第25話 罪の重さ

弥生やよい、ルイラン。逃げて……逃げてぇぇぇぇぇぇ!」


 雷奈らいなの叫び声が虚空に響き渡った。

 両手両足を失ったヒミカは呪術を用いて宙を舞い、弥生やよいとルイランに猛然と突進する。


「誰1人として生きては帰さぬっ!」


 もはや悪鬼羅刹と化した銀髪妖狐のヒミカは、まだ妖魔としては幼い2人の少女に容赦なく襲い掛かった。

 腰が抜けてその場にへたり込む弥生やよいを抱えて必死に逃げようとするルイランだったが、先ほどのヒミカの呪術によって自慢の脚力は封じられている。

 

 戦闘能力を持たない2人を守ろうと、紫水しすいは肩膝をつきながら懸命に光の弓を放とうとしたが、ヒミカに食いちぎられた肩の出血がひどく目の焦点が定まらない。

 その後方に倒れている白雪は、ヒミカが吐き出した黒い霧がその全身にまとわりついて立ち上がることすら出来ない。

 弥生やよいたちから一番離れた場所にいる雷奈は、先ほど喉元に浴びせられたヒミカの頭突きによって三半規管にダメージを負い、フラフラとした足取りで数歩歩くのが精一杯だった。


「きゃあああああっ!」

「な、南無阿弥陀仏ネッ!」


 ルイランはせめて弥生やよいを守ろうと彼女の前に立ち、両手を広げた。

 両手を失ったヒミカはその牙をむき出しにしてルイランの首に喰らいつこうとした。

 目を背けたくなるような凄惨な殺戮さつりく劇が始まる。

 そう思われた瞬間だった。


『kdjfskdhfhfgkffhskfsklfhfksldjfhs』


 その場に奇妙な声が響き渡った。

 それはおよそ人間や妖魔の言葉とは思えぬ理解不能な言語だった。

 途端に2人の少女に襲いかかろうとしていたヒミカの体が見えない障壁によって阻まれ、空中で静止する。


「がっ……な、なに?」


 ヒミカは思いも寄らない現象を理解できず、必死に体を動かそうとした。

 だが彼女の体は空中でまるで見えない糸に全身を絡めとられたかのように、まったく身動きが取れなくなっていた。

 そしてヒミカの目は信じられないものを見たといったように大きく見開かれた。

 驚愕の色をにじませたその瞳に映されていたのは、頭上に浮かび上がるひとつの人影だった。


「ば、馬鹿な……貴様は」


 ヒミカの頭上数メートルの宙に浮かんでいたのは……物言わぬしかばねと化したはずの響詩郎きょうしろうだった。

 その姿を目の当たりにして、その場にいた全員が仰天する。


「きょ、響詩郎きょうしろう……なの?」


 雷奈らいなは自分で見たものが信じられず、そこにいるのが本当に響詩郎きょうしろうなのかどうか分からずに乾いた声をらした。

 それほど響詩郎きょうしろうの外見は驚くべき変貌を遂げていたのだ。

 響詩郎きょうしろうのその肌はまるで炭のように黒く変色しており、黒かった髪は曇天の空のような灰色となり、その黒い瞳は虚ろな光を宿してじっとヒミカを見据えている。

 そして雷奈らいなが何よりも驚いたのは彼の背中に、本来あるべきではない一対の羽が生えていたことだった。

 それはコウモリのような漆黒の羽であり、それをはためかせることで響詩郎きょうしろうは宙に浮かんでいるのだ。


「ど、どうなってるの……あの姿って」


 雷奈らいなが信じられないといった様子でそう声をらす。

 すると響詩郎きょうしろうの翼の羽ばたきが風を巻き起こし、白雪の体にまとわりついていた黒い霧が吹き飛ばされていく。

 ようやく黒い霧から介抱されて白雪はすぐに這い起きて顔を上げた。

 その目に変貌を遂げた響詩郎きょうしろうの姿が映る。


「て、転生玉てんせいぎょくの力ですわ」

転生玉てんせいぎょく? ど、どういうことよ」

「詳しく説明している暇はありませんが、響詩郎きょうしろうさまは死の淵からよみがえられたのです」  


 白雪の話に雷奈らいなが眉を潜めていると再び響詩郎きょうしろうの口から聞き慣れない声が発せられた。


『itsfdkfaflsmgfbsamfappksjgsnlfhvak』

「こ、これって……」


