第17話 誕生! 漆黒の鬼子

 雷奈らいなの体から放たれた強い光に視界を奪われた紫水しすいは、船を大きく揺らす激しい衝撃に転倒して顔を上げた。

 光が消えてようやく戻ってきた視界の中、紫水しすい雷奈らいなを見るよりも先に目の前に広がる惨状に目を奪われた。

 信じられないことに、つい今しがたまで白雪が足場にしていた船の3階部分がまるまると消えてしまったのだ。


 船から離れた海の上では銀色の大蛇が轟然と咆哮ほうこうを上げている。

 雷奈らいなの体から放たれた光が辺りを白く染め上げている間に起こった目の前の惨状が、どうやらオロチの仕業らしいことに思い至った紫水しすいは思わず呆然とつぶやいた。


「ひ、姫さま……」


 衝撃に弾き飛ばされて海に落ちたのではないかと思い、紫水しすいは甲板の縁に駆け寄って必死に海に向かって目を凝らした。

 だが、今の彼女はヒミカの呪術にかかり千里眼を封じ込まれているため普通の人間並みの視力しかなく、うねる海原の中に白雪の姿を見つけることは叶わない。

 ルイランは呆然と半壊した船体の様子を見つめ、その横では弥生やよいがショックのあまり目から大粒の涙をこぼして泣いている。


「そんな……白雪さんまで」


 雷奈らいなは床にがっくりと膝と両手をついたまま、まだ荒い息を必死に整えている。

 強烈な痛みは収まった。

 しかし雷奈らいなは確かに感じ取ったのだ。

 光の中で自分の腹部から何かが生まれ出たことに。

 だが、彼女の身の周りには何もなく、生まれ出た何かの正体は不明だった。


「な、何だったの……」


 顔をゆがめてそうつぶや雷奈らいなの周りでは、オロチの圧倒的な力の前に万策尽き、その場にいる全員が憔悴しょうすいしきった顔を見せていた。

 その場が重苦しい沈黙に包まれる中、いつもはあっけらかんとしているルイランもさすがに困り果てた様子で甲板にゴロリとひっくり返った。


「もうおしまいネ」


 そう言って空を見上げたルイランが、ふいにすっとんきょうな声を上げた。


「んんん~? あれ何カ?」


 ルイランは満月を見つめていたが、その光り輝く満月を背にして黒い何かがゆっくりと降下してくる。

 ルイランの声に一同が同じように満月を見上げる中、紫水しすいが叫び声を上げた。


「ひ、姫さま!」


 その声で他の者にもそれが白雪であることは分かったが、その彼女を抱きかかえて宙を舞い降りてくる小さな人影に一同は息を飲んだ。

 それは小さな子供のように見えたが、その背中には灰色の翼が対を成し、その頭からは天を突くように長く鋭い二本の角が生えている。


「鬼の……子供?」


 灰色の翼がバサッとはためき、小さな黒鬼は白雪を抱きかかえたまま船の甲板に降り立った。

 雷奈らいなはその子供の顔を見て言葉を失った。

 小さな黒鬼の顔は灰色の仮面でおおわれている。

 それは響詩郎きょうしろう憑物つきものである勘定丸かんじょうまるのそれと酷似こくじしていた。


「か、勘定丸かんじょうまるの仮面……どうして」


 雷奈らいなは呆然自失の表情で声を絞り出した。

 鬼の子は気を失ってぐったりとしている白雪の体をそっと床に横たえる。


「姫さま!」


 紫水しすいはすぐに白雪のそばに駆け寄った。

 白雪は気を失ってはいるものの、まだ息をしていることが分かり、紫水しすいは大きく息をついてわずかに安堵あんどの表情を見せる。

 そして彼女は首を巡らせて、近くにいる小さな子供の鬼を見つめた。


「この子鬼が姫さまを救ったのか……」


 おそらく白雪が黒炎に焼き尽くされる前に、この小さな鬼が彼女を抱えて宙に舞い上がったのだろうと紫水しすいは推測した。

 そんな紫水しすいの後ろにいる雷奈らいなは震える声で子供の鬼に問いかけた。


「あなたは一体……」


 だが、雷奈らいなのそんな言葉をかき消すように、辺り一帯にオロチの咆哮ほうこうが響き渡った。

 オロチは己の破壊行為に狂喜しているかのように体をくねらせて吠えていた。

 そのおぞましい声にルイランらが耳を塞いでいる中、鬼の子供は雷奈らいなの背後に目をやった。

 そこには甲板の帆柱に縛り付けられている結界士の倫の姿がある。


 鬼の子供は素早く倫の前に駆け寄ると、両手を倫の顔の前に差し出した。

 すると驚いたことに倫の額に刻印が浮かんだのだ。

 その刻印を見た雷奈らいなは驚きのあまり声さえ出せずに口元を抑えた。

 だが、すぐに自分も倫の元に駆け寄り、取り出したケータイで刻印を読み取って専用口座の残高を確認する。

 つい今しがたまで、そこには0に近い数字が記されていた。

 だが……。


「5万イービル……借り入れ」


 呆然とそうつぶや雷奈らいなは目の前にいる鬼の子供に恐る恐る語りかけた。


「あなた……どうして響詩郎きょうしろうと同じ力を?」

 

 そう。

 子鬼の持つ能力はまさに響詩郎きょうしろうのそれと同じだった。

 鬼の子の表情は仮面に隠れて見えないが、その仮面の奥からくぐもった声が聞こえてきた。


『父上ノ、力、此処ココニ有リ』


 鬼の子供はそう言って自分の胸に手を当てた。


「ち、父上? まさか……響詩郎きょうしろうのこと?」


 呆気あっけに取られた雷奈らいなの頭の中にこれまでの一連の出来事がフラッシュバックする。

 腹部の違和感を感じ始めたのは雷獣と戦った夜のことであり、その日の明け方に雷奈らいな響詩郎きょうしろうの霊力分与の治療を受けていた。

 そして嘔吐おうとと耐え難い腹部の痛み。

 雷奈らいなの体内から生まれ出てきた鬼の子供。


(ま、まさか……わ、私の子供? 響詩郎きょうしろうとの? ウソよ。そんなのって……)


 自分の頭に混乱の拍車がかかるのを感じながら目を白黒させている雷奈らいなに、鬼の子供は静かに告げた。 


『母上。父上ノ、仇ヲ』


 そう言うと子鬼は雷奈らいなの手を取った。

 その小さな手に似合わぬ力強さに驚いた雷奈らいなが声を発しようとすると、子鬼は雷奈らいなの折れていない右腕の手を握ったまま翼をはためかせて上空へと一気に舞い上がる。


「ど、どうなってるのぉ~!」


 困惑の叫び声を上げながら舞い上がっていく雷奈らいなをルイランはポカンと口を開けて見上げた。


雷奈らいなサン。きょうサンの子供産んだネ」

「ええっ?」


 その隣で弥生やよいは両手を口に当てて驚きの声を上げ、紫水しすいは呆然と上空を見上げてうめいた。


「み、未婚の娘が何と破廉恥はれんちな……」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る