無双の武者 五
さて、赤い泥集めから始まって、ようやっと鋼が用意できたが作業はまだまだ続く。
次はここから鋼治が使うための鍛冶用具を作っていくのだ。
「まずはハンマー、金槌だね。黒龍さん、拳ぐらいの大きさに分けて、丸めて、穴を開けてくれるかい?」
「鍛冶屋は金槌が無ければ始まらぬのう。どれ、このぐらいかの?」
一旦冷えて固まっていた鋼のインゴットに再び炎を吹き付けて柔らかくし、適当にちぎり取って捏ねていく。
しかしそこはやはり不慣れな黒龍の手によるので、ああでもないこうでもないとそこそこ時間がかかった。
何度も赤めては捏ねての繰り返しで鋼材の炭素は大分抜けただろうが、もともと硬度より靭性が重要な道具だから大きな問題ではない。
ひとしきりこね回した後に、なんとか鎚頭が出来上がる。
形ができたら次は熱処理だ。
鋼鉄は炭素との合金であり、温度によって複雑にその微細組織を変化させる。
その性質を巧みに利用して硬度や靭性の調整を行うのが「焼入れ」「焼きなまし」「焼戻し」といった熱処理だ。
今回の金槌の場合、靭性重視で硬度は少し落とす調整となる。
まずは1000℃に行かない程度まで鎚頭を熱していく。と言っても温度計など無いので完全に色から推測する勘である。
しかも黒龍の炎は鋼鉄を融解させる温度まで出るので、近づけたり遠ざけたりしながら熱していく。
多分この辺という実に大雑把な判断で加熱を止め、瞬時置いてからぬるま湯に放り込む。
ボシュウッと音を上げて水蒸気が吹き出し、水面が煮え立つ。
鋼治はいささか不安だったが、なんとか割れたりはせずに済んだようだ。
あるラインを越えた高温になると、鋼の内部では鉄がオーステナイトという状態に変化し、炭素をその結晶構造内部にがっちり抱え込むようになる。
この状態から急冷するとマルテンサイトという状態になるのだが、これは非常に硬い状態なのだ。
すなわち、今の鎚頭はマルテンサイトばかりの非常に硬いが、脆い状態になっている。
このままでは強い衝撃で割れてしまって使いものにならないので、多少緩めてやる必要がある。
「それじゃ今度は、これを焚き火で炙ってと…」
「何故わざわざ焚き火に?妾の炎で良いではないか。」
「今度は黒龍さんの炎じゃ熱すぎるんだ。焚き火の中ぐらいがちょうどいいんだよ。」
目標温度は大体600℃。
黒龍の吐息では熱すぎるし表面が先に高温になってしまう。
焚き火の中心あたりに放り込んで、火勢と位置で調整していく。
そうしてだいたい均一に温まったかなという辺りで、精錬の時に大量に出た灰をかぶせて火を消し、そのまま灰で埋めてしまう。
一旦温めた時に固く脆いマルテンサイトはソルバイトという粘り強い組織に変化する。
これが灰の中でゆっくりと冷却されていく過程ではそのまま保持されて、全体としては硬さを保ちつつ粘り強い鉄塊になるのだ。
「温めて冷やして、なにやら料理のようじゃのう」
「材料をあの手この手で美味しくするっていう点では似てるかもね。」
鎚頭はこれで一応の終了、後は冷えるのを待つしか無い。
その間に今度は木柄の準備だ。
と言っても、この分野は鋼治の専門でもないので、本当に何となくでしか作れない。
ハンマーなんだから丈夫で粘る木材が良いんだよな程度の話であり、そもそもこの周辺に生えている木の性質など詳しく知りはしないのだ。
よって素直に聞くことにする。
「黒龍さん。鎚の木柄に合ってる木ってあるかな?」
「ふむ、打ち付けるのじゃから硬くてしなる木が良かろうな。なればあの材が…おお、ちょうど良く薪の中に有ってくれたか。ほれ、この太枝を削ってやれば向いておろうよ。」
そう言って薪束の中から少し手に余るぐらいの枝を取り出す黒龍。
受け取って見るとなるほど、充分に硬い材らしい。
「この木の名前は何て言うんだい?」
