第2話 キツネ狩り
山陰の山奥に、とある小さな村がありました。
その村では、正月の五日から七日の三日間、小学生の男子が主役の「トンド」というお祭りがありました。子供たちは、この三日の間に村の家々を回って獅子舞をしたり、お神輿を担いだりするのです。
村のはずれにある神社の横に「舎(しゃ)」と呼ばれる小さな社があり、六日の夜には「一番頭(いちばんがしら)」と呼ばれる六年生が、その舎に泊り込んで、夜通しトンドの神様のお籠もりをするのでした。
その年の六日の夕方のことでした。六年生の将太は、早めの晩御飯を食べた後、お籠もりをするために舎に向かっていました。家並みから遠ざかり、神社の境内に差し掛かったところでした。将太は木陰に隠れるように潜んでいる少年を見つけました。
雪が降りしきる中、辺りはすっかり暗くなっていましたが、小さな村のことなので、将太には姿かたちで誰であるかはわかるはずでした。しかし、将太はその少年に全く見覚えがありませんでした。
将太は思い切って声を掛けました。
「わい(君)、どこの子じゃ?」
「……」
しかし、返事がありません。将太はもう一度たずねました。
「おら(僕)、本庄屋の将太だ。わいは誰じゃ?」
「……」
やはり、返事がありません。しばらく、いぶかっていた将太でしたが、ふと今朝の祖父の言葉を思い出しました。
「そうか、きっとこの子が、おじいちゃんが言ってござった、正月で東京から近江屋さんに戻って来ちょう正彦だな」
そう思った将太は、さらにもう一度声を掛けました。
「わい、近江屋さんに戻って来ちょう正彦だあが。おら、おじいちゃんから聞いて知っちょうけん」
すると、その少年はコクリと頭を下げました。
「やっぱりそげか。だいてが、なんで今頃こげんところにおるだ?」
将太には、日が落ちて暗く淋しい村の外れに、一人で佇んでいることが奇妙に思えたのでした。ですが、将太にはすぐにその理由も見当がつきました。
「あっ、わかった。わい、もしかしておらたちと一緒に、舎に泊まりたいんじゃないだか? もしそげだったら、一緒に来るか? たぶん、みんなもええと言うけん」
将太の同級生の男子はたった六人しかいませんでした。なので、将太は一人でも多い方が楽しいと思い、その少年を誘ったのでした。
舎に着くと、他の同級生はすでにやって来ていました。将太は皆に向かって少年を紹介しました。
「みんな、こい(彼)が東京から近江屋に戻って来ちょう正彦だが。正彦も今晩おらたちと一緒にここに泊まりたいと言っちょうだけんど、ええがな?」
すると、
「おお、ええが、ええが」
と、みんなは喜んで賛成しました。
皆は炬燵に入り、トランプや将棋などをして遊びました。お供えのお菓子は自由に食べる事ができ、子供たちだけの楽しい自由な時間は過ぎていきました。
夜の十時近くになって、同級生の一人が、
「そろそろ、準備に掛かるだか」
と言いました。
それを聞いたみんなは、
「そげだな。そうするか」
と口々に言い、上着を着始めました。
「何をするの?」
その少年は、こんな時間からいったい何が始まるのか不思議に思い、将太にたずねました。すると、将太は少年が思いも寄らないことを口にしたのです。
「キツネ狩りをするだが」
「えっ! キツネ狩り? 今からキツネを捕まえに山に行くの?」
少年はあまりの驚きと戸惑いのせいなのか、声が裏返っていました。少し青ざめている少年を見た将太は、にこやかに答えました。
「違うだが。この村には、大昔から歌を歌いながら村中を歩いて回る『きつね狩り』という風習があるだが」
「歌を歌いながら歩く?」
少年は安堵した様子でたずねました。
「うん」
「どんな歌なの?」
少年の問いに将太は、
「わいも、おらたちに付いてくればわかるけん。簡単な歌だけん、わいもすぐに覚えられえけん」
と答えました。
「よおし、準備が出来たら、行こうかあ」
将太の掛け声で、一人が懐中電灯を持ち、残りの者は竹で作った簡単な楽器を持って外に出ました。
「ううー、寒い」
皆、思わず声が出ました。暖かい舎から、一面の銀世界に出たのですから、無理もありません。
村の家並み近づいてきたとき、将太が、
「そいじゃ、いくよ。せいの」
と音頭をとり、皆が一斉に歌い始めました。
山の奥のきつねが、
親の銭(ぜに)盗んで、
魚(うお)買って食らって、
魚の骨たてて
ぎゃあ、ぎゃあ、と泣いたげな
それは、親の言う事を聞かず悪いことをする子供を戒めた歌でした。二つの竹筒の先端を細かく裂いて、そこをぶつけ合って出る、「ジャラ、ジャラ」という独特の音色が、辺りに響き渡っていました。
この村では、毎年正月の六日の深夜に、六年生の男子がこの歌を歌いながら、村中を歩いて回ることが古くからの風習なのでした。
何度も何度も繰り返して歌いながら村中を歩き回って、将太たちが舎に戻ってくると、つい先ほどまで後ろを付いて来ていたはずの少年の姿が消えていることに気付きました。
「あれ? みんな、正彦がどこへ行ったか知らんか?
