6 東京タワー

「わー! すごい! 来た! 東京タワーだ!」

 ぴょんぴょんとはしゃぐカミサマは、まさに見たまま修学旅行の小学生みたいで、なんだか見ていて微笑ましくなる。写真を撮ってと言うので、カミサマと東京タワーが綺麗に収まるよう屈みこんでカメラを起動すると、カミサマは違う違うと頭を振る。

「……何が?」

「一緒に写るんだよ! カミサマと、ヒヨリと、東京タワー!」

「……なるほど?」

 いわゆる自撮り、というものはあまり好きではない。クラスメイトは嬉々として何かあると――何もなくてもインカメラを自分たち自身に向けるけれど、私にはその行為にどうにも価値を見出せない。撮られた写真には、動画には、プリクラみたいな加工が施されていて、ものの数秒で電子の海に放り出されていく。それら行為はすべからく自己満足だ。アップロードして共有することそれ自体が目的化している。

 私にはやっぱり、その行為の価値は分からない。

 けれど――

「早く早く!」

 ――こんなにも無邪気なカミサマの前で、そんなことを思って否定するのも、無粋なことなのかもしれない。

「じゃあ、撮るよ」

 シャッター音が鳴る。空へ高く伸びる赤い鉄塔、その手前にカミサマと私。

 カミサマは急かすようにスマートフォンを覗き込んで、撮った画像の確認をする。

「うむ、よいであろう!」

 時々思い出したように口調が変わる。


 大人と子供一枚ずつ、二人分のチケットを購入し、エントランスフロアのエレベーター前に並ぶ。カミサマは既に身体をうずうずとさせていて、私にしきりに声をかけてくる。

 エレベーターに乗って、私たちは上へ上へ昇っていく。風景が少しずつ小さくなっていく。目線がビルディングの高さを越えていく。東京タワーなんて、小学校の頃の修学旅行以来だっただろうか。……いいや、違う。最後に来たのは、確か中学生の時。兄と一緒に、私は此処に――

 



「わー! すごい、すごい! 東京!」

 東京タワー特別展望台。地上250メートルから一望する東京。

 小さくなった街並み。にょっきりと生える高いビルディングの群れ。

 コンクリートの木々。空は青くて、どこまでも穏やかに映る世界。

「ヒヨリ! こっち! 早く!」

 カミサマは本当に子どもみたいに目をきらきらさせて、はしゃいでいる。

 ぐいぐいと手を引っ張られながら、私も一緒になって眼下の景色を俯瞰する。

「うわぁ~……」

 口を半開きにして、ガラスに張りつかんばかりの勢いで下界を覗き込むカミサマ。

 ……これだけ楽しんでもらえるなら、余分に払ったお金も浮かばれることだろう。

 特別展望台は、地上150メートルにある大展望台よりさらに上あって、ここに来るには追加料金が発生する。考えて使わなくちゃならないお金。ひょんなことから出会った女の子に、もう既に高校生にとっては随分なお金を使ったことになる。

「ヒヨリ! ありがと、ヒヨリ!」

 カミサマはそう言って、にっこりと笑う。

「……うん、喜んでもらえて何よりだよ」


 ようやく動き回るのを止めて落ち着いたカミサマの右隣で、ぼんやりと東京の街を眺める。

 曖昧になる境界線。まるで自分が浮かんでいるかのような、この世界と一緒になって融けてしまうかのような、そんな錯覚。遠く連なる建物たちはひとつの緩やかな塊になって、雲と、青空と、コンクリートの地平線は混ざり合って。


「世界が終わってほしいと思う?」


 ぽつり、カミサマは呟く。左に顔を向ければ、先程とは打って変わって真剣な表情のカミサマ。その顔はどこか達観していて、これまでの振る舞いとのギャップもあって、なんだか大人びて見える。


 世界の終わり。


 私は想像する。目を開いたまま、目の前に広がる風景に重ね合わせるように、終わりの景色を思い浮かべる。

 堕ちてくる巨大な爆弾。地表に到達して、爆炎が上がる。爆心地から広がっていく橙色の炎。それはスローモーションで、少しずつ迫ってくる。この場所からは、街の人々の叫びも、嘆きも、怒りも、何も聴こえてはこなくて、全ては音もなく、ただ終わりだけがある。

 世界はまばゆく光り輝く。爆風が全てを吹き飛ばす。

 この東京タワーだって粉々になる。目の前のガラスが砕け散る。足元が崩れ落ちていく。

 私は半透明の薄皮を纏って、その終焉から一枚隔てた場所で、それを眺めている。

 私は浮かんでいる。世界から宙ぶらになって、まっさらになった東京の街を俯瞰する。

 ごちゃごちゃした全ては吹き飛んで、水平線と地平線はどこまでも見渡せる。

 何もかもが無に帰した。鬱陶しいという概念は消え去った。視界にはただ、憑き物を落としたようにどこまでも晴れやかな青い空。


 一瞬だけ浮かぶ、兄の顔。


「……そうだね、終わりの風景を、私は見届けてみたい」

 私の返答にカミサマは一度こちらに顔を向けて、何も言わないまま風景に向き直る。

 しばらくの沈黙。――この辺でいい加減、頃合いだろう。

「……さ、満足できたら、家族の元に戻ろう? きっと親御さん、心配してるよ」

 どの口が言うんだろう。なんて心の中で自嘲して、でも外面はお姉さんぶってみて。

 カミサマはこちらを見て、少しだけ目を見開いて。やがて素っ気なく、顔を逸らして返事を返す。

「……カミサマに、両親はいない」

 神話の神にも親に当たる存在っていたはずだけど?

「……いい加減、お遊びもここまでだよ。さすがにもう私、付き合いきれないよ」

「……ヒヨリ」

 俯くカミサマ。その顔は悲しげで、寂しげで、でも私は赤の他人で、彼女の事情など何も知らない。これ以上は、背負いきれない。

「家はどこ? 住所は? お母さんの電話番号は――」


「ヒヨリは、自分の両親のことをどう思う?」

「え?」


「ヒヨリ、家出してきたでしょ」


「……っ」

 言葉に、詰まった。

「そのくらい、見てれば分かるよ。ヒヨリは私と同じくらい、この街を知らない」

「や……いや、分かんないじゃん、そんなの。観光で来ただけかもしれないじゃん」

「荷物がない」

「それは……ホテルとかに……」

「そのわりに行く宛もなさそうだったけど?」

 ……カミサマは、変なところで鋭いらしい。

「ねえ、ヒヨリは、両親のことどう思ってるの」

 もう一度、カミサマはこちらにしっかりと向き直って、全てを見透かすみたいに、その言葉は繰り返される。

「……そんなこと、訊いて、どうするの」

 しかしカミサマは言葉を返さない。ただ、真っ直ぐな瞳が、私を捉えて離さない。

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