俺の身を覆い隠す。


 振り返ると赤と青の並んだ二つの光点があった。

 瓦礫のカーテンが消える前に、リンダを右脇へ下ろし全力で踏み込む。

 接近と共に明らかになっていく光点の正体は左右で色が異なる眼。

 白衣を着ている理由はわからないがおそらく、灰人と呼ばれる夜獣だろう。その証拠に背には病院にあるメスのような刃物が何本も浮かんでいる。


 それよりも気になったのは、灰人に腕を握られている春菜の姿。

 しかもワンピースの胸元の部分は裂け、これから灰人が何をするつもりだったのか容易に想像できた。

 絶対に許さない。


「ご主人、あいつを叩き潰そう」


 リンダと思考が同調し神経が昂ると、大剣の刀身とそれを包む粒子が共振し唸り出す。

 灰人は掴んでいた春菜の腕を離し、背にあるメスのうち三本を横並びにしてこちらに向けてくる。

 そして滲むような紫色の瘴気を宿らせてからこちらを睥睨し、防御姿勢に入る。


 望むところだ。

 加速する全身の勢いを活かしたまま、大剣の切先を灰人目掛けて全力で突き刺す。

 リンダが放つ緑と灰人のメスに帯びた紫が衝突すると、甲高い剣戟の音が廊下に響き渡り、二色の粒子が風圧を生み出して火花のように弾け合う。

 一瞬の競り合いの後、俺とリンダの圧力に抵抗したメスは砕け散って、押し切られた灰人は弧を描くことなく真っ直ぐ後方へ吹き飛んでいく。


 しかし新しく生成した二本のメスを操作して、両足に沿えてから踏み付ける要領で床へと突き刺し、抉るように二本の線を作り壁に到達する前に止まる。

 垂れ下った首を蛇のように上げてから左右で色彩の異なる眼を向けてくる。己の内から湧き出る殺意で高揚し歪む表情は、すでに人を辞めている者にしかできない。


「大丈夫か?」


 力が抜けてその場に座り込んでいる春菜の肩を支えるようにそっと触れる。手荒くされたようだけど体に傷は無さそうだった。


「なんか南野の時といい、よく服が破けるよな」


 呑気なことを言う俺に、春菜は頬を膨らませ唇を尖らせてくる。


「もう少し早ければわたしの苦労だって少なくて済むのに」

「悪い悪い。でもあの時も今も、間に合ってるだろ?」


 お互いに無事がわかって安心したせいか、それだけの会話でもつい笑ってしまう。

 少し離れた場所に二人の子供がいて不思議そうな顔で俺を見ている。おそらくジャックが言っていたアリスとボブだろう。

 なんだか生命力が薄く儚い雰囲気の子達だった。以前の自分にも似ているように思えた。


「あの子達は頼んだ」


 子供達の元に行く春菜の背中を見届けてから、灰人を睨み据えてリンダを再び構える。


「もう一人の年増の方はどうした? 仕掛けてくるのは、預言者とか呼ばれてるあの年増の方だと思っていた」


 預言者とは何のことやら。それに年増とは失礼な表現だ。


「それは期待に沿えなくて悪いことをしたな」


 実際、その予定ではあった。

 ここから離れた場所で俺とジャックは底なしに湧き続ける夜獣達を処理していた。ただいつまで経っても話に聞く灰人は姿を現さなかった。

 やがて俺達が元来た道を塞ぐように夜獣の群れが動き、陽動に掛けられていたと気づいた。


 それからは本能のままに行動した。

 冷静になるようジャックに止められたけど、元来た道を全力で駆け抜けた。あの時の俺に理性は無く、そこは反省すべきだ。

 仮に灰人がジャック並みの力を持っているなら、俺なんかには到底敵わない。

 しかし今成すべきことに変わりはない。


「お前、この世界に来てから日が浅いな。昼間の人間の匂いが微かにするぞ。ならあのババアより弱いだろうしな。俺には好都合だ」

「達? まあ、いいや。ジャックは年増やババアってほどの歳じゃないだろ」

