インタールード:プロローグ

「ひとまず四つ。さらに所持欲求増加を付与、っと」


 手元にあるのは、陰陽を示す黒白の勾玉を一つにした意匠、太極図の珠。


「場所は……浮世離れした思考の持ち主や知的な人間、はぐれ者がいる場所にしてみようか」


 ボク以外は誰もいない駅のホーム、その白線の外側へ立つ。


――今いる世界を捨て、別世界の住民にならないか?


 唱えるように呼び掛けてから、線路へ四つある掌大の珠を落とす。

 すると地面に落ちる寸前、水面のような薄緑色の境界が現れ、空間に溶け込むように消えていった。


 作業履歴を辞書並みに分厚い手帳に記す

 いつもベルトを通して常に肩から下げている大型の手帳、物忘れが激しいボクには大事なものだ。


 ふと視界の端にこの世界の象徴が映る。

 それは夜空に浮かぶ、赤・青・緑、三色の地球。


 あれに捕らわれた人間から、己を象る自我の境界を失う。

 ここは愚かな悟りを開いた者達の墓場。精神が強い人物でなくては、この永遠に昼が訪れない絶対虚空の世界では生き残れない。

 天国、地獄、冥界、楽園、理想郷などと称されてきたこの世界だが、刺激が少なく実に退屈だ。


 作業も終わり、駅の管理人室で一息つくために階段を上ろうとしたところで……微かに聞こえた物音に足を止めて踵を返す。


 伸びた線路の遥か遠くから、レールと車輪が擦れる音が聞こえてくる。

 まさか、ありえない。

 今日はとても運が良い。


 徐々に大きくなる電車の走行音は客人の来訪を意味する。それにボクは期待してしまうが、そもそもハズレが多いという理性が好奇心に歯止めをかける。

 先頭車両が姿を現しホームに滑り込んでくる、どの車両にも照明が点いていない。

 減速する電車とは逆方向に走りながら確認していくと、後ろから二番目の車両に光が見えた。

 停車すると空気圧が抜けてドアが開く。


「ほう」


 車内を覗うと、思わず唸ってしまう。

 そこには、一人の女性が倒れていた。


 やや張り出した胸ポケットに紋章の刺繍が付いた藍色のジャケット、それに紺赤チェック柄のプリーツスカート。華やかなデザインの制服から、日本人の女学生のようだ。

 しかし注目すべきは服装よりも、彼女自身の優美な肉体だろう。

 女性にしては身長が高く細身ながら筋肉のある均整のとれた体躯、未成熟ゆえにきめ細かい肌、欧米人程ではないが鼻筋が通った彫りのある顔立ち、さらに腰まで伸びた艶のある髪の毛。


 これほど麗しい姿の人間なら、期待できるかもしれない。

 肉体と精神は表裏一体、肉体が美しければ精神も美しいに違いない。逆にそれ以外は何も求めない、美しさ以外が破綻していてもボクにはどうでもいいことだ。

 彼女もこの世界に迷い込んだ者、一筋縄ではいかないだろう。


「うっ」


 少し眺めていると彼女は目元を歪ませてから意識を取り戻した。

 まだ周囲の状況がわからないのか、体を起こしても立ち上がらず、しばらくその場で蹲っていた。


「やっほー、お目覚めのようだね」


 声を掛けてやるとキョロキョロと周りに視線を巡らせて、やや離れた場所に立っているボクと目が合う。


「春菜、春菜を知らないか?」


 この世界に満ちる虚無の空気に馴染むような澄み切った声。

 もし彼女がこの世界に食い潰されない強い自我の持ち主なのだとしたら、面白いことになるかもしれない。

 彼女の行動を見ていれば、しばらくは退屈しない時間が過ごせそうだ。


「アニマ……いや、君はアニムスか」


 彼女・・ではなく、はアタリかもしれないと焦る期待を押さえ、ボクは近づいてからゆっくりと手を差し出して声を掛けた。


「ようこそっ、ゲシュタルトに」

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