(2)セーフエリア探索

 見知らぬ何者かが春菜に近づき始めたのを見て、身を潜めていた広葉樹の影からすぐに飛び出して二人の間に割って入る。


 パーカーのフードを深々と被った不気味な風貌、骨格からして男だろう。

 セーフエリアの中にいて四肢を持つ人の形をしているから、おそらく夜獣ではない。但し害が無いとは限らない。


 大腿のケースに収まるリンダの柄を西部劇のガンマンのように素早く抜き取り右手で前に構える。ただ光の刀身は出さず威嚇までに止めておく。

 するとパーカーの男は気圧されてか、何歩か下がって怯む。

 警戒したまま様子を窺い睨んで牽制するが、それを咎めるように肩を引っ張られる。


「ちょっと楓ちゃん、やりすぎだよ」

「えっ、でもこいつ全く喋らないしおかしいぜ。南野の時みたいにまた襲われたらどうする?」

「この人にそんな危ない感じはしないよ」


 夜獣狩りの後で戦闘の緊張感が残っていたせいか、些か高圧的な対応をしてしまったかもしれない。男へ突きつけるように掲げていたリンダを下ろす。

 すると怖がって逃げ腰だった男の姿勢が緩み、項垂れていた顎がやや上がる。


「持ってないの?」


 なんとか聞き取れる言葉だったが意味はわからない。

 それだけ言い終えると、男はその場で屈み込んだ。

 今までの静けさが嘘だったかのように、蛙の如く両手両足で急激に跳び上がる。十メートルにも及ぶ跳躍を繰り返し、入り組んだセーフエリアの何処かへ消えていった。


 追い掛ける必要もない気がして後ろ姿を見届ける。あれだけの脚力を持ちながら、春菜を襲わずにいてくれたのは僥倖だ。


「何だったんだろうな?」


 リンダを大腿のケースに収めながら振り向くと、今も春菜はパーカーの男が跳び去っていった軌跡を追うように空中を見続けている。


「わたし、彼を探す」


 春菜は強く主張するわけでもなく、あっさりと言い切った。


「そんなことしたってどうするんだよ。追い掛けて何になる?」

「大丈夫、襲われたりはしない。何かわたしに聞きたいことがあったみたいなの。それを知りたい」


 物腰の柔らかい話し方はいつもと同じでも、その瞳には強固な意志があった。


「夜獣と違うのはわかる、攻撃的な雰囲気は無かった。ただ見るからに正気を失った異常者だったろ。俺達とは違う、まともじゃない」

「春菜、ここはゲシュタルトだ。彼自身があたし達を襲わなくても、追い掛けた先に何かしらの危険があるかもしれない。魔は魔を呼ぶものよ。だから部屋に戻ろう」


 太腿のケースに収まっているリンダの珍しい援護射撃に助けられる。普段はご主人と呼びながら俺をよく馬鹿にしてくる。ただ戦闘中や重要な時は意見が別れない。

 しかし俺とリンダに反対されても春菜が動じる事はなかった。


「わたし達は不自由なくゲシュタルトで過ごせているけど少し巡りが違えば、夜獣になっていたかもしれない。自分達が特別だなんて自惚れは無いし、多くの人を救いたいなんて過ぎた感傷もない。でも行動できるのにわざわざ見捨てる必要もないと思う。求められたなら尚更」


