(3)発見

 次に辿りついた場所は、俺達が普段使っているタワーの近くにある日用品置き場だった。


「わたし、ここで彼と会ったよ。でも今思えば偶然で、本当はお店に用があったのかもしれない。お薬でも探してたのかな?」

「そうだろうね。けど彼がご所望の薬はここでは手に入らないだろう」


 藍色のマントを揺らし中へ入っていくセルフの後ろについていく。

 すると前の店とは違い、いくつもの陳列棚が荒らされて物品が床に散らばっている。調味料やお菓子のコーナーにも手が付けられていて、一貫性が無く何を求めているのかわからない。


「こりゃ酷い、末期的ってやつかな」


 セルフは床に落ちた飴玉の袋を破り一つ口の中に入れるとすぐ別の場所を探し出す。

 他にも乱された棚の横を通り過ぎて、一通り店内を探し終えても男の姿は見つからない。


「となると、最後は……」


 広いフロアの奥に扉をセルフが開けて、奥に進むと調理場らしき場所に出る。


 そこにパーカー姿の男はいた。

 調理場の薄汚れた床に痛々しい姿で倒れている。

 生きているとわかるのは「うっ、うう……」とくぐもった声を漏らしながら苦しそうに這いずっているからだ。フードは脱げていて、何かから耐えるように頭を両手で抱え、僅かに見えた口からは涎が垂れている。


「どこか体を悪くしてるの?」

「春菜。迂闊に近づかない方が」


 リンダの声を聞かず、前にいるセルフの隣を掠めて春菜は男の傍に駆け寄る。

 見知らぬ誰かを気遣う春菜の後ろ姿に、自分の胸が少し締め上げられる。

 これは醜い衝動だからと、表に出さないように努める。この程度で嫉妬するのは悪い事だと自分の胸に手を当てて言い聞かせる。


「どうしてこんなに弱ってるの?」


 春菜は男の背中を摩りながら、立ったままのセルフに聞く。


「この様子を見て、彼は何を求めていると思う?」

「えっ、お水……じゃないだろうし、食べ物なら今までのお店にも沢山あったし」


 こういうとき普段の春菜なら論理的に物事を考えるが、ただ今は疑問を紐解けないようだ。

 回答に困る相手の姿を見て、セルフは舌打ちして邪悪で不満そうな表情を浮かべる。しかしその後、何か思い直すように唇を歪ませて微笑む。

 いつもそう、こいつが何を考えているか全く読めない。


「じゃあヒントを出そう」


 セルフは外套の袖に隠れていた白磁の右手を掲げて人差し指を立てる。


「一つ、薬に似たものを求めている」


 重要なことだと意識付けるかのように、僅かに頷きながら春菜に向けてそう言う。


「二つ、ご覧の通りの禁断症状」


 天井を向く人差し指の隣にある中指も同じように立てる。


「三つ、彼は君達と同じインサイドにいた人間だ。ほら、聡明な君ならこれでわかるだろ?」


 同じように薬指を上げたまま、セルフは楽しそうに語った相手の反応を窺う。

 与えられたヒントから思考を巡らせる春菜と違い、俺はそんなことに興味が沸かない。

 なぜなら、大切な人が悪いものに毒されていくような気がするから。

 セルフの声が教え導くような問い掛けではなく、禁忌に誘うような悪魔の囁きに思えた。

 二人を引き離すために、俺は背後からセルフの肩を掴み止めさせようとする。


「ここにあるの?」


 何か閃いた春菜が喋り出す方が早かった。

 伏せていた顔を上げ、見下ろしてくるセルフを仰ぎ見る。その表情は何かに驚き圧倒されながらも、なぜか憂いを帯びているようだった。


「この店だけではなく、そんな情けないものをセーフエリアには置かない。言っただろ、君達はボクの客人なんだ」


 内容はわからないけど、確信を隠しながらの会話だと察する。


「彼はそれでも求めているのね」

「ああ、そうだろうね。夜獣にこそなっていないが知性を失っている。ただこんな状態だからこそ、彼は自我を保ちゲシュタルトに現界していられるのだろう」

「こんな状態だから?」

「そう。狂っているとしても、たった一つの強い欲求によって彼は己を繋ぎ止めている」


 セルフは俺達とパーカーの男も含めた三人から離れ、踵を軸に芝居じみた動作で向き直る。

 そして肩から下げているベルト付きの大きな手帳を開き、話し始める。


「二週間前、あの太極図の珠を使ってインサイドに人間を呼び込んだ。ただ転移したのは楓と春菜だけではないことが数日前にわかってね、探していたんだがどうやら彼のようだ」

