無双の武者 四

山と用意した薪をすべて燃やし尽くし、そのまま冷めるのを待つと、時間は昼時に差し掛からんとする頃だった。


燃え尽きた灰と消し炭をかき分け掘り起こして行くと、底の方にゴロゴロと塊が転がっているのが見える。

大きなものでは拳大、小さなものではビー玉ほどの重い塊。

これがお目当ての「鉄」、その塊である。

褐鉄鉱(リモナイト)から低温還元された鉄が、お互いに寄り集まりながら底の方へと落ちていって形成されたこの塊は、外見こそ岩のようにしか見えないが、持ってみればはっきりそれとわかる金属の重みである。


「ほうほう、これは確かに純な鉄じゃのう。見事に出来たのう。」


持ち重りする鉄塊を片手に、黒龍が微笑む。

しかし、工程はまだ途中なのだ。


「取り敢えず鉄には成ってくれて一安心だよ。だけどまだここから鋼鉄にする作業が有るんだ。すまないけどもう一手間二手間借りるよ。」

「なんのなんの、いくらでも妾を頼れや。」


鋼治が引き続きの助力を頼むと黒龍は一も二もなく快諾する。

本当に有り難い話だと感謝しながら、鋼治は次の段取りを考える。


この低温還元法で作られた鉄は、たたら製鉄や高炉で作ったものと違い非常に炭素含有量が低く、かつ非金属の不純物を多く含む鉄である。

たたら製鉄のような高温環境下では鉄が融解しているため不純物がスラグという形で分離するのだが、半固形のままで精錬を行う低温還元の場合、褐鉄鉱中の酸素が下から登ってきた一酸化炭素に奪われるに留まるので不純物がそのまま残ってかつ隙間の多い「海綿鉄」と言うものになる。

また、大量の炭素と溶け合うような場面がないので、炭素量が非常に低い軟鉄に出来上がるのだ。


地球の歴史においてこうした低温還元で精錬される軟鉄は「錬鉄」と呼ばれていた。

鉄というものは一般に硬いイメージがあるが、実際の所それは0.2%以上の炭素を含む鋼鉄の話であり、今出来上がっている炭素をほとんど含まない錬鉄は驚くほど柔らかい。

例えばこの錬鉄をそのまま鍛造して剣などを作った場合、打ち合えば欠けるどころか曲がってしまい、事実、錬鉄を整形していた中世のヴァイキングソードなど少し使っては足で踏んでまっすぐに曲げなおしていたという記述があるほどだ。

