第26話 命を継ぐ者

 子鬼はふわりと降下しながら船の最下層までたどり着くと、響詩郎きょうしろう亡骸なきがらの傍に着地した。

 突然のその行動に皆が息を飲む中、子鬼はじっと響詩郎きょうしろうの顔をのぞきこんでいた。


「あなた、何を……」


 思いつめた顔でそう問いかける雷奈らいなを振り返り、子鬼は静かに答えた。


『父上ノ、チカラ。父上ノ、体ニ返ス』

「ど、どういうこと?」


 呆気あっけに取られる雷奈らいなの横に、紫水しすいの応急処置を終えた白雪が並び立つ。

 そして不審げな顔で雷奈らいなをジロリとにらみつけた。


「父上とか母上とか、一体どういうことですの?」


 非難めいた視線を送りながら白雪がそう尋ねるのを雷奈らいなはうるさそうに目でにらみ返す。


「ちょっと黙ってなさい白雪」


 そう言う雷奈らいなの目の前で子鬼は唐突に灰色の仮面を自ら取り外した。

 その場にいる全員が、仮面の下から現れた子鬼の素顔に驚き、息を飲んだ。

 子鬼は中性的な顔立ちで男児か女児かは判別がつきにくかったが、その顔は響詩郎きょうしろうにそっくりであり、一見すると雷奈らいな面影おもかげも残していた。


『コレデ、オ別レ。母上……オ元気デ』


 そう言うと子鬼は響詩郎きょうしろう亡骸なきがらに覆いかぶさり、自らの口を響詩郎きょうしろうの額につけた。

 雷奈らいなはハッとしてつぶやきをらす。


響詩郎きょうしろうの霊気口……」


 その途端、響詩郎きょうしろうの体に異変が起きた。

 炭のように黒かった肌は血の気を取り戻して元来の色に戻り、背中の羽は見る見るうちに肌の中へと収まって消えた。

 響詩郎きょうしろうは人の姿を取り戻していた。

 それはまるで響詩郎きょうしろうの額にある霊気の出入口である霊気口から、子鬼が毒を吸い取っているかのようだった。


うそ……」


 雷奈らいなが驚きに言葉を失う中、響詩郎きょうしろうの胸が大きく動いた。


「ごふっ……かはっ!」


 響詩郎きょうしろうは息を吹き返した。

 幾度も幾度もむせ返り、その度に動かなかった彼の体が揺れる。

 それを見た全員が驚きと喜びをその顔に貼り付かせて声を上げる。


「きょ、響詩郎きょうしろう!」

響詩郎きょうしろうさま!」


 響詩郎きょうしろうはそこから幾度も咳き込み、やがて確かな呼吸を開始した。

 その顔に赤みが差し、生気が体に戻ってきた。


響詩郎きょうしろう……よかった」


 喜びを噛み締める雷奈らいなだったが、目の前の子鬼の様子を見るとハッと顔色を変えた。

 子鬼は見るからに弱々しく衰弱し、その場に倒れ込んで動かなくなる。

 その姿を見た雷奈らいなは言いようも無い悲しみに襲われ、思わず子鬼に手を伸ばしてその小さな体を抱きすくめた。


「そ、そんな……しっかりして」


 雷奈らいなの声も虚しく、すぐに子鬼は体から黒い粒子を放出させ、消えていく。

 響詩郎きょうしろうと自分の面影を持つ子鬼が腕の中で急速に実態を失っていくのを感じながら、雷奈らいなは涙があふれ出るのを抑えられなかった。


「わ、私たちを助けてくれてありがと……ごめんね」


 自分を母と呼んでくれた子鬼。

 子を持った経験などない自分がどうしてこれほどまでに子鬼の存在を愛しく、去っていくのを寂しく感じてしまうのかは分からなかった。

 だが、今にして思えばあの苦しかった腹痛ですら、子鬼が産まれてくるために必要なことだったと思い、大切な事柄に感じられる。

 母になるというのはこういうことなのだろうかと思いながらむせび泣く雷奈らいなのその手を誰かが握り締めた。

 ハッとして雷奈らいなは顔を上げる。

 彼女の手の握っていたのは横たわり目を閉じたままの響詩郎きょうしろうだった。


響詩郎きょうしろう!」


 雷奈らいなの声に反応し、響詩郎きょうしろうがついに固く閉じていた目を開いた。

 響詩郎きょうしろう雷奈らいなの顔を見つめると、くちびるを震わせながらゆっくりと口を開いた。


「よく……勝ったな。全部……見てたぞ」


 かすれた声でそう言って響詩郎きょうしろう雷奈らいなに弱々しい笑みを向けた。

 再び命の灯火ともしびを取り戻した響詩郎きょうしろうを見て、白雪はあふれる涙を抑えきれず、そして全ての力を失ってしまったかのようにその場に座り込んで嗚咽おえつらしていた。

 紫水しすいはそんな主の傍に控え、その背を優しくさすってやった。

 弥生やよいとルイランは響詩郎きょうしろうの元に駆け寄り、やはり涙を流して歓喜の声を上げた。

 雷奈らいなは笑いながら泣き、泣きながら怒ったような何とも言えない表情を浮かべた。


「私にこんな思いさせて、1人で戦わせて、挙句の果てに子供まで産ませるなんて……本来なら丸一日説教してやりたいところだけど……今日だけはこれで許してあげる」


 そう言うと雷奈らいな響詩郎きょうしろうの鼻をやさしくつまんだ。

 響詩郎きょうしろうは静かに微笑むとゆっくりとうなづくのだった。

 その顔は苦難の果てにようやく我が家に辿たどりついた幼子おさなごのように安心と幸福に彩られていたのだった。

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