(2)佐藤 春菜
わたしの幼馴染みは、モノクロカラーのアイテムにずっと気が取られている。
「それは大昔の中国でできた陰陽を示す大極図って名前の模様だね。白い部分が「陽」にあたる部分で昼や夏や光といったプラスの概念、黒部分が「陰」にあたる部分で夜や冬や闇といったマイナスの概念。さらに言えば、その両方が存在することで森羅万象の調和が成り立つ、という仕組みを表した図形よ」
「へー、さすがは佐藤博士、物知りだね」
極力わかりやすくかつ短く説明したというのに、聞き手は若干上の空。
「誰が博士よ。年頃の女子に向かって、失礼しちゃう」
図書館でのわたしの用事が済んで駅に向かい歩いている途中も、楓ちゃんはずっと謎の物体を触って遊んでいた。
何かの飾りだろうか、出処の見当もつかないから誰に渡せばいいのかもわからない。
「そんなのに夢中になるなんて、高校生なのに子供みたい」
「だって、まだネバーランドに行きたいもん」
冗談を言えるなら、学校にいた時より機嫌を直してくれた証拠。ならこの謎の物体に感謝しなくてはいけない。
わたし自身は、配慮が浅かったことに反省だ。もし楓ちゃんが悪い噂のある先輩に呼び出されたら、逆の立場なら心配するに決まっている。
駅に着いて人通りが増えると、楓ちゃんはオブジェを大事そうに通学鞄の中に入れる。
わたし達が普段使うこの駅は二つの路線が通っていて直結のショッピングモールもあり、その周辺もお店が多い。
「楓ちゃんはどこか寄りたいお店とかある? 付き合うよ」
「強いて言うなら、リンダの部品を見に自転車屋さんかな。ブレーキシューを交換したくてさ」
「うん、いいよ。リンダちゃん、カラーリングが可愛いくて好き」
「もっとフレームが細いのが好きなんだけど、あれはあれで嫌いじゃないかな」
リンダというのは楓ちゃんのクロスバイクの名前。就職の都合で下宿先へ引っ越すお姉さんから譲り受けたばかりのもの。
マリンというメーカーのテラリンダという車種で、楓ちゃんは短く「リンダ」と呼んでいる。女性向けのモデルらしく、白が基調でスカイブルーの文字が入った爽やかな印象のデザインがわたしも好きだったりする。
「今度わたしも乗ってみたい。家の前で、少しだけでいいから」
「俺の相棒に触ると怪我するぜ。それじゃ少し待ってて」
ニヒルな表情で無意味なギャグを飛ばしながら、楓ちゃんは店内に入っていく。
お姉さん譲りの自転車がきっかけで趣味が増えたのは良かった。部活にも入らず無趣味でいるより刺激があるし、今の楓ちゃんには丁度良い。
わたし達は幼馴染。
お互いの幼少期を知っているし、住む家も隣同士。
ただ離れていた時期もあって、ずっと一緒だったわけじゃない。
幼稚園の頃から一緒に遊ぶことが多く仲も良かったのに、小学校三年生になると親の仕事の都合でわたしは引っ越しすることになった。
だから中学二年生の時、再び元の家に戻れると決まった時は楽しみだった。
けれど、楓ちゃんと五年振りに再開したときは大きなショックが二つあった。
五年の歳月は一人の幼い子供を、端正な容姿を持つ少女へと成長させた。
但しその雰囲気は、わたしが知る小学校の頃の元気な女の子とは違い、覇気がなく無気力な印象だった。だから壊れないようにゆっくり接した。
すると楓ちゃんは誰にも打ち明けられずに溜め込んでいた闇をわたしだけには打ち明けてくれた。
その闇の正体は、彼女自身の性に関することだった。
男女という枠組みを自分に当てはめることができないという周囲とのズレ。
性同一性障害と、病院では診断されてしまったらしい。
その苦しみは簡単には解決しないと思う。それでもわたしに本音を吐き出せたせいか少しずつ元気を取り戻し、今は彼女本来の明るい性格が戻りつつある。
根本的に解決してはいないから、懊悩とする時もあるだろう。だからこそ見守っていきたい。大好きな幼馴染だから、いずれは心の平穏を取り戻して欲しい。
