3 正しい原チャリの盗み方

 電話がかかってきた。当たり前の話だ。逃避行の初日から、かかってきていた。

 私は無視し続けていたけれど、もう二日間家に帰っていないわけだから、心配されて当然だ。画面に表示されるのは祖父母の自宅の番号。

「ヒヨリ、電話……」

「うん……」

「出ないの?」

「……」

 祖父母は、心配してくれている。両親にはもう、連絡は行っているだろうか。それはちょっと、嫌だ。あの人たちはきっと騒ぐだろう。警察に捜索願を出すかもしれない。ややこしい、鬱陶しい。――だから私は、逃げ出してきたのに。

 スマートフォンの電源を落とす。

 私は、家出をしているんだ。今更、そんな。


 電車に乗り込む。途中一度の乗り換えを経て、私たちは青森県の弘前駅に辿り着く。青森駅まで、あと少し。

 時刻はお昼時。一旦改札を抜けて、昼食を取る。次の電車の時間を調べ、余裕もあるから弘前公園と弘前城に足を運ぶ。公園からは、地元の北にそびえる山の名を別称に冠する、小さな山が見える。街に高い建物はほとんどなくさっぱりとして、静かで、やっぱりどことなく寂しい。天気は少しだけ晴れ間を覗かせるようにもなったけれど、相変わらず白く濁った空の下を私たちは歩く。一面びっしりに大きな蓮の花が浮かぶ池に、カミサマは感心していた。


 弘前駅に戻ってきて、既にホームで停車していた列車に余裕を持って乗り込む。

「もうすぐ青森だよ」

「あおもり! 何がある⁉ ねぶた祭りやってる⁉」

「あー……ちょうど昨日終わっちゃったみたい」

「えー……」

 座席に腰を落ち着け、リラックスしてそんなやりとりを交わしていると、電車の扉が閉まり、アナウンスが流れる。いよいよ出発だ、と思った矢先、しかし再びのアナウンス。

 進行先の線路に異物が確認された、とのこと。安全確認を終えるまでしばらく停車になるという。電車の扉が開く。それなりに時間がかかる、ということなのだろう。

「ちえんー?」

「うん、そういうこと」

 私は返事をして、何気なく電車の外、ホームに視線をやる。

 ――三人の警察官が、こちらに向かって歩いてくる。

「……!」

「……? ヒヨリ? どうしたの? なんかいた?」

 固まった私に気づいたらしいカミサマが、視界の端で不思議そうに私を見る。けれど私の視線は、目の前の男たちから離すことができない。緊張感が私の全身を襲う。ばくばくと心拍数が高まる。指先が痺れたようになって、身体が動かせない。

 警官の一人は手にしているクリップボードに視線を落としつつ、明らかに乗客を確認していた。付き添う二人もクリップボードを覗き込みながら、車内を窺って回る。

「……カミサマ、私たちピンチじゃない?」

 警察。追われていても不思議じゃない。こんなところまで捜索できるものなの? やっぱり監視カメラで動向を調べたりとかするの――?

 遅れてカミサマも、私の視線の先に注目する。

 その時、一人の警察官と目が合った。一度手元に視線を落とし、再び顔を上げる。

「――!」

 冷や汗が吹き出した。

 そして瞬間、隣のカミサマが跳ねるように立ち上がる。

「ヒヨリ! 行くよ!」

 低い声でそう言って、カミサマが私の手を取る。一瞬のラグがあったけれど、私の身体は動き出す。警察官がこちらに小走りで駆け寄ってくる。一人が車内に入ってくる。もう二人はホームを進んで、私たちに一番近い乗車口の方へ走っていく。