将太は皆にたずねましたが、皆は、
「家に帰ったんじゃないだか」
と言うばかりで、誰も確かなことを知りませんでした。
「おら、ちょっとこの辺りを探してくるけん、みんなは舎に入っちょって」
将太は、皆にそう言い残して舎を後にすると、今歩んできた道を村の方へ戻って行きました。
なにせ吹雪が舞う夜中です。村の子供ならどもかく、東京からやって来た正彦が道に迷ったりしていたら大変です。
村に戻り掛けたすぐのことでした。
「将太君」
木陰から誰かの呼ぶ声がしました。それの声は、まさしくあの少年の声でした。しかも、ちょうど将太が夕方に彼を見つけた場所でした。しかし、将太は声のした方を見ましたが、彼の姿がありません。
将太は、
「正彦君、どこにいるだか?」
と声を掛けました。
「ここだよ」
やはり、声はするものの彼の姿はありません。
「正彦君、どこ? 出てきてごしぇ」
将太がそう言うと、「サク、サク」と雪を踏みしめる音と共に木陰から、一匹の子ギツネが顔を出しました。
「うっ!」
将太は驚きのあまり声が出ません。
「将太君、驚かないで。僕が正彦だよ。人間に姿を変えていたんだ」
確かに、その声はあの少年の声でしたが、将太の驚きはいっこうに収まりません。
子ギツネは、そのような将太に話を続けました。
「あのね。僕、おかあさんに叱られて、腹が立って家を飛び出してきたんだ。だけど、お腹も空いて、どこにも行くところがなくて神社の境内をうろついていたら、将太君がやってくるのが見えたので、とっさに人間に化けたんだ。そしたら、将太君が正彦だろうと声を掛けてくれて、舎に連れて行ってくれた。僕はお菓子をお腹いっぱい食べて、トランプをして遊んで、楽しくて家の事なんかすっかり忘れていたんだ。
だけど、みんなが歌っているキツネ狩りの歌を聴いているうちに、おかあさんのことを思い出して、なんだか淋しくなったんだ。だから、みんなに内緒で山に帰ろうと思ったんだけど、将太君には本当のことを言いたくて、きっと僕を探しに来てくれると思ってここで待っていたんだ」
そう言った子ギツネの目には光るものがありました。それを見た将太はようやく落ち着きを取り戻しました。
「そうか、山に帰ったら、おかあちゃんにちゃんとあやまらんといけんぞ。そうだ、これを持って帰ったらええが」
将太は、そう言ってポケットから、夜中にお腹が空いたら食べるようにと、母からもらっていたあんパンを取り出し、子ギツネに渡しました。
「将太君、ありがとう」
子ギツネは礼を言うと、もらったパンを口にくわえ、神社の横の細い山道を小走りで登って行きました。
将太はじっと立ったまま、子ギツネの後姿を見送っていました。子ギツネも、名残惜しそうに何度も何度も振り返っていましたが、そのうちに、とうとう暗闇の中に消えてしまったのでした。
夜空を見上げると、いつの間にか雪は止み、雲は消え去って、澄み切った満天に今にも振り出しそうな無数の星たちが競うように瞬いていました。
将太の心は、この星空のように晴れやかに澄み渡り、冷たい北風にもかかわらず、ほのぼのとしたぬくもりに包まれていたのでした。
春の香り 久遠 @kamishochihayamaru
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