このままでは強度が必要な道具などには使用できないので、何らかの方法で炭素を取り込ませ、鋼鉄にしてやる必要がある。

その方法はいくつかあるのだが…


「さて、次の作業の前に確認させてくれ。黒龍さんの炎でこの鉄は溶かせるかい?」

鋼治が問えば

「ふむ、どうじゃろうなぁ。やってみるがのぉ。」

と答えて、黒龍は手に持った鉄塊に炎を吹き付け始める。

灼熱の炎を吹きかけられた鉄は、黒龍の手の中で見る見る温度を上げ、暗赤色から、赤色、赤橙色、橙色、黄色、白黄色と上がっていくが、そこで変化が止まってしまう。

確かに高温ではあるのだが、鉄塊は形を保ったまま。

溶け出すには至らぬようだ。


「色からざっと読むと、1200度ってところかな。銑鉄ならともかく軟鉄だと厳しいな。よし、黒龍さんもう良いよ」

鋼治はそう言って止めるが、

「いや、もうちょっと、もうちょっと吹けば溶けるかもしれん、待ちやれい。」

と黒龍は粘りを見せる。

しかし、言葉とは裏腹に温度は上がらず、鉄も形を保ったままである。

「いやいや、もう良いから。もう充分だから。」

鋼治は重ねて止めるが、

「しかし、溶けねば鋼治が困るのであろう?仕事が進まぬのだろう?」

とどこか必死さを感じさせる形相で食い下がる。

その顔に何かを察した鋼治は、黒龍を背からそっと抱いて努めて優しく言う。

「大丈夫だよ。溶けるようなら話が早いってだけ。他にも手はあるし、これだけ鉄を赤めてくれるだけで大助かりだよ。」

それを聞くと心なしか力の抜けた黒龍の声が返る。

「左様か。なれば安心じゃな。他のこともなんでもするでな、遠慮のう言えよ?」

少しだけ抱く力を強めて鋼治は答える。

「ああ、頼りにしてる。ありがとう。」


鉄という素材の面白い点は、この温度に対する反応にもある。

純粋な鉄元素の塊としての鉄、すなわち純鉄の融点は1538度である、

しかしこれが、各種不純物を取り込むと変化し、大体は融点が下降する。

とりわけ産業的に重要なのが炭素を取り込んだ鋼鉄の場合で、炭素含有量が4%を超える「銑鉄」の場合、その融点は1200度程度まで下降する。

この性質を利用して、融解した金属を型に流し込んで成形する「鋳造」では銑鉄やそれに準ずる高炭素鋼が多く利用されてきた。

それを踏まえて考えると、黒龍の吐く炎は、鋼鉄の武具を蕩かすことは出来ても、純鉄に近い錬鉄を流動化させるには足りないらしい。

であるなら、炉をこしらえて炭で熱して溶解と炭素吸収をさせる「卸鉄」をしてやるのが考えられる普通の方法であるが…ここで鋼治は一つ思いつく。


「黒龍さん。溶かすのは難しくても、柔らかくは出来るよね。あと、その温度でも黒龍さんは火傷しない?」

「そりゃあの。妾の吐息の熱さで妾自身は焼けたりせぬ。鉄の方も…ふむ、蕩けるとは行かぬが水飴ぐらいにはなるのう。」


思いつきが本当に通るかどうか鋼治が確認していくと、黒龍は手の中の鉄塊に吐息を吹き付け、黄色に輝くそれをたおやかな指でつまんで見せる。

言葉の通り、常温とは比べ物にならぬほど柔らかくなった鉄は、つままれるに従ってたやすく形を変え、あたかも麺生地の様に伸びてみせる。

色が示す温度と硬度の変化、そして黒龍の性質から予想はしていたものの、現実の姿として見せられる奇っ怪な絵面に鋼治はいささか脳が混乱するのを感じるが、それでも続けての指示を出していく。


「よし、これなら行けそうだ。それじゃまずは、大小あるのを一纏めにしてから、使う大きさに分けていこう。」

「あいわかった。任せておくれな。大きさはどのくらいかの?」

「鋼にする方法でちょっと試してみたいのがあるから…黒龍さんの口に楽に入る饅頭ぐらいで。」

「ほほ、鉄の饅頭か。しかし、妾の口は人身と龍身で大きゅう違うぞ?」

「ああ、そっか。それじゃあ龍の方で楽々入るぐらい。それで俺が持ち運べるぐらいだから…黃瓜ぐらいかな。」

「請け負うた。まずは赤めてからまとめて捏ようか。」


鋼治の求めを快諾した黒龍は、大小の塊を手にとっては炎の吐息で赤めて、合わせて捏ねていく。

差し詰めつきたて餅でも丸めているような気軽さだが、扱っているのは黄色になるまで熱せられた鉄である。

それが滑らかな女の手によって捏ねられ、一纏めにされて行く様は鋼治の常識をグラグラと揺さぶるのだが、鋼治はそれを苦笑い一つで流して、灰を払った鉄塊を拾い集めて黒龍に渡していく。


融点まで達しないが硬度を大きく下げた状態の金属を密着させ、ハンマーなどで叩いて接合させる方法を「鍛接」という。

半固体の状態であっても密着させて圧力を加えれば境界面は融合し、充分な接合強度を得ることができる一方、材料全体は混ざっていないので、例えば炭素含有量の違う鋼鉄を鍛接すれば硬軟両方の状態を活かしたまま一塊にすることができる。

しかし通常、熱せられた鉄の表面には酸化被膜が形成されて鍛接を阻害するため、ホウ砂を主成分とする鍛接剤を用いて酸化被膜の融解と酸素の遮断を行う。

だが、黒龍が単純に赤めて手の中で捏ねるだけで鉄はみるみるくっついて一塊に成っていく。


(やっぱり錬鉄ってのは鍛接しやすいんだな…)


