4 原宿

 ぱん、ぱん。


 目を瞑って手を合わせてみたところで、特に祈ることも願うこともない。

 あえて何かを願うなら……やっぱりそれは、世界の終わり?

 目を明けて、頭を上げながら右隣を見る。

 手を合わせて、熱心に何かお願いをしているような様子の小さな女の子が、そこにはいる。


 明治神宮。縦長に円環する山手線の西側、新宿の南にあって渋谷の北にある原宿駅のすぐ隣。年始には日本でいちばん初詣客がやってきて、代々木公園と隣接している、そんな神社。

「……よし」

 山手線に沿って原宿近くまで歩いてきていた私、と、渋谷のファミレスの窓ガラスを吹っ飛ばした金髪の少女、カミサマ。カミサマはどうせなら明治神宮に寄ってみたいと言い出したので、電車に乗る前に寄ることにした。

 カミサマは満足げに顔を上げ、一息漏らす。

「随分と長かったね。何をお祈りしたの?」

「世界が終わりますようにって」

 うおう。

 見極めるって言うわりに、終わり望んじゃってるじゃん。

「あとはヒミツ」

「ていうかカミサマなんだから祈られる側なんじゃないの?」

 鼻歌を歌いながらスキップでこの場を離れたカミサマに、その声は届かなかったみたい。



「ね! 学校ってどんな感じなの?」

 下に路線を望む橋の上。ぴょんぴょんと跳ねて身長より高い欄干の隙間からどうにか線路を覗き込みながら、カミサマは言う。

「……カミサマは何でも知ってるんじゃなかったの?」

「知識と、経験は、異なるもの!」跳ねるリズムに合わせて彼女は返事を返す。

「……学校、通ってないの?」

「だってカミサマだもん」

 その口調からしてどうやら、彼女は学校に通っていないらしい。あるいはそういう設定なのだろうか。学校が嫌いなのかな、とも思ったけれど、目を輝かせて訊ねてくる彼女にネガティブな感情は読み取れない。

「うーん、何て言ったらいいのかな。楽しい人には楽しくて、つまらない人にはつまらない場所」

「おまえ……あ、」

 どこか偉そうな口調で私を呼んですぐ、カミサマは言葉を切る。そして、

「そういえば、名をなんという」

 名をなんという、って。どんな口調。

「日和」

「ヒヨリ」

「うん」

「漢字は?」

「日常の日に、平和の和」

「なるほど、日和。ヒヨリ。わかった。ヒヨリ!」

「……なに?」

「ヒヨリにとって、学校はどっち?」

「……え?」

「楽しいところ? つまんないところ?」

 目の前の駅に電車が止まる。たくさんの人が吐き出されて、たくさんの人がそこに収容されていく。

「……つまんないところ」

「ふーん」

 跳び跳ねるのに飽きたのか、口を尖らせて、後ろを振り向くカミサマ。背中を欄干に預けて、往来を眺める。

 つられて私もなんとなく、後ろを振り返る。目の前を過ぎ去っていくたくさんの人。

 そうして、訊ねる。カミサマに、神様に、ずっと思っていたことを。


「ねえ、どうしてカミサマは、世界を終わらせなかったの?」


 カミサマはちらりとこちらに視線を送った後、何でもない風に、あっけらかんとして、言う。

「世紀末、いい区切りだし終わらよーって思ったけど、よくよく考えたらそれも早計すぎるかなーって、思い留まった」

「早計……難しい言葉知ってるんだね」

「カミサマは何でも知ってるから」

 学校に行っていないわりに、やけに知識はある。一体、どういう素性の子なんだろう。

「でもね、それから十何年、あんまり世界はいい方向に進んでないなーって」

「……」

 いい方向。いい方向、って、何だろう。よりよい社会、よりよい未来、そんな言葉は至る場所で耳にするけれど。その内実はひどく不透明で、不確かで、手触りのない、空虚なもの。

「具体的には?」

「幸せそうじゃない」

 カミサマは、往来をじっと見つめながら、鋭く、重く、呟いた。

 往来に視線を戻す。欄干に背中を預けて、――二人並んで、傍から見たら私たち、どんな風に見えるかな。

「……笑顔の人もいるけど?」

「誰かと一緒にいて笑顔じゃないひとなんていないでしょ」

「……」

 例外はあるかもしれない。でも、それは概ね間違ってもいないような気がした。


 ――誰かと一緒にいたら、とりあえず笑っていなくちゃいけないから。


 教室を想う。つまらない人にはつまらない場所。

 抜け出したい息苦しさ。半透明のヴェール。


「カミサマは何でも知ってるんだね」

「そうだって言ってるじゃん」

 カミサマは、跳ねるように欄干から背を離す。

「さ! 電車! 乗ろ!」

 からりと表情を変えて、私の手を掴む。

「あー、うん」

 スマートフォンで乗り換え案内アプリを立ち上げて、東京タワー最寄り駅までの最短距離と料金を検索する。

「……よし、じゃあ、行こっか」

 待ち切れないという表情で小さく跳ねるカミサマはその金色の髪を昼下がりの陽光で輝かせて、私の目には眩しく映る。目を惹くであろう彼女の容姿、すれ違う人も一瞬だけこちらを注目していく。然るべき関係性の大人に捜索なんかされているとしたらこれほど目立つこともないよな、と思う。けれどどこか能天気なカミサマ。彼女に手を引かれて、山手線原宿駅の切符売り場へ向かう。カミサマはお金を持っていないから、もちろん二人分の乗車料は私が払う。

 カミサマ。神様。世界を終わらせたいと願う不思議な少女。私を浮かせた不思議な少女。東京タワーを観に行きたい不思議な少女。あ、ちょっと待ってもしかして、東京タワー入場料も、私が払うの?

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