 困っている他人を見過ごしのうのうと生活を続けることに、良心の呵責を感じる気もする。

 ゲシュタルトは人が少ないとセルフが言っていたし、確かにパーカーの男を放っておくことは人情に欠けることかもしれない。


「わかったよ」


 そう返事をすると春菜の表情が晴れていく。


「でも条件がある」


 釘を刺すように付け加える。それでも俺の最優先が春菜であることに違いはない。


「探すなら俺も一緒だ。春菜一人でやるのは許さないぞ」


********************


「っ……きゃっ」


 具体的な高さはわからないがタワーの十階くらいの地点まで上昇すると、両手で抱えた春菜が悲鳴を堪えてくぐもった声を漏らす。

 俺の首に両手を回していていわゆるお姫様抱っこの状態。高高度での浮遊が初体験なせいか、強風に靡くツーサイドアップの髪束を抑えることも忘れ、体を硬直させている。


「やっぱり止めとくか?」


 悪戯心で聞くと、唇を尖らせじろりと睨まれる。


「大丈夫。あたしを抱えてれば怖がる必要ないって」


 鍔から先の光刃を収めた状態になっているリンダを春菜が胸に抱えている。


 文様を緑色に点滅させながら春菜を軽い言葉で励ましているけど、決して気休めじゃない。

 建物の十階以上の高さがある跳躍をすると、上昇にも下降にも弱くはない衝撃が全身に圧し掛かる。そんな芸当も一人では平気でも人を抱えながら浮遊するのは危険で、細身で俺よりも一回り小さい春菜は怖い思いをする。


 そこでリンダから提案があり、柄だけの自身を春菜が抱えることで衝撃を和らげ、さらに俺の両腕から離れないように固定できるという話だった。

 試してみてもベルトで繋がれたかのように、俺の右腕が春菜の背中と肩、左腕が大腿に密着したまま離れない。


「すごい……」


 恐怖が消えてきたのだろう。春菜は空中浮遊を楽しむ余裕が出てきたのか、やや頬を上気させながら全身で風を受け、下界に広がるセーフエリアの煌びやかな光景を見下ろしている。

 元の世界で遊園地の絶叫マシーンが苦手な節も無かったし、勢いをセーブしてやればすぐに慣れるとは思っていた。


「これならわたしでも探せる」


 俺と春菜とリンダ、三人でパーカーの男を探すために選んだ方法がこれだった。

 男が人間で最低限の理性や本能があれば、夜獣を避けるためにセーフエリアの外には出ないだろう。しかし行方を見失った上に敷地は広く、探し出すには一人では難しい。

 そこでリンダを持つ春菜を俺が抱えたまま空を跳び回り、上空から見つけ出すことになった。俺が右、春菜が左、眼球は無くても「視える」らしいリンダが前を監視するという手筈。


「しっかし広いな」


 敷地の外周を車線の多い道路が囲んでいるためどこまでがエリア内なのか、一眸するだけでわかる。敷地は広い遊園地並みで、その半分以上はまだ踏み入ったことがない。

 夜空の下、全景に渡る色鮮やかなイルミネーションを眺め終えると、両手で春菜を抱えながら未知の区域へと進んでいく。


 最初に踏み入ったのは、俺達が住むタワーやレジデンスといった集合住宅とは逆に一戸建ての家屋が立ち並ぶ区域。

 建物の種類事に区域が分けられていた。瓦が重なる入母屋屋根が並ぶ場所は馴染み深く、和の匂いがある。他にも赤茶色のレンガと石材で作られた厚い外壁に囲まれた家や、広い土地を贅沢に利用しレッドシダーの木材を豊富に使った平屋には欧米の雰囲気がある。

 それ以上に印象的なのは、一言で表せばファンタジーの世界。

 曲面のある屋根と草臥れた漆喰の壁に木の蔦が絡むメルヘンな家や、凹凸のある丘や岩を刳り貫き窓や玄関が嵌め込まれた巨大なかまくら、数本の巨木に支えられて木造の小屋が空中に建つツリーハウス。

