4 対峙
「だめ――――――――っ‼」
おじさんの身体が宙に投げ出される瞬間。カミサマの叫び声が響く中、傾いた身体が何かに跳ね返るようにして、おじさんは自身の後方――屋上側に吹っ飛んだ。
おじさんは背中からコンクリの地面に叩きつけられる。かはっ、と掠れたような声を漏らし、そしてゆっくりと、何が起きたんだという困惑の表情で上半身を持ち上げる。
カミサマはおじさんの方に歩み寄る。肩を大きく震わせながら、おじさんの真正面で立ち止まる。おじさんはカミサマを見上げながら、眉をひそめる。
「そんなの、許さない……自分の人生がどうにもならないなんて、なんだってできたはずの人間が、知ったように言わないでよ! この世界には、自由に生きたくたって生きられないひとがいて、死にたくたって死ねないひとがいて――――‼」
カミサマの切実な叫び。それは荒々しく、痛々しく、私に伝う。
自殺。
兄が命を絶った、その方法。
自ら命を絶とうとしている誰かの意志を、覚悟を、他者が否定し、干渉することは、果たして正しいことなのだろうか。少なくとも今、この現代社会では、自殺はよくないこととされている。誰かが死ねばそれは、凄惨なニュースとして報道される。中学生が、高校生が、大学生が、新社会人が、中間管理職が、犯罪者が、フリーターが、低所得者が、うつ病患者が、いろんな理由で、いろんな苦しみで、他人からしたら「そんなことで?」って理由で、電車に飛び込んで、屋上から飛び降りて、首を括って、薬を多量摂取して、死んでいく。
「自殺はいけない」と言うことは簡単で。それは一応、理に適っていて。
でも、そんな風な言葉を自殺志願者に投げかけても、その人の苦痛や苦悩を取り去ってあげることなどできない。その絶望を肩代わりしてあげることなんて、できやしない。
究極的には、他者を理解しきることなんてできない。相手の心が読めるはずもない。痛みを〝共有〟する力なんて、人間にはない。
――それでも。
私は、兄に死んでほしくなんてなかった。
画面の先の何千人の死より、大切な誰かが、目の前にいる誰かが死ぬ方が、ずっとつらい。重い。受け入れたくない。
案外、カミサマのその叫びは、私のそんな強い想いと、おんなじ場所から溢れているのかもしれなかった。
感情的で当然なんだ。「死なないで」に多分、理屈なんてものは、ないんだ。――それが伝うか伝わないかは別として。
私は目の前で感情を剥き出しにするカミサマを見ながら、そんな風に思った。
「き、君は、一体……」
はだけたスーツを繕うこともしないまま、おじさんはカミサマに尋ねる。
カミサマは答えない。
沈黙に、風の音だけが通り過ぎる。
カミサマの髪が舞い上がったその時。――ぎぃ、と、錆びた音を立てて、屋内から屋上へと繋がる鉄扉がゆっくりと開かれた。
私たち三人は同時に、音のした方向へ振り返る。
そこには、黒いスーツを身にまとった背の高い男性が、三人。
一番手前の人は眼鏡をかけていて、先頭をやってくる。後ろの二人のうちの一人は扉を塞ぐようにして、立ち止まる。もう一人が、座り込んでいる自殺未遂のサラリーマンの元へ歩み寄り、「さ、あなたは降りましょう」と、極めて平坦な口調で言う。
次から次へと続く展開に困惑しているおじさんを強引にも立ち上がらせ、引き連れるようにしてあっという間に屋内に消えていく。
しばしの沈黙。地上からの喧騒がうっすらと聴こえてくる。
――隣のカミサマに視線をやると、彼女は身構えて、そのスーツ姿の男性たちをじっと睨みつけていた。
「ようやく見つけました」
眼鏡の男性が低く、落ち着いた調子で言う。――ようやく、見つけた?