その様子を眺めながら鋼治は錬鉄特有の事情に思いを巡らす。

融解によるスラグの分離を経ない錬鉄は、非常に多くの非鉄不純物を含んでいるのだが、これが鍛接時には鍛接材の働きを代行するという研究が有る。

それ故、精錬が不十分な時代の鉄は容易く鍛接でき、時代が下って精錬度が上がるほど鍛接に特別な手法が必要になっていったという話だ。

その証拠に、黒龍が鉄塊を赤めて手の中で捏ねるたびに、鉄より融点の低いスラグ分が液体として滴り落ちては、じゅうじゅうと地面を焼いていた。


そうして一刻ほども作業を続けると、大きさが瓜程度、重さにして約10kg程度の塊がいくつも出来上がる。

どれも表面に酸化被膜が形成されているのでぱっと見えないが、ちょっと磨いて皮膜を落とすと、複雑な縞模様が見えるはずだ。

そしていよいよこれらを鋼鉄にしていく。


鉄に炭素を吸収させれば鋼鉄になる。

鉄が炭素吸収を行うには高温である必要があるが、その際に酸素が有ると炭素は先に二酸化炭素になってしまうし、一旦鉄に吸収された炭素もやはり二酸化炭素として逃げてしまうので、低酸素でありながら高温という条件を作ってやる必要がある。

これを炭などで作り出す場合、高温と低酸素というのが矛盾するため、送風量や炭の大きさなど細かな調整が必要になるのだが、鋼治には腹案が有った。

龍身となった黒龍を前に鋼治はその手順を説明していく。


「それじゃまずは、口の中にこの鉄を入れてもらって、柔らかくなるまで温めてくれるかい?」

「ふむ、こうかの。」


鋼治は黒龍の大口に鉄の瓜を置いてやり、受け取った黒龍は口をすぼめて炎を吐く。

数秒炎を吐いた辺りで鋼治は次の指示を出す。


「柔らかくなったらちょっと止めてもらって、今度はこの炭の粉を入れる。」

「熱うなっておるから、炭の粉など燃えてしまうぞ?」

「ちょっとはしょうが無いけど、なるべく空気に触れないうちに口を閉じて。そしてまた火を吹いて温めてもらいながら、今度は鉄をモグモグ噛んでくれるかい?」


支持に従って黒龍は口をすぼめて炎を吐いた後、そのまま口をモゴモゴと動かし始める。

口内の高温に晒された鉄は充分に柔らかいため、モチのように咀嚼される。

そうして何度か咀嚼していると、鉄がドロドロと融解を始めるではないか。

感触の急な変化に黒龍が驚くと、鋼治がすかさず指示を出す。


「溶けた? よし、だいたい溶けたらこっちに吐き出して!」


先に掘って焼き固めて置いた地面の穴に、黒龍が口内のものを垂らしていく。

黄色く輝く液体、融点を越えた鉄だ。

ひとしきり吐き出した後、黒龍は不思議そうに問う。


「のう鋼治よ、妾の炎では鉄を溶かしきれぬはずじゃったのに、これはどういうことじゃ?」


外気に触れて急速に冷え固まっていく鉄を一瞥して鋼治は答える。


「黒龍さんの口の中で鉄が炭素を吸収して、溶ける温度が下がったんだよ。つまり、ここにあるのは立派な鋼さ。」


先にも述べたように、鉄はその含有物質によって大きく融点を変える。

炭素の場合は濃度が上がると融点が下がり、1200度を下回る程度まで下がる。

先程の黒龍の口内は高温の低酸素状態であり、そこで軟化した鉄が咀嚼されて吸炭が進み、融点下降を起こした鉄は次々融解したという仕組みだ。


「はぁ~、なんとも面白いのう! 口噛みの酒ならぬ口噛みの鋼とはのう!」

「く、口噛み鋼…まぁ確かにそうだけど。兎に角、融点下降が起きたってことは間違いなく鋼鉄と言って良い炭素量になってるはず。何とかなりそうだよ、有難う。」

「なんのなんの。いくらでも頼れい。さ、まだまだ鉄瓜は山積みじゃ。どんどん口噛み鋼にしていこうぞ。」


この日はこうして、鉄を噛んで鋼にするので日が暮れていった。

なお、この口噛み鋼が後に「美人龍の口噛み鋼」として持て囃されることになるのはまた別の話。



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