「あ? わかってねえな。あいつはな、お前なんかが思ってるより遥かにロートルなんだぜ」


 不機嫌そうに廊下の隅を睨むと、仕切り直すように二色の眼を再び俺に向けてくる。


「まあ、この場にいないやつのことなんざどうでもいい」


 舌舐めずりして、灰人はメスをさらに生成して自身の周囲へ展開させる。

 全部で八本、いや少し前に俺が壊した二本が遅れて具現化し全部で十本。

 どうやらメスを壊しても時間が経つと再利用できるようだ。

 そのうち約半分の向きを変え、刃先をこちらに向けてくる。

 加えて灰人自身も両手の形状を変化させ、紫色に点滅する鉤爪のような得物を構築する。


「俺達はな、お前みたいな女女した身体のやつは趣味じゃない。目障りだから、その両手両足をバラバラにしようと思うんだが、まずはどれから切って欲しい?」


 それは俺の憤怒を震え立たせるのに充分で、余計な一言だった。

 灰人自身にその気は無かっただろうが性的な事、特に外見を指摘されるのが俺は大嫌いだ。


「やれるもんならやってみろ!」


 俺の叫びが合図となった。

 まず様子見の牽制としてか、最前面に浮かぶ小さい二本のメスが一直線に飛んでくる。

 遅くはないが目で追える程度の速さ。それを五割程度の力で横一文字に薙ぐと、メスは易々と砕け散り紫の霧となって消える。


 但し間髪入れずその隙を狙う追撃は迫っていた。今度のメスは一本、但しサイズが大きくさっきより数段上の速さで射出されてくる。


「ぬるいっ」


 振り抜いたリンダをすぐに切り返し、二段目の攻撃を斬り落としてから追撃は来ないと判断して距離を詰めるために踏み込む。

 ただ俺の狙いが読めているのか、灰人も間合いを維持するために逃げる。接近を許さないようにプレッシャーとして、背後に停滞させていたメスの矛先をこちらへ向けながらだ。

 それを警戒し過ぎていたら守り一辺倒になるため、メスを飛ばされても反応できる間隔を維持しながら白衣の背中を追う。


 一度曲がり角を利用してメスを飛ばしてくる。

 それ弾き飛ばした後、灰人は階段で上のフロアへと行く。やがて少し開いた扉が見えてきて、隙間から靡く白衣の裾と薄暗い空が見えた。


 この扉を出れば屋上。

 先に外に出ている灰人にとって、後追いで扉から出る俺は狙いやすい標的のはずだ。

 だから階段を駆け上がり扉だけ開けると、メスがコンクリートの床に紫色の火花を散らす。

 やや間を空けてから勢いをつけて外へ飛び出すと、ワンテンポ遅れて足元を射出されたメスが足元を叩く。


 メスの狙いを定め難いようにスピードを維持しつつ、走り抜ける方向を足首の捻りで変える。

 射撃の勢いが収まってから空が開けた周囲を見渡し灰人のいる位置を探すが、


「その首、頂く!」


 間髪入れず両手の鉤爪を突き出そうと飛び込んでくる。

 咄嗟にリンダを灰人向けて横倒しにし、左手を沿えて幅のある刀身の鎬を前へ突き出し、受け止める。スピードはあっても衝撃は軽く、受け止めてから相手の体ごとあっさり押し返せた。


 吹き飛ばされ着地しようとする灰人に時間を与えないよう、すかさず距離を詰めて袈裟斬りを打ち込む。


「飛び道具頼りで臆病だな」


 飛び交ういくつものメスを頼りに、遠距離から俺を揺さ振って有利な状況を作ろうとするのが灰人の基本的な立ち回り。本人の両腕にも鋭利な爪があるが、重さのあるリンダの斬撃と互角に打ち合えるほどの重みはない。


「お前こそ、デカい得物を振り回すだけの単純でつまらない戦い方だ」


 対して、俺の狙いは真逆。時間が経てば壊しても再生成されるメスの数を減らすことに重点を置き、灰人に攻めの起点を与えないようにする。そしてできる限り大剣のリーチ内に灰人を捉えておき、いつでも斬撃を繰り出せるプレッシャーを常に与えておく。