 私たちは右手側にあった乗降口から降りる。すぐ左手には警官が迫ってきている。

 ――そして遙か視線の先には、――黒いスーツ姿の男たちが、二人。

「ヒヨリ! ちゃんと手握ってて!」

 カミサマは左手を警察官にかざす。大柄の男性が、いとも簡単に吹っ飛ぶ。

「その子たちだ! こら、逃げるな!」

 警官の声を置き去りにして、私たちは駅のホームから線路に飛び降りる。

「あっ――、おい! 待ちなさい! そこの二人!」

 カミサマは迷うことなく線路を突っ切る。私は足をもつれさせそうになりながらも、ついていく。駅の敷地を仕切るフェンスを、カミサマの力で一緒に飛び越える。


「――ねえ、どうしようカミサマ!」

「とにかく駅から離れよ!」

 改札を通過しない方法で駅を出た私たちはただがむしゃらに、走っていく。

 途中視界を通り過ぎた、原動機付自転車。――ああ、正しい原チャリの盗み方、覚えておけばよかったな。私は兄からの終末サバイバルアドバイスを思い出し、大真面目に後悔してみる。

 ……でも、原付がダメでも、自転車なら。

「ねえカミサマ! 自転車の鍵って壊せたりする⁉」

「うん! そのくらいカンタン!」

「……」私は一瞬躊躇ためらって、それから。「自転車、盗もう!」



 私たちは近くのスーパーの駐輪場から、自転車を一台した。罪悪感がないわけじゃないから、なるべく放置されていそうなボロい自転車を選んだ。

 マップアプリで青森駅へ向かう進路を確認する。足がつくといけないからと、GPS機能はオフにしたけれど、詳しいことはよく分からないしもう既に居場所はバレているのかもしれない。

 荷台にカミサマを乗せて、私が漕ぐ。二人乗りも見つかれば止められるだろうけど、要はそれからも逃げ切ってしまえばいいだけの話。ぐだぐだと常識に足止めを食らってる余裕なんてない。

「カミサマ、ごめんね。本当は原付とか乗れたらいいんだけど」

 正しい原チャリの盗み方、覚えないでここまできちゃったから。……ついでに言うと運転方法も、知らないんだけど。

「げんつきー?」

「ちっちゃいバイクみたいなやつ」

「あー、あれかぁ」

「……カミサマなら鍵なしで、エンジン点けられた?」

「んー、むり」

「……だよね」

 私は苦笑する。カミサマの能力も万能じゃない。

 二人乗りなんて、小さい頃に家の前の駐車場で兄の後ろに乗ったきりで、前で漕ぐのなんて初めてだ。でも、なんだか兄とのそんな情景を思い出して懐かしくなる。今では私が、漕ぐ側なんだ。

「でもねー、自転車を走らせることくらいならできるよー」

「……え? それってどういうこと?」

「ヒヨリ、ペダルから足離して」

 私は困惑しつつも足を前方にまっすぐ伸ばして、カミサマの言われた通りペダルを漕ぐのをやめる。推進力を失った自転車はふらふらと、バランスも取れなくなっていく。

 ――と、思ったのは一瞬で。

「いくぞー! かそくそーちっ!」

 カミサマが勢いよく叫ぶと、ペダルがひとりでに回り出した。しかも私が漕ぐよりも力強く、速く回転する。自転車の推進スピードがぐん、と上がる。

「うわわわわわ!」

 驚いた私は舵取りを一瞬忘れる。

「ハンドル操作はヒヨリがしてね!」カミサマが遅れて叫ぶ。

「……分っ、かった!」

 ものすごい速さで風を切っていく。風景が流れていく。原付に乗るってこんな感じだろうか。通り過ぎた老人の唖然とした表情に、思わず少しだけ吹き出す。

「北に進路を取れーっ!」

 カミサマが進行方向を指差して、楽しそうにそう叫ぶ。


 しばらく走り続けたら市街地も越え、のどかな緑が視界の大部分を占めるようになる。頃合いを見てカミサマは力を使うのをやめ、再び私が漕いで、進んでいく。

「さすがに撒けた……よね?」

「うんー、大丈夫だと思う」

 額の汗を拭い、喋りながらいろいろと考えを巡らせる。今から青森駅まで走ってどのくらいかかるだろう。それどころかまず、自転車で走り続けることができるだろうか。カミサマの力がなくなれば、ただのオンボロガタガタの錆びついた自転車で。……こんなんだったらもうちょっとマシなやつを選んでくればよかった。あの電動のやつとか……。