「でもどうして俺達と違って、こんな状態なんだ?」

「ご覧の通り、彼にはわかっていても捨てられない歪んだ欲求があるからさ」


 セルフは俺に小さく頷き、それ以上明確な言葉を出さない。

 仕方なく答えを求めて春菜へ視線を送ってみる。困った表情で言い難そうでも、何かを割り切るように、まるで懺悔するかのように目を瞑り話し出す。


「彼はその……多分、麻薬が欲しいんじゃないかな?」

「くひっ、ふはは」


 そう言い終えた春菜の姿を見て、セルフの口元から上擦るような残酷に嗤う声が漏れる。


「麻薬って……つまりこの人は、転移する前からそういう薬の常習犯だったってことか?」

「そうだろうね。インサイドでは調達方法があったんだろうが、ゲシュタルトでは無理で耐えられずこんな醜態をさらしているわけだ」


 薬置き場を荒らし床に倒れて手足を震わせ苦悶に満ちている様は、確かに薬物依存者の特徴そのもの。目の前で見たのは初めてだけど、テレビで知ったイメージと同じだ。

 どんな因果があって彼がこうなったのかはわからない。

 ただここはゲシュタルト、他人事と簡単には扱えない。少し因果が違えば俺達が苦しむ立場だったのかもしれない。


「セルフなら、この人を助けてやれないのか?」

「いや、もう手遅れだ。かわいそうだがね」


 最期の言葉は、上辺だけで申し訳程度に付け足した声だった。


「そ、そんな……あなたならどうにかできないの?」


 春菜が救済を乞うように訴えても、セルフは共感も拒否もなく泰然としている。


「彼は麻薬への強い欲求によってゲシュタルトでも自我を保っている。それが解消されて正気に戻ってしまえば自我の境界を維持できず、消えて無くなるか、夜獣になるだろう」

「何も方法がないの?」

「いや、方法はあるよ」

「それなら――」


 セルフは軽薄な口笛の音を鳴らしてから「ちっちっ」と人差し指を揺らし、声高に主張する春菜の続く言葉を遮る。


「申し訳ないが、ボクはこの世界の管理人だ。君達のセンチメンタリズムに付き合いたいが、彼のために行動する時間がボクにとっても世界にとっても無駄。確かに彼を救える方法を知ってはいるが、ボクは複数の仕事をこなす必要がある。君達と合っていないときはいつも仕事をしているんだよ、見た目ほど暇じゃない」

「仕事なんか、人の命に比べれば軽いものだわ」


 ここまで我を張って反発する春菜は、普段一緒にいる俺ですら滅多に見ない。

 それに対して、セルフは装飾品が多いシルクハットを深くかぶり視線を遮ることで去なす。


「春菜……聡明な君ならわかるはずだ、頭が悪そうなことを言わないでくれ。ボクの仕事が軽いなんてとんでもない。もしボクが仕事を数日サボれば、インサイドでの自殺者と殺人者が数倍に跳ね上がるだろう、酷ければ戦争すら起きる。ボクの仕事というのはそういうものなんだよ。大袈裟に言えば因果をコントロールしているんだ」


 そんな抽象的で途方もない話をされても理解できない。

 春菜は主張を曲げず、鋭い視線で睨み続ける。俺とは違って内容を理解し、その上で抵抗しているようだった。


「彼は殺そう。日本には介錯という風習があるらしいね。それがせめてもの餞だ」

「なっ、そんなのダメよ。殺すなんていけないわ」

「ん? どうして人を殺してはいけないんだ?」


 抑揚のない話し方でそんな返事を平然とされて、春菜は驚きを隠せず閉口する。


「少しレクチャーだ。察していると思うが、人の形をしていてもボクは君達とは存在の次元が違う。殺人を禁忌とするのは人間の文化であって、ボクに当て嵌めるものじゃない。ライオンに対して獲物を襲うなと強要できるかい? これは大袈裟な例えでもなんでもない」


 ゲシュタルトに来てからセルフには世話になったことが多く、恩が無いわけではない。ただここまで大きな価値観の相違があるとは意外だった。


「血生臭いやり方はしないよ。スマートに済ませるさ」


 俺達から離れた位置にいたセルフは外套の金属類を鳴らして跳び上がり、宙返りしつつ調理場の天井を掠めて今も悶える男の前に立つ。

 そしてやや屈み、男の頭上に片手を翳した。

 具体的に何をするかわからないがセルフがその気になれば、ただでさえ危ういこの男の命が完全に消えてしまうことは確かだろう。


「待って!」


 男の頭上に伸びる白い腕を、春菜は両手で押さえ込んで邪魔をする。


「どうしてそんなにも彼を救いたい? 君には何の価値もないはずだ」

「損得の問題じゃないの」

「博愛主義を否定する気はないが……仮に彼を救いインサイドに送り返しても、幸せとは思えない、希望が無いだろう。だとしても、生き続けるべきだと思うかい? 確かにボクは君のように慈悲の心を持たないが、このまま終わらせる方が彼にとって救いだと思うね」