「このあたりでは狼木と呼んでおるのう。樹肌が狼の毛に似とるのでそう呼ばれておる。人里では良う鋤鍬の柄に使われとるらしい。」
農具の柄となれば頑丈でしなりも効く物が要求される。
それに使われてるのであれば問題無いだろう。
そうこうしているうちに、灰の中の鎚頭も充分に冷えた頃合いになる。
掘り出した鎚頭に大雑把に削っておいた木柄を合わせ、調整していく。
開けておいた穴に合うように削り込んでいき、気持ち太めをねじ込んで、最後にささっと作っておいた楔を打ち込んで固定して一応の完成だ。
「よし…! これでやっと作業になるぞ…!」
「おうおう、やはり鎚を持つと鍛冶屋という風体になるのう。」
鋼治は出来上がった金槌をしげしげと眺めながら、感無量といった面持ちで漏らす。
確かに黒龍というパートナーは鋼治の常識はずれの有能さを見せてくれているのだが、やはり傍から指示するのと、自分の手を動かして作業するのでは大きな違いがあるのだ。
その鍛冶仕事における己が「手」となるのがこの金槌だ。
この金槌からあらゆるものが生み出されるのだ。
その感情が伝わっているのだろうか、黒龍もにこにことしている。
さぁ、このままドンドン道具を作ってしまおうと鋼治は息巻く。
次に作るのは「ヤットコ」。
熱く焼けた鉄をつかむための道具で、これと金槌が揃えば基本の鍛冶作業が可能になる。
まずは黒龍が鉄を赤めてちぎり、細く伸ばしていく。
細く棒状に延びたものを、大きな石の上で叩き、一部を平らにする。
次いで、平らな部分を取り敢えずこしらえておいた鉄棒に当てて叩いて、小さな穴を開ける。
その間、焼けた鉄を持っているのは黒龍であり、鋼治の指示に従って向きを変え位置を変えと甲斐甲斐しい。
黒龍としては遂に鋼治と息を合わせた共同作業に入ったのが嬉しいのか、真剣ながらも笑みが消えない。
ヤットコは役割的に焼きを入れる必要が無いので、ざっくりと空冷に任せる。
同じ要領でもう一本をこしらえたら、穴に先程の鉄棒を短く切ったものを差し込んで連結し、叩いてカシメていく。
何度か開閉して、微妙にずれている部分を叩いて修正して出来上がりだ。
さて、ここからはもう見る見る間に他の道具が出来上がっていく。
鍛冶仕事の作業台となる鉄床は、黒龍が大雑把に鉄をまとめた物を、鋼治が叩いて整形していく。
ある程度重量がないと揺れ動いて使いにくいので、奮発して30kg程度の鉄を使用。
これで人力で作業をしてる分には困らないはずだ。
大体の形ができたら、床面を平らに磨いてやって完成。
金槌・ヤットコ・鉄床と揃えばいよいよ鋼治の本領発揮。
黒龍が適量にちぎり取った鋼材から瞬く間に穴あけ用、断ち用のタガネが鍛造される。
鋼を赤める熱源は相変わらず黒龍の吐息だが、この作業は鋼材の保持も鎚を振るのも鋼治の仕事。
指示では伝わらぬ細かな動きを迅速にこなして、見る見る間に鋼材が姿を変えていく様に鋼治はもとより黒龍も目を放せない。
必要最小限の加熱で済ませて火造りを終える。
これらタガネはかなり硬度に寄せる必要があるので、鎚頭と同じく焼入れをした後、軽く炙る程度の焼戻しをしておく。
整形と熱処理が終わったら、適当な大石で刃先を研ぎ出してやって完成だ。
「はぁー、なんとも見事じゃのう。こうしてみると妾の手捌きは全然なっておらんかったのう…すまかったのう。」
「いやいや、そもそも焼けた鉄をヒョイッと適量取れるだけで大助かりだよ。大体、鍛冶仕事の味噌の部分で負けてたら、職人の立つ瀬が無いよ。」
「ほほ、確かにの。ま、役に立てとるなら何よりよ。」
いつしか夜も更けて、明かりは焚き火と黒龍の炎の吐息だけ。
しかし、一人と一体は夜闇も気にせず鍛冶道具づくりに没頭するのであった。
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