 後ろのカミサマは後輪の左右の出っ張りに足をかけ、バランスを取りながら実に上手い具合にして立ち上がっている。両手を私の肩において、「ごーごー!」と楽しげに声を上げる。真夏の風景が流れていく。風を切って進むのは、気持ちがいい。……きっと追手なんていなければ、もっと気持ちがいいんだろうな。なんて。


 しばらく進んでいけば、いよいよ人影もないような田舎道。道路はちゃんと舗装されていて、漕いでいくのは苦ではない。

 しかしようやく心を落ち着けてのんびり漕ぎ始めた矢先。対向車線から、パトロールなのか何なのか分からないけれどとにかく、――パトカーがやってきた。

「うわ……やばいやばいやばい。カミサマしゃがんで捕まったら一巻の終わりだよ!」

 パトカーはちょっと先でスピードを落とし、私とすれ違うくらいで停車した。

 ちらりとフロントウィンドウを見ると、中に乗っていた警官と目が合って、――何事もなく過ぎ去れるかと思ったら、パトカーは車線を換えて後ろから追ってきて――!

「うわああああカミサマぁぁぁ! 追ってきた! 追ってきたよ! ねぇってば! 私の脚力じゃさすがに車には勝てないよ!」

 私はもうがむしゃらに全力でペダルを漕ぎまくる。ダメ、全然ダメ、追いつかれる。

「カミサマぁ!」

 カミサマの名を叫ぶ。カミサマは私の肩から手を離して、――真後ろは見えないけれど、その音と気配からして――荷台の上に立ち上がって、

「加速装置!」

 その掛け声と同じタイミングで、待ってましたとばかりに私はペダルから足を離す。自転車が加速する! 思わず「イェー!」って声が出る。

 だけどちらりと右斜め後ろを見れば相変わらずパトカーもついてくる。当たり前だよ、自転車の最高速度なんてエンジン付きの車には敵わない。

 もう私は漕いでいない。私がどれだけ気持ちを込めても、速度を司るのはカミサマの力。私はただハンドル操作に集中する。真っ直ぐな一本道。真後ろにはパトカー。

 カミサマは荷台に立って、追いかける車を睨みつけたまま。

 ――ごうごうと鳴る風の隙間、カミサマが私に叫ぶ。

「ヒヨリ!」

「なに!」

「タイヤパンクさせてもいい⁉」

「――――!」

 私は逡巡する。――ええい、もうどうにでもなればいい!

「許可する‼」


 後方からボン、と、空気が破裂するような音が炸裂する。キュキュキュ、というスリップ音がして、パトカーは左手側の畦道に逸れて停車した。

「イェ――――――っ!」

 私たちは二人で狂喜の声を上げながら、緩やかな下り坂を爆走していく。



 日が暮れ出した頃、私たちはそれなりに家の建ち並ぶ町に辿り着く。今日一日分のエネルギーは使い果たした。これ以上はもう進めない(特に私が)。目的の青森駅には辿り着けなかったし、切符も無駄にしてしまうことになるけれど、仕方がないのでこの町で夜を明かすことに決める。周囲に気を張りながらコンビニで食料などを素早く買って、今日の宿を早めに見つけてしまおうと目ぼしい建物がないか探す。それにしてもコンビニの存在はありがたい。全国どこでも同じように同じものが買えるというのは、何事にも替え難い安心のような気もする。

 暗くなっていく空。昼下がりから晴れ間が見え始めた空には蒼が混ざり、月も出ているのがはっきりと見てとれた。雲が流れていく。

 物陰に隠れながら束の間の休憩を取る私たち。カミサマは思い立ったように声を上げた。

「ヒヨリ! 学校に泊まろう!」

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