第12話「宣戦布告」

「似合ってますよ」

 凛音にそう言われ、歩は自分の姿を見る。漆黒のコート。裸で戦うわけにも……というわけで、下着や靴と共に用意された、STWの制服である。

 歩は急いでそれを身にまとい、リッター・アーサーで出撃……新手のシュヴァリエをあっという間に撃退した。これで研究所に逆戻りか……と思っていた歩だったが、凛音に連れ出され、コメットでアパートの前まで送られて来たところだった。

 時刻は深夜。歩はもう一度自分の姿を見直し、感慨深そうに肯いた。

「……これで俺も、STWか」

「違います」

 凛音はきっぱりと言い放ち、深々と頭を下げた。

「……ごめんなさい!」

 歩は頬を指先で掻いた。凛音は頭を上げる気配がない。

「君が謝ることは、何もないだろう?」

 凛音は応えず、ただただ、頭を下げ続ける。歩は溜息をついた。 

「おやすみ」

 歩は身を翻し、家に向かった。鍵を外し、やや緊張しながら、扉を開ける。

 ……人の気配はない。歩はほっとして電気を点けた。鍵をかけ、靴を脱ぎ、部屋へと向かう。本棚、ベッド、ノートパソコン……その全てに、歩は安らぎを感じた。

「お話があります」

 歩が机の前で振り返ると、玄関に凛音が立っていた。首を振る歩。

「帰るんだ。君のお父さんに見つかったら――」

「帰りません!」

 凛音はそう言って、周囲を睨み付けた。

 靴を脱いで家に上がり、ショルダーバッグからスケッチブックを取り出すと、歩に突きつける。歩はそれを受け取り、ぱらぱらと開いた。

 ――漫画が描かれていた。コマ割に台詞と、本格的。だが、肝心の絵は……幼稚園児が描いたかのように稚拙で、擬音はなぜかアメコミ調である。BAGOooooM!

「私の夢は漫画家でした」

 歩はスケッチブックから顔を上げると、凛音を見返した。真剣な眼差し。歩はベッドに腰を下ろし、スケッチブックをめくる。凛音はその隣に腰掛け、口を開いた。

「家には漫画が沢山あるんです。お母さんが大好きで……私も小さい頃から絵本より漫画って感じでした。だから、自然に漫画家を夢見るようになって、お母さんも応援してくれて……私が小学生の頃、病気で亡くなっちゃいましたけど」

 歩は手を止め、凛音を見やった。笑顔を見せる凛音。

「……昔のことですから。でも、漫画がお母さんとの繋がりだったこともあって、絶対、漫画家になってやるんだって、ずっと描いていたんです。それが縁で、友達もできました。その子が目指していたのは小説家だったんですが、漫画も詳しくて、意気投合して、それからずっと親友で……小学校、中学校も同じだったんですよ? それで、一緒にプロデビューを目指していたんです」

「それ、いいな」

 歩はぼそっと呟いた。凛音は嬉しそうに肯く。

「中学三年生の時、二人して作品をコンテストに応募してみたんです。その結果、友達は大賞を取ってプロデビュー、私は一次選考で落選……ショックでした」

「それは、友達が凄すぎるだろう?」

「ですね。だけど、当時の私にