中華料理の定義

 餃子は中華料理であるが、そもそも中華料理とは何だろう?。単純に中国で発明された料理なのか?。起源だけが土地と関連するのか?

 そもそも中国と一口に言っても面積で日本の100倍あるし、言語に至っては英語地区ロシア語地区やイスラム地区、独自言語地区など様々である。


 たとえば、フィリピンなどは一つの国と私たちが思っているが、世界侵略戦争においてイギリスが勝手に、ここらへんはフィリピンって事にするって決めただけで実際は数千の国や部落があり言語も文化も別体型の異質の生態系を十把一絡げに無理やりに統一した物だ。


 では中国で調理した物を中華料理とすると仮定すると、中国ではイタリア料理を調理すると非国民に見えてしまう。ではイタリア料理を中華風にアレンジした物を中国料理と命名したとしよう。そんな料理は無い。


 日本の魔改造料理文化は、諸外国に存在しないのだ。スパゲッティに麻婆豆腐をかけた料理なんて文化は発生しない。料理とは伝統であり改変を許さないのだ。


 そもそも、国によっては料理すらしないと言う文化の方が多数派である。イギリスなどは月曜から土曜まではコーンフレークやバタートーストだけを食べ日曜だけ外食で肉料理というサイクルが普通である。家庭料理と言えば火を通しただけのジャガイモやソーセージで、味付けもしないのが普通であり調味料なぞ売ってもいない。塩コショー以外の調味料はスーパーに並ばない。醤油もポン酢も粉末出汁も七味も味醂もマヨネーズもケチャップもスーパーに無いのだ。調味料はプロの調理師が使うものであり家庭で使わない初期設定なのだ。


 そもそも白人は味覚音痴であり、料理に使う時間は無意味だと考える。食事とは燃料補給であり、量が多いか少ないかが重要でそこに味付けの楽しみは無い。なので味覚は塩分濃度だけであり、白いご飯を食べられない。パンにはバターやジャムを塗って食うように、日本風の白米には醤油やマヨネーズをたっぷりかけて食う。白いご飯だけを食うなぞ原始人かとバカにするのだ。


 つい最近までは、刺身や寿司って生で魚を食うなんて、なんて野蛮で思考能力さえ無い人間ですらない別の生き物だと言う認識だったのだ。とにかく否定するのが大好き人種なのだ。


中国だって刺身否定派だった。中国には冷蔵庫も無いしスーパーも無い。内陸地では魚を食う文化すら無い、海の魚を死ぬまで見た事すら無い人が多数派なのだったから。と言うか海の存在すら知らずに死んでいった。海までは数千キロの距離があるのだ。日本でも群馬県民が死ぬまで一度も海を見たことが無い率は80%である。


 そもそも。中国に中華料理と看板に銘打つ店は一件も無い。中華丼は中国には無い。日本には日本料理と銘打つ店は多数あるのにだ。日本では日本料理が珍しい存在にまで絶滅し、世界では日本料理が有り難がられ、ダイエット食とか意味不明な付加価値がつきだした。


 そもそもグローバル時代になって、地方特色を全面に出す田舎根性がおかしい。フランスなんて田舎の料理は長野料理と価値はかわらない。流通革命が起こった現在において、そもそも手に入らない食材も存在しないのだ。


 じゃ、中華料理の定義はなんだろう?。答えは言ったもん勝ち。そもそも存在すらしていない。

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浜松餃子の真実 @chimasa

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