 そんな色とりどりの光景に春菜は目を奪われそうになる。しかしすぐ我に返り、本来の目的を忘れないように頭を左右に振る。


「ここには見当たらないね」


 一戸建てが並ぶエリアを一通り巡り終えても、パーカーの男は見つからない。

 普段自分達が住むエリアと同じで人気が全く無いため近づけば察知しやすいはず、それでも気配すら感じない。


 次の区域は、それまでとは逆に無機質な場所だった。

 ホテル街に近い印象で、複数の窓がついた無個性で縦長の建物が何軒も並んでいる。道路も普通の公道でデザインに趣向を感じない。

 抱えている春菜の横顔を見ると、様々な地域の家が並んでいた区域に比べて物足りなさそうにしている。


「あたしらが普段出入りする場所もそうだけどこんなに居住区が必要なのかしら。住人なんて春菜とご主人以外見たことないのに」


 リンダの疑問はもっともな話だ。


「こんな世界だから合理的な理由は無いかもな」


 人からの依頼があり建設会社が建物を増やすのが元の世界では一般的、しかしそんな事情がゲシュタルトにあるとは思えない。

 最後に訪れたのは他の区域より敷地が狭く、公民館や体育館等の施設が立ち並ぶ場所だった。


「実はここだけは最近一人で来たの、あそことか」


 リンダを離さないように抱えながら春菜が指差す先には、周囲よりも一際目立つ建物がある。その理由は広さで、グランドを含めた学校並みの坪数があるように見える。


「図書館?」


 それが図書館だと判別できたのは窓から覗える屋内に本棚の羅列が見えたからで、外観は何かの庁舎に思えるほど大きい。高さは四階建てで俺達が住む三十七階建てのタワーと比べるまでもなく低い、ただセーフエリアにあるどの建物よりも横幅がある。

 これだけ広いなら、本の所蔵数はかなりのものだろう。


「春菜なら飽きずに一日中過ごせそうだな」

「それいいかも、セルフに司書のアルバイトでもさせてもらおうかな」

「きっとただ働きね。あのマント野郎は根っからの性悪よ」

「リンダちゃん、言うねえ。でも間違いない、なら乗っ取っちゃうんだから」


 そんな他愛もない会話をしながら、三人で周囲へ注意を向けつつパーカーの男を探し続ける。


********************



 しかし三十分以上は経っただろうか、初めて踏み入る区域も含めたセーフエリア全域を飛び回ってもパーカーの男の姿は見つからなかった。


「いないね」


 春菜は両肩を大きく落として落胆する。

 これ以上探す当ては無く、三つのタワーの中心にある噴水まで戻ってきた。


「ほら春菜、元気出して。今見つけるのは難しいかもしれないけど、明日とか明後日ばったり会えるかもしれないよ。あたしも探すし、ご主人にも手伝わせるからさ」


 励ましついでにさりげなく俺を貶してくるリンダに言い返そうとして、春菜の背中を見て言い止まる。噴水の淵へ広がっていく水の波紋を眺める後ろ姿が残念そうだから。


「お話、してみたかったな」

「上手く探せる方法があればいいんだけどな」


 これ以上探すのは難しいと、春菜もきっとわかっているはず。

 セーフエリア内を一通り巡ったが、大雑把に上空から眺め続けただけでくまなく探せたとは言えない。しかし建物の入り組んだ場所まで俺達だけで探すのは膨大な時間が掛って非現実的だ。


「あとは……やっぱしセルフを当てにするしかないか。もう少しで集合時間だ」


 転移してきて二週間経つけれど、今もゲシュタルトの事でわからないことは多い。だから三日に一度、時計が十二時を差す時間に、噴水のある場所で合流し定期連絡をする約束になっている。