 雷奈らいなはそれが勘定丸かんじょうまるが発していた理解不能な言葉と同じだということに気が付いた。

 響詩郎きょうしろうのその声が響き渡った途端、ヒミカは頭の上から押さえ込まれるような目に見えない強烈な力によって地面に押し付けられた。

 まるで強烈な重力がヒミカを押し潰すかのようにその全身にかけられていた。


「か、かはっ……な、何だ?」


 骨が軋み、筋肉が押し潰される異様な苦痛の中で、ヒミカは確かに見た。

 自分の頭から帯状の白い光が発生し、それが天に向かって伸びていく様子を。


(何だこれは……)


 まったく理解出来ない状況にヒミカは混乱していた。

 だが、その目は確かに見ていた。

 伸びていく光の帯に大きく日本語の文字が刻まれていることに。

 それはヒミカがこれまでに犯してきた数々の罪状だった。


「あれは何ですの? あの女狐が手を染めてきた犯罪行為のようですが」


 ヒミカの頭から発せられてる光の帯によってヒミカ自身が甲板に押し付けられている様子を見て、白雪が困惑した声を上げた。

 その隣で雷奈らいなも同じように戸惑いの表情を浮かべていた。


「分からない……けど、あれはまるで罪の重さだわ」

「自分の罪の重さに押し潰されている、ということですの?」


 白雪の疑問に明確な答えを持たない雷奈らいなはただヒミカの体が光の帯に巻きつかれて押し潰されていく様子を見つめていた。

 そしてふいに光の帯の発生が止まったかと思うと、それがヒミカの体を強烈に締め上げる。

 ヒミカは鬼のような形相を浮かべて空気を切り裂くかと思われるほどの悲鳴を上げた。


「くああああああああああああああっ! お、おの……れ。おのれぇぇぇぁぁぁああああああ!」


 その言葉を最後にヒミカは光の帯に押しつぶされていく。

 まるでまゆのようにヒミカの体を包み込んだ光の帯がどんどんと収縮していった。

 そして光の帯で作られたまゆの間からおびただしい量の銀色の粒子が溢れ出して空気中に溶けていく。

 やがてそのまゆは小さな豆粒ほどの大きさとなり、最後にはそれ自体も光の粒子となって消え去った。


 自らが犯した罪によってヒミカは壮絶な最後を迎えることとなったのだった。

 それと同時に響詩郎きょうしろうは急に力を失ったように羽ばたきを止め、甲板の上に墜落した。


「きょ、響詩郎きょうしろう!」


 雷奈らいなは痛む体をほとんど引きずるようにして響詩郎きょうしろうの元へと這い寄っていく。

 そしてその体にすがりつくが、響詩郎きょうしろうは意識を失っていて目を開こうとはしない。

 雷奈らいなはそんな彼の様子に息を飲んだ。

 響詩郎きょうしろうは呼吸をしておらず、本来見られるはずの心肺の動きによる胸部の上下運動が皆無だった。

 

響詩郎きょうしろうが……息をしてない」


 すぐ傍にいるルイランと弥生やよい雷奈らいな同様に固唾かたずを飲んで響詩郎きょうしろうの様子をのぞき込む。

 白雪は少し離れた場所で深い傷を負った紫水しすいの止血と応急処置を行っていたが、その顔は不安に染まっていた。


「や、やはり転生術は不完全だったようですわ」


 止血用の護符を紫水しすいの肩に施しながら、白雪は口惜しそうにそう言った。

 転生玉を自分の体内で熟成する時間が絶対的に不足していたこと。

 そして響詩郎きょうしろうが心配停止の状態で施術せざるを得なかったこと。

 そうした不安要素が今まさに悪い結果となって現れてしまったのだ。

 紫水しすいは額に玉のような汗を浮かべて苦しげにうなづく。

 

「ざ、残念ながら……あのままでは二度目の死を迎えるほかないでしょう」


 そう言う紫水しすいの言葉に白雪は悔しげにくちびるを噛み締める。

 だがもはやこれ以上の打つ手は何もなかった。


 その場にいる誰もが絶望と失意に暮れたその時だった。 

 小さな黒い影が羽音を響かせて、横たわる響詩郎きょうしろうの真上から降下してきたのは。

 それは子鬼だった。

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