「お待たせ、帰ろっか」
楓ちゃんはパーツが入ったビニール袋を満足そうに掲げて戻ってきた。帰ってリンダちゃんに取り付けるのが楽しみなのか、口元が綻んでいる。
それぞれの用事も済みショッピングセンターの中を抜けて駅を目指す。
人通りの多い場所を歩くと、通行人の視線を隣の楓ちゃんに感じる。
髪も長く背が高い女子高生というだけで注目されるから仕方ない。ただ本人は良く思ってない、きっと今もだ。こういう時は意識を逸らすのがいい。
「そういえば楓ちゃん。一昨日だったかラブレター貰ったって、言ってなかったっけ?」
そう言った後、色恋沙汰の話題は地雷かもしれないと思い直したけど、すでに遅い。
どうやら苦い結末だったようで、楓ちゃんは指で頭を搔きながら溜め息を漏らす。
「ああ、今日の放課後に会ったよ……二人っきりで屋上にいたから、すごい後味悪かった」
楓ちゃんは美人と呼ばれるのに十分な容姿を持っている。背の高さやメリハリのある顔立ち、癖や痛みのない黒髪ストレートのロングヘア、どれもわたしには無いもので羨ましい。
単純にルックスが良いだけでなくどこか艶のある雰囲気に加えて、立ち居振る舞いがサバサバしているせいか中性的な雰囲気もあり、年上年下男女問わず好意を寄せられている。高校に入学してから告白の数はさらに増えたようで、特に下級生女子からの申し入れが多い。
「断った後なのに、後味良くなるわけないじゃない」
「そうなんだけど『やっぱり、佐藤先輩じゃなきゃダメなんですか?』って言われたよ」
「うわっ、それは……なんか、わたしが悪い事した気分になっちゃうね」
わたし達は特別な関係ではないのかと、一部の人達の間では囁かれているらしい。考え方によっては間違いではないし、二人でいる時間も多いから反論の余地はない。
「でもそんなこと言う気持ち、わからないでもないよ」
「そうなのか?」
「だってわたしから見ても楓ちゃんは魅力的だもの。もしわたしがその子なら、佐藤春菜って人間はやっぱり目敏く感じると思う」
「またそれか。前にも聞いたけど、俺はともあれ、なんで春菜がそんな恨みみたいの買わなきゃいけないんだよ。意味わかんない」
理解できず、攻めるように言い返してくる。
「んー、例えばついこの前ね、わたしのクラスの子が『そこら辺の男子に抱かれるくらいなら結城さんに抱かれてみたい』って言ってたよ。この感覚わかる?」
「やめてくれよ、気持ち悪い。どこの阿婆擦れだよ!」
楓ちゃんは目を見開き、竦んだ自分の肩を抱いて身震いする。
こういう反応はいつ見ても可愛くて飽きない。遊ぶのがつい癖になってしまう。
数年前にこんな話をすれば本気で嫌がっていたけど、今は冗談として通じるようになったのは良い事だ。
「でもわたしはちょっと悪目立ちしてるかもしれないね」
「悪目立ちって……」
「やんちゃな先輩には呼び出されたり、楓ちゃんの告白相手にはあまりよく思われてなかったり、風向きが悪いかも」
それは元々覚悟していたこと。わたしの隣にいる幼馴染を気にしている人は多い。魅力ある人間の傍に立つ者の義務だと気取ることで納得はしているつもりだ。
「気にする必要ない。春菜も俺も悪くないさ」
楓ちゃんは面白くなさそうに苦虫を噛み潰したような表情で話題を流し、定期入れを片手に駅の改札を抜ける。わたしも後に続き二人でホームまで降りていく。
発車標を見ると次の電車までしばらく間があった。お互いに門限があるような家でもないし、何をしようかと巡らせると一つ思い浮かぶ。
「なるほど。今日はお互い波乱の一日だったようだし、もう少し気分転換しよう」
「ん?」と唸って振り向くだけで聞いてくる幼馴染に閃いたプランを提案する。
「東京タワーに行こう」
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