「楓ちゃんって、なんだかんだセルフのこと信じてる気がする」


 噴水を眺めたまま水面に指先を滑らせる春菜に、そんなことを言われる。


「頼ってはいるけど、信じてはいないよ。なんか人って感じがしないんだ。意識しなくていいというか、別次元というか、魂の無い人形や機械と会話しているような感触がする」

「楓は酷い事言うなあ」


 すると前触れもなく、無駄に抑揚がある声が背後から聞こえた。


「うびゃっ」


 驚きを隠せず全身が震え上がり、間抜けな奇声が口から漏れる。


「そんなに驚かないでおくれよ、ボク傷ついちゃうぞ」


 胸に手を当て、わざとらしく心臓の位置を捏ねくり回すように擦る。

 神出鬼没とはこの事、気配を全く感じなかった。噴水を眺めていた春菜からも俺からも死角だった位置に、セルフが澄まし顔でぽつりと立っていた。


「いつからいたんだ?」

「んー、リンダが「ご主人にも手伝わせる」って言ってた下りからだね。君達が気づかないからずっと黙っていたんだ。人間観察が趣味だからね」


 人の反応を窺い悦に浸るのは悪趣味極まりない。これだから信じられないのだ。


「ところで、君達は誰かを探してたのかい? さっきまでの会話ではそんな気がするけど」


 癪ではあるけど、パーカーの男を探す方法に困っていたから現れてくれて助かる。


「一時間くらい前、いつも使う日用品置き場の前で俺達以外の人間に初めて会ったんだ。けど様子が変で話が成り立たなくて、俺が警戒し過ぎたせいもあって逃げられちゃったんだ」

「でも襲われもしなかったし、わたしに何か聞きたかったみたいなの」


 セルフは顎に手を触れて何度か頷く。


「俺達が見た彼は、人間なんだろうか?」

「うん、それは間違いないよ。どんな夜獣でもこの区域に侵入できない」


 少し後悔する。

 害のない人間だと最初からわかっていれば、リンダを使って威嚇なんかしなかった。


「他に何か情報は無いか? 細かいことでもいい」


 セルフは顎に手を触れる体勢のまま何もないどこかを見て熟考している。


「パーカーを着ていた、多分男だと思う」

「外見以外で何か覚えてないかい?」

「うーんと……彼、確か最後に「持ってないの?」って聞いてきた。わたし達が何も知らないことがわかって去っていった感じだったよ」


 うろ覚えだけど、去り際にそんなことをぼそりと呟いていた気がする。


「なるほど、なるほど。それは良い手掛かりかもしれないね」

「えっ、どこに行ったかわかるの?」


 噴水の傍から離れて、春菜は自分より背の低いセルフの両手を握って詰め寄る。


「おっ、おう……三軒ぐらい心当たりがあるから、そのどれかにいるかもね」


 滅多に動揺しないセルフも春菜の熱意に負けて後ずさるけど、俺にとっても意外だから無理もない。

 普段から落ち着いている春菜が、ここまで誰かに執着するのは珍しいことだった。


********************


 セルフは外套の金属類を鳴らしながら、建物の五階くらいの高さを跳び続けて目的地へ向かう。

 俺はリンダを持つ春菜を抱えて、緩めのスピードでその後ろ姿を追う。


 さっき通ったホテル街に辿り着き、最初に訪れたのはドラッグストアだった。食品もあって、普段俺と春菜が使っているスーパーと似たような使い方もできそうな店。

 すぐに店内へ入り、セルフは薬品が並ぶガラス棚を一瞥してから、店員しか入れない奥の事務室も一通り確認する。


「違ったか、次に行こう」


 そのまま裏口を抜けて搬入口から跳び立ち、また別の場所を目指す。

 一戸建てが並ぶエリアまで来て、次に入った店は前のドラッグストアより大きい店。早歩きで店内を巡回し曲がり角で左右を確認しながら進むと、ある場所で足を止める。


「ほう」


 一言唸り、レジの隣にある陳列棚にセルフは近づいていく。他と異なるのは、棚に並んでいた小箱や便が荒らされていて床にバラ蒔かれているところだ。


「薬?」


 床に落ちているのは、元の世界ではよく見掛ける風邪薬や睡眠薬だった。

 他の棚には手をつけた形跡が無くここだけ荒らされている事に何か意味があるのだろうか?


「なるほど。しかしこんな状況だとうかうかしてられないな……確か、インサイドで流通しているミステリーとかいう物語を読んだ時にこんな台詞があった」


 俺達に背を向けていたセルフは芝居じみた身のこなしでゆっくり立ち上がり、軸足を中心に百八十度回ってシルクハットのつばを人差し指の関節で押し上げる。


「犯人は現場に戻ってくる」

「どういう事なの?」


 春菜の問いに対し、セルフは沈黙したまま得意気に口元を歪ませた。

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