7 展望台

『東京の高校に行きたい』

 中学生の頃、ずっとそう思っていた。

 だって、自分の町には何もなくて、クラスメイトたちは皆つまらなくて、遊びに行くと言えば毎回のようにショッピングモールで、同級生たちはそれに何の不満もなさそうで、教室の話題は昨日のテレビとかタイムラインに回ってきた微塵も面白くない動画のこととかで。

 とにかくもう、全てに嫌気が差していた。全部色褪せて見えて、同じ毎日の繰り返しが苦痛だった。


 兄は東京の大学に進学して、とてもいきいきして見えた。よく連絡を取り合った。いろんな話を聞かせてもらった。兄のそんな姿に憧れて、何度か兄の元に遊びにも行った。東京を案内してもらった。東京の街は賑やかで、眩しくて、楽しそうに見えて、すれ違う女子高生たちも、みんな笑っていて。

 両親は難色を示しながらも、否定はしなかったように思う。


 ――でも、あの事件があってから、両親の態度は一変した。

 東京になんて絶対に行かせない。あなたはずっと私たちの傍にいなさい。

 ウンザリだった。有り得ないと思った。私の人生を、両親なんかに決められたくない。

 確かに悲しい出来事だった。でも、それとこれとは別の話。私の人生は、私の人生。

 私は誰にも縛られずに、くだらない、つまらない習慣を繰り返すことなんかなく、自分の意志で、自分の選択で、生きていきたかった。退屈なあの町にいるだなんて、義務教育でご免だった。


 それから両親は、私を縛り付けるようになった。様々な制約を課した。全部あなたのためだからと言って、気持ち悪いくらい〝過保護〟になった。


「……嫌いだよ。私は、お父さんも、お母さんも、嫌い」

 カミサマに、言う。出会ったばかりの、素性も知らない、自分より年下の少女に、どうしようもなく言葉をぶつける。

「だから、飛び出してきたの?」

「……それだけが理由じゃ、ないけど」

 でも、そんなところまで、カミサマに話す道理はない。

 カミサマは何か言いたげで、でも言葉がまとまらなかったのか、そのままガラスの先の風景に視線を戻した。

 それと同時に私のお腹が鳴って、カミサマがもう一度私を見て、笑った。



「だって入ろうとしたファミレスの窓ガラスが吹き飛んで、そっからエスケープに付き合わされたんだからしょうがないじゃん」

 カミサマはニコニコご機嫌で、特別展望台から100メートル下の大展望台の中を歩き回る。一方の私は思い出した空腹で限界だった。

「もうちょっと待って。ここ一周したら、近くでご飯食べよ」

「……それも私のお金でしょ?」

「正確にはヒヨリのお金じゃない」

「……っ」

「自分で稼いでるわけじゃないんでしょ?」

「……そう、だけど」

 だからって、あなたにもそのお金を使う権利があるわけじゃないからね。

「わ! ね! 見てこれ! 下が見える!」

 2階構造の大展望台1階の床にある、ルックダウンウィンドウ。足下の一部が切り取られてガラス張りになっていて、そこから真下を覗き込めるようになっている。

 カミサマはその上に立って、ひゃ~とかひぇ~とか漏らしながら跳ねたりしゃがみ込んだりしている。

「ヒヨリも! ほら!」

 カミサマに誘われて、私もそのガラスの上に立ってみる。東京タワーの真っ赤な足。不思議な浮遊感。身体がふわっと、むず痒くなるような感覚。

「ねぇ! こうしてしゃがむともっと怖い!」

 カミサマが勢いよくしゃがみ込んで、私を見上げるようにして言う。私の服を重力方向に引っ張って、目を輝かせて。

「……」

 しゃがみ込む。……確かに怖いかも。

 もし今このガラスが抜け落ちたら。大きめに張られた細い鉄の網なんて簡単に折れて、私たちは垂直落下。真下で口を開けて待っているのは、もれなく死だ。

「どう?」

 同じ目線の高さになったカミサマが、私の顔を見てそう訊いてくる。私は答える。うん、さっきより怖いね。その返事にカミサマは嬉しそうにくしゃっと笑う。私も、笑い返す。



「ヒヨリ! 写真撮ってくれるって!」

 ロの字型の展望室の一角、観光客自身のカメラでの記念撮影を行ってくれるコーナー。四、五組程度の客が並んでいる。カミサマは列の最後列で両手を振って、私を呼ぶ。

「はい、チーズ!」

 カミサマと私、二人並んで。東京の街を背景に、記念が撮影される。カミサマはいい笑顔で、手元に返ってきたスマートフォンを覗き込む。

「うむ、よろしい。さ! 降りよ!」

 元気な子だな、と思う。



「あー、美味しかったぁ!」

「今日一日でとんだ出費だよ……」

 東京タワー近くのファミリーレストラン。私は伝票を手に取って頭を抱える。

 店で一番値段の高いパフェを美味しそうに食べやがって。私も同じの注文しちゃったじゃん。結局払うのは全部私だし。

 カミサマはそんな私にお構いなしに満足げな笑顔を見せる。

「あ! そうだ!」

 と、唐突に声を上げたカミサマは、右手で胸の辺りをさすってしばらく何か考え込んで。

「おトイレ行ってくる!」

「ああ、うん」

 そんなに大きな声で言うことじゃないと思うけど。


 ……それにしても。

 空いた前の座席をぼんやりと眺めながら、私は頬杖をついて考える。

 カミサマ。世界を終わらせるんだって、天からやってきた小さな神様。

 1999年に終わらなかった世界を、今度こそ終わらせる。


 世界の終わり。

 私も何度も、望んだこと。


 ――彼女は、本当に?


 ファミリーレストランは和やかな雰囲気。穏やかなBGMと、楽しげな談笑。それぞれの時間がゆっくりと進む。くつろいだ人々。

 それでも私は、この世界を――――


 どかり、と、誰かが勢いよく前の席に座った。――カミサマが戻ってきた。

 私はカミサマを見る。彼女と目が合う。カミサマはにぃっと微笑んで、少しだけ首を傾げる。

「……ねぇ、カミサマはどこから来たの?」

 私は改めて、そう尋ねる。

「天から」

「……本当に?」

「……もー、まだ疑ってるの? 証明してみせたでしょ、渋谷で!」

 ……そうではあった。確かにあの路地で、私の身体は浮かび上がった。――おそらくはカミサマの意図で。それは超常的な何かで、トリックの類ではなかったように、思う。

「……でも」

 それでも、私はまだ信じることができなかった。

 目の前にいるこの無邪気な少女が、世界を終わらせに来た神様だなんてことは。

「……カミサマは、本当に世界を終わらせることができるの?」

「できるよ!」

 場所が場所なので声を潜めてした質問に、自信ありげの返事が返ってくる。

「具体的には、どうやって?」

「具体的も何も、私が本当に強く願えば、終わっちゃうよ、全部」

「……そっか」

「よし! 糖分も補給した! 出よ!」

 カミサマは勢いよく立ち上がる。集まる視線に、私はまた頭を抱えた。



 ファミレスを出て、籠った夏の外気に晒される。太陽はまだまだ沈む気配もない。

「さ! この後どこ行くー!」

 カミサマはぐぐっと伸びをして、楽しそうに笑う。

「え~……私もうお金ないよ……」

「じゃあお金のかからない場所!」

 手を引かれて、私は夏の真ん中に飛び込んでいく。

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