 長所を押し付け合う駆け引きが続いて、お互いに決定打が出ないまま膠着状態に入った時だった。


――ご主人、このままじゃまずい


「なっ、リンダどうして?」


 実際に音のある声ではなく、俺の意識へ直接語り掛けてくるような囁き。それは心臓の一部が喋っているような感触だった。


――黙って聞いて、向こうに悟られたくない


 灰人との競り合いを続けながら、鬼気迫る声に耳を傾ける。


――あの化け物じみた見た目に騙されるな。戦いながら冷静にこっちの動きを観察している。直接あのメスと接触してるあたしにはわかるんだ


 普段のふざけながら憎まれ口を叩くリンダとは違う真剣な言葉。


――あっちは攻め手が豊富で、こっちは大味で単調な攻撃方法しかない、いずれ戦術の幅に差が出てくる。そこまで見切られたら場慣れしてないあたし達は対応できない


 俺も心の片隅では思っていた。ただ初の強敵を前に止まない高揚感のせいで細かなことを気にする冷静さを忘れていた。この相棒は普段はともあれ肝心な時にはかなり頼れる。

 ならどうする、という俺の独白を汲むようにリンダは答えてくれる。


――ジャック姐さんの言葉を思い出せるかい? 力のセーブの逆、つまり火事場の馬鹿力


「でもっ!」


 俺の短い叫び声に灰人が眉間を動かし僅かに反応するが、何かを察した様子はない。

 続く言葉は声に出さなくてもリンダには通じる、敵にヒントを与えるようなことはしない。


――消耗が激しいって話はわかってる。でもこのままだといずれ敗色濃厚になる。まだ劣勢ではないし仕掛けるなら早い方がいい


 一気に灰人を葬ることに賭けた方が良い、というのがリンダの言い分。

 ジャックは言っていた、無理に力を引き出すと凄まじい反動があり、最悪はゲシュタルトから消えて無くなると。でもこのまま俺が負けて春菜が再び危険に晒されるよりは良い。

「オーケーだ」と灰人に聞かれない大きさで返事する。


――大丈夫。ジャック姐さんの話はわかるから、ご主人の自我が崩壊しない程度に力をセーブするよ。ただその後、お互いほとんど動けなくなると思う


 布が巻かれた柄を握り直すことで、リンダを信じて覚悟する。

 若干距離はあるが、今灰人が操るメスは大型が二つと小型が二つ。その内、大型のメスをさらに一つ叩き落すことに成功する。

 手数の多さで攻めてくる灰人相手にメスの数を減らせて、これほど有利な状況はそう巡ってこない。灰人の挙動に焦りが窺えるため、仕掛ける機会は今をおいて他ない。


 リスクを承知でメスを去なす注意を捨てて、灰人に対し直線的に踏み込んでいく。

 こちらの狙いに灰人も気づき、小型のメス二本を斜め左右から挟み撃ちにする形で飛ばしてくる。迫り来るメスの体感スピードはかなりのものだが、臆せず突き進む。

 今までなら不利な状況を作らないことを重視し確実に一つずつ対応したが、速度を緩めずに最小限の身体の捻りで避けることを狙う。


「つっ」


 欲張り過ぎたせいか擦れ違う際に、一本メスが右脚を掠める。皮膚を裂く痛みが走ってもお構いなしにリンダを振り上げる。

 近過ぎず遠過ぎず、最高の斬撃を放てる位置。


 灰人は残っていた大型のメス一本と、再生成した大型の刃二本に瘴気を纏わせて防御体勢を取る。他に浮遊するメスはなく視界の外に神経を向けずに済む理想的な状況。


――やっちまえ、ご主人!


 リンダの叫びと共に、頭上に振り上げた刀身の輝きが一気に変容した。

 さっきまでは穏やかな生命を連想する、淡い緑色の輝きだった。

 しかし今は、破壊を思わせる紅の烈光。

 昂る俺とリンダの意識に連動するように、励起する赤い粒子の激流が迸っている。


 視野を狭めろ、遮るものは何もない、あとは打ち込むのみ。

 灰人の頭上目掛け、赤い粒子を放出し唸り上げる大剣を全力で振り下ろした。

 メスと接触した瞬間、衝突によって生じた赤と紫の閃光が周囲の建物を染め上げる。


「て、てめえ」


 すでに大型メスの一本は激突の瞬間に砕け散り、灰人を守るのは大型の二本のみ。その内の一本にはヒビが入っている。

 これまでとは比較にならない重さの斬撃に、灰人もメスに宿る紫色の瘴気を強めて抵抗する。

 力を加え続ければ、いずれこの巨大な刀身が灰人の体を打ち抜くだろう。そうなれば最後、無事で済むわけがない。


 しかしその確信は、灰人が浮かべた笑みによって揺らいでしまう。

 リンダに精一杯の力を掛けている一方、スローモーションみたいにゆっくりと灰人の背中から一本の小さいメスが飛び出すのが見えた。

 それは弧を描いて回り込み、やがて俺を貫くだろうと察するが、避けてはいけない。ここで引いたら俺とリンダに余力はなく、勝てる要素は消える……冗談じゃない。


 己の分身に対して「頼む」と、精神が焼き切れんばかりに強く念じる。

 後先の状況なんてどうでもいい、立ち上がる余力すらいらない。今はただ、俺自身の内に宿る全ての力をお前に預けて、この人外を打ち抜ければそれでいい。


「消し飛べ!」


 轟くように吠えるとリンダが応えるように、赤い粒子の密度が増していく。


 同時に左肩に圧し掛かる痛み。俺を貫こうとしていた灰人のメスだろうが、おかまいなしに今は最後の一撃に体中の全神経を集中させる。


 紫色の瘴気を掻き消すほどに、刀身はやがて赤の光柱となり肥大し続けていく。

 それは限りを知らず、俺の視界を超えてどこまでも伸びて空間を灼く。己の内から湧き出たとは思えない予想以上の現象、ただ猶予は少なくこの状態は長く続かない。

 圧倒的な脅威を前に慄く灰人に対し、俺は凄烈に唸り続ける大剣を容赦なく押し込んだ。

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