「確かに苦しいかもしれない」


 春菜は正論を否定できず、伏し目がちになり押し負けるようにそう呟く。

 内心で俺はセルフの意見に賛成する部分もあった。ここまで堕ちた人間がまともになるのは難しいし、この男に限らず他人の運命に対して責任を持てないからだ。


「元の世界に戻っても、すぐには幸せに恵まれないかもしれない」


 パーカーの男を落ち着かせるように、痙攣する頭を一度だけ撫でる。その光景を見て、俺はつい目を背けてしまう。


「でも、そんな苦しい巡りがあっても、救われて欲しいし救いたい」

「もう一度聞く、どうしてそんなにも彼を救いたい?」


 すると春菜はその場で目を閉じる。

 その姿はセルフの問いを咀嚼し、己の内面に深く潜り自問しているかのようだ。

 それから誰も喋らず、調理場には時計の秒針が刻む小さな音だけが規則正しく進む。そして十秒くらい経つと、沈黙を破るように春菜の瞼がゆっくりと上がる。

 琥珀色の瞳には、揺蕩っていた迷いが消え意志の強さが宿っていた。


「誰かに救われて生き続けている人間はいるからよ!」


 内にある衝動に身を任せた叫び。

 説明にもなっていないこんな激情を吐き出す春菜を、俺は今まで見たことがなかった。

 そこで思い出す、転移した時に見た春菜の夢。

 ただの夢だけど、あの時の春菜は俺を惑わすように囁いて、両手で首を覆ってきた。

 そんな幼馴染の意外な姿を、ゲシュタルトに来てから見ることが増えた気がする。



 セルフは納得できないのか何も言わずに首を傾げる。

 その主張を試すように、無表情のまま力の入った春菜の瞳を眺め続ける。対して目を逸らせば負けと悟ってか春菜も逃げない。

 しかしそんな鍔迫り合いも長引きはせず、先に引いたのはセルフだった。


「なるほど、なるほど」


 春菜に抑えられていた自分の腕を引き、顎を撫でて何かを考えながら調理場の机を一周する。


「やはり君はアニマではないようだね……わかった。春菜に免じて彼のことは引き受けよう。ヤク中の人間を更正させるのに向いているヤツがいてね、そいつに引き渡す。但しそれでもどうにもできなかったら、仕方ないと思ってくれ。彼が生き抜く最良の選択には違いないからね」


 最後の注釈が引っ掛かったのか即答こそしないけど、春菜は「お願いね」と渋々頷く。

 了承のサインか、セルフはシルクハットを抑えて深く会釈する。

 男の腰にあるベルトに手を掛けて軽々と持ち上げ、調理場を出て裏口から外に出る。春菜より背が低く小学生並みの身体でも、やっていることは筋骨隆々の大男のようだ。


「それじゃ、ごきげんよう。二人とも、また会おう」


 手に持つ男の扱いはやや乱暴でも、セルフはパーカーの男をどこかに置き去りにすることなく、セーフエリアの外へ跳び去っていった。

 春菜は二人が向かっていった方向の夜空へ手を伸ばし、心配そうな眼差しで見つめている。

 それはまるで、子供を見守る母親や先生のようでもあった。


 パーカーの男と接触してから初めて見る一面にかなり驚かされた。幼馴染としてなんでも知っているつもりでいたから、今も動揺を隠すことで精一杯だ。

 春菜はしばらく跳び立った二人へ思いを馳せていた。やがて夜空へ伸ばしていた手を下げる。


「さてさて……いろいろあったけど、遅いご飯を食べよう。今日はカレーだよ」


 振り返って俺の手に握るその姿は、いつもの春菜だった。

 そのまま軽く引っ張られて再び店内に戻る。レジに置いてあった食材の入った買い物鞄を手に持ち、店を出て住処であるタワーへの帰路に着く。

 振り回されるようにリードされるけれど、馴染みある日常に思えて安堵する。近しい人の意外な一面を知った程度で取り乱すのは良くない。

 それでも、気になることが一つだけある。


「あのさ、春菜。聞きたいんだ」

「何?」


 頭一つ低い位置から首を傾けて、俺の顔を覗き込むように聞いてくる。


「さっき、誰かに救われて生き続けている人間はいる、って言ってたよね? それ誰のこと?」


 春菜はタイルの地面に視線を落としてから人差し指を自分の頬に当て、何かを否定するように二回頭を振る。


「ふふっ、内緒だよ」


 後ろ歩きで数歩先を行き、上目遣いで小悪魔のように微笑む春菜はなぜか楽しそうだった。

 答えてはくれないけど、それ以上は聞かない。

 無理に拘らなくてもいずれわかる気もするし、今は二人で過ごせれば満足だから。



 ただ一週間後、その言葉の真意と微笑み意味を、俺は知ることになる。

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