3 世界を終わらせる

「カミサマは、終わらずに続いているこの世界が、存続させる価値のある世界なのか、それとも滅ぼすべき世界なのかを見極めるために、こうして地上に降り立ったのです」


 斜め上の言葉。

 世界の終わり。1999年の夏。終わらなかった世界。生まれた私。そして今、17歳の私。

 ほんの数十分も前に、私は終わりの風景を思い描いたばかりだった。

「世界の……終わり?」

「そ。カミサマは審判するの。この世界を」


 ――なるほど。

 つまり、そういうこと。

 目の前のこの小さなカミサマの年齢を12歳だと仮定するならば、前世紀には生まれてすらいないことになる。それなのにこの子は、世紀末のデタラメを、戯れを、期待のことを、希望のことを、知っている。……けれど私だって当時はまだ0歳で、それを知ることになるのは大きくなってからだし、きっと兄のオカルト嗜好がなければ詳しいことは何も知らなかっただろうし、だから彼女が何かのきっかけでそんなオカルトチックな話題に興味を持って、自発的に調べ回ったとしてもおかしなことはない。

 一瞬驚いてしまったけれど、つまりはそういう設定で、妄想で、現実と空想の区別がつかない少女は、戯れているのだ。

「……何歳なの?」

「12歳程度の少女の器を借りている」

「ふーん」

 予想はぴったり、当たっていたらしい。そういう設定か、と頭の中で呟く。

「綺麗な髪だね」

「ふふーん、でしょ? とびきりの器を選んだんだから!」

 カミサマはそう言って、得意気に自らの髪を指先でくるくるともてあそぶ。

「その目の色も綺麗。ってか可愛いよ、全体的に」

 私が続ける言葉に彼女はくすぐったいような顔をして、ぱあっと表情を明るくさせる。

「この髪と目の色はママの――!」

「……ママ?」

 飛び跳ねた身体をぴたりと萎縮させて、「やっちゃった!」って顔になって。

「あ、ちが、えっとね、この肉体の器の母親の、って意味のね」

 うん。分かったよ。分かったからさ。

「……何その顔ー。カミサマのこと疑ってるでしょ」

 ふくれ面のカミサマ。ころころと表情が変わる、可愛らしい――多分普通の、女の子。


 母親。そうだ。この子の両親は今どうしているのだろう。

 今頃血眼になって捜索がなされたりしているのではないだろうか。こんなに可愛らしい女の子が、愛されていないはずがない。

 加えておそらく警察とかも追っかけてきていると思うし。

「両親は? さっきガラス割れたのはどういうこと? 食い逃げってほんと?」

 私は三つの質問を同時にぶつける。

「カミサマに親はいない。天からきたから」

 さっそく設定が矛盾している。

「店の窓はカミサマが割った。食い逃げは本当。お金持ってない。カミサマだから」

「……理屈になってないよ。というかガラス割るって何。あんな分厚いガラスどうやって割るの」

「奇蹟」

「キセキ?」

「奇蹟の力を使うの」

 ……それも何か、妄想の一種? 右手に宿る力とか、そういう系の。

「例えば?」

「たとえば」

 私の言葉にカミサマは腕を組んでしかめ面をして、思案を始める。

「うーん」と唸りながら辺りを見回して、最後に私を見た。

 じっと見つめられる。綺麗な瞳。私も見つめ返す。数秒が経って彼女は、「よし」と言って腕を解いた。

「じゃあ今からおまえを浮かせる」

「浮かせる?」

「浮かせる」

 浮かせるというのは、浮遊とか浮揚とか上昇とかそういう意味の浮かせるだろうか。

 それとも「歯が浮くような気分にさせますよ」とかそういう比喩的な意味なのだろうか。

「じゃあいくよ。そのままそこに立っててね」

 カミサマはそう言って、右手を私の足元辺りにかざした。そして――

「ほい」


 私は、ものの見事に、宙に浮かんだ。

 何の身構えも覚悟もなく、呆気なく宙に浮かんでしまった。


「――えっ、え、わ、ちょっと!」

 完全に浮いている。宙に浮かび上がっている。地面から空気にぐわっと押し上げられたみたいな感覚を足元に感じて、地上から1メートルくらいの高さで滞空している。

 遠くに見えるビルディング。真横の建物2階のベランダ。


 ――有り得ない。ありえない。


 神様。


 本当に?


「降ろすよ~」

 上げたら降ろすのは当たり前、みたいに事も無げにカミサマは言って、私は地面に着地した。


「…………」

「これで信じた?」

 カミサマは首を傾げてイタズラっぽく笑う。

「……どういうことなの?」

「カミサマだからね」

「……理屈に、なってないし」

 何かのトリック? でもそんな仕込みをするような時間はなかったし、何より彼女はずっと、私の目の前にいた。


 でもなんだか、案外すんなりと受け入れてしまえた。

 神様。世界を終わらせる、神様。

「……恐怖の大王じゃないんだね」

「言い方の問題だよねー。第一『恐怖の大王』って意味分かんないし。『大王』って何さ。センスな~い」

 その口調は、少し生意気な小学生女児そのもので。

 でも彼女は、私は神様なんだって、言う。


「世界を終わらせるために、かぁ」

「そ。そのためにまずは世界を見極める必要があるの」

 カミサマは右手の人差し指をぴんと突き立て、言う。

 小学生の割にはやけに大人びた口調。語彙も結構豊富みたい。

「まずはこの日本。そしてその首都東京。この街がソドムとゴモラではないのかどうか。実際にこの目で確かめて判断を下します。そのためにまずは……」

「……まずは?」

「東京タワーに行くの!」

 カミサマは、とびきりの笑顔でそう言った。

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