「…………」
カミサマは何も言わず、視線を固定したままで、一歩、二歩、私に触れられる距離までこちらににじり寄る。
「随分と苦労をかけさせていただきました。アームデバイスをどのように破壊したのかは知りませんが……まあ、あなたになら造作もないことでしょう」
意味の見えない言葉が、淡々と発せられる。
「さあ、そろそろ帰りましょう。この辺りで、あなたのお遊びもお終いです」
「――遊びじゃない!」
唐突に、カミサマは叫んだ。私は驚いて声を上げそうになる。
対峙する眼鏡の男は眉ひとつ動かさないまま、「そうですか」と言った。
「……いいですか。あなたはまだ子供です。その力だって、いつまた暴走するか分かりません。自分の思い通りに使用すれば、周囲に危害を加える可能性だってあります」
「……コントロールできるようになったもん!」
「その言葉は信用に足らないと、何度も言いましたよね。私どもの管理下にいてください。あなたはこの世界の――」
「うるさい!」
目の前で目を見開いて、相手に反抗するようにして声を荒げるカミサマは、これまで見てきたどんなカミサマとも、違っていた。
「……」
スーツの男は私に視線を移した。眼鏡の奥の鋭い瞳と、私の視線がぶつかる。すぅ、と一息吸い込んだ男は、私に向かって、言った。
「――日和さん。17歳。――県――市――に父と母の三人暮らし。高校の夏季休暇中の現在、東京都――区――の祖父母の家で生活している」
「え……あ……」
「――間違い、ありませんね?」
私の目をじっと見据えたまま、その男は確認してくる。私は……答えない。
「彼女がたった一人で、何日も生活できるはずはないと思っていましたが、そういうことだったのですね」
瞬間、私の胸に広がる恐怖。この人たちは、一体。
「……ヒヨリになにかしようって言うの⁉」
カミサマが突っぱねるように声を上げる。その言葉には明確な敵意が表れている。
「いいえ。そうではありません。……然るべき処置は受けていただきますが、このままあなたが大人しく戻ってきてくれさえすれば、全ては丸く収まります」
「……嫌だ」
――嫌だ。明確な拒絶。
スーツの男はいい加減気を張り続けすぎたのか、ふぅ、と一息、溜め息をついて、呆れたように乾いた笑いを漏らす。
「……いいですか。何度も言ってきたことですが、あなたの命はあなただけのものではありません。あなたの力は、あなたの身体は、例えば隣にいる彼女や、私のような普通の人間よりも価値がある。科学的な意義がある。あなたたちはこの国の、この地球の、この世界の未来のために必要な、貴重な存在なのです」
「そんなこと……しらない……」
怒りを剥き出しにしながら、カミサマは小さく声を漏らす。
「そうやって! そうやって言えば何でも好きにさせると思ってるの⁉ 人類のため、将来のため! そうやってわたしたちの自由を奪い取って!」
わたし。カミサマは初めて自分自身のことを、そう呼んだ。
「……世の中とはそういうものです。原始社会は遥か遠く、あなたたちのような存在は崇められるか畏怖され殺されるかの二択ではなくなりました。あなたたちは科学的に突き詰められ得る存在です。あなたたちを失うことは人類の損失であり、あなたたちを研究することは人類の未来のために必要なことなのです」
「――勝手なこと、言わないでよ‼」
カミサマは反発する。全身で、不満や憤りや苛立ちを込めて、食って掛かる。
「そういう大義名分があれば、灰色の施設に閉じ込めて、本とテレビとパソコンだけが全ての世界が、正当化されるとでも思ってるの⁉」
「……人によっては適宜、初等教育以降を施設の外で受けることも可能になる場合があります」
「――ッ! でも、わたしは――――っ!」
何かを言いかけて、カミサマは言葉を途切れさせる。力強く握られた小さな握り拳が、言葉にできなかった分の想いを代弁しているかのようだった。
詳しいことは何も分からない。けれどひとつだけ、明らかになったことがあった。明らかになってしまったことがあった。
カミサマは、世界を終わらせる神様なんかじゃ、なかった。
「……その気になれば、世界中の能力者たちを解放して回って、世界を思い通りにすることだってわたしたちにはできる。あんたたちみたいな人間を一人残らず殺すことだってできる‼」
カミサマは唐突に、まるで脅しのような言葉を叫んだ。「殺す」――それは、自殺は絶対に駄目だと言った彼女から発されたとは思えないような、尖った言葉だった。
「そんなことは不可能です」
目の前の男は眼鏡のブリッジを右親指で押し上げて、冷淡に一言。
「できるもん……できるもん‼」
掠れた声を絞り出すカミサマの、その悲痛な反抗はまるで――駄々をこねる子どものようで。
「さあ、戻りましょう。あなたは今し方、その力を人に向けて使いました。これ以上見過ごすことはできません。能力を人に向けて使うことは禁止したはずです」
「ちょ――ちょっと待ってください、カミサ……彼女は、自殺しそうだったあの人を止めただけで!」
私は訳も分からず、それでも反応していた。カミサマがその力を持っているという理由で何かの管理下に置かれていて、その力を他人に向けて使うことはいけないことだとされていて、それでもついさっきは、自殺の遂行を防ぐために使用したのだ。死んでいたかもしれない人ひとりの命を救ったのだ。犯人の動きを止めるために拳銃を使用することは許容される。そういうのと似たような感じで、とにかく、カミサマはその力を、敵意や悪意を持って用いてはいない。
「どんな理由があろうとも、です。今回の脱走に際しても、施設の破壊行為や職員への攻撃が見受けられました。あなたが外にいるのは、危険です」
しかし黒いスーツの男性は、冷酷にも一言、そう返答した。
「……」
「ご両親のことをお忘れになったとは言わせませんよ」
「――――!」
ご両親――その言葉に、カミサマは頭を上げる。目を見開いて、肩で息をする。何かを言おうと口を開きかけて、言葉を詰まらせたかのように口元でもがく。
「ヒヨリ……逃げよう」
「……え?」
カミサマはスーツの男性たち――屋内から戻ってきた一人も含めた三人を睨みつけながら、小さな声で私に言った。奥の二人は扉を塞ぐような位置で待機している。
「行こう、行こう!」
「え……あ……っと……」
逃げると言っても、どうやって? 困惑する私に、カミサマは右手を差し出す。
「ヒヨリ!」
カミサマは叫ぶ。同時にその右手を伸ばして私の手を掴んで、再びさっきと同じように、ビル側面側の屋上の柵に向かって走り出す。
カミサマは私より先に跳び上がる。それにつられて私も宙に浮かぶ。カミサマは私をぐっと引き寄せて、両腕を私の腰周りに回す。抱きつかれるようにして、私たちは、――ビルとビルの間に、落下していく。
「え、ちょっと、うわ――――」
重力に身を任せ、高速で落下していく――まるで飛び降り自殺みたいに。
苦労して登ってきた高さを、あっという間に駆け降りる。建物壁面が視界を流れていく。地面へ到達する瞬間、カミサマが力を使ったのだろう、ぎゅっと空中で私たちの身体にブレーキがかかって、そのまま安全に、両足を地面につける。
遥か落ちてきた上空を見上げると同時、近くから何やら声が聞こえた。声のした方へ顔を向けると、ビル正面側から、先ほど屋上で対峙した人たちと同じようなスーツ姿の男性が顔を覗かせて、こちらに向かって走ってくるところだった。
「行くよ!」
カミサマは私の手を掴んで、狭い裏路地を駆け出す。
「きっと包囲されてたんだ」
がむしゃらに走りながら、カミサマは独り言のように呟く。
「ねぇ――一体、どういうことなの――カミサマは――本当は――」
呼吸に邪魔されながらも、現状の説明を求めるけれど、カミサマは言葉を返さない。表の通りに飛び出した瞬間、真横からまたスーツ姿の男性――体格のいい男がカミサマを捕まえようとする。
「――あんたたちが、敵うわけっ、ないじゃん‼」
カミサマはそう言って左手をその男にかざす。すると男が低い唸り声を上げながら吹き飛ぶ。
「とにかく走るよ!」
私たちはふたり、夕暮れの入り口を走っていく。理由も分からないまま、カミサマと名乗る謎の少女に手を引かれて、何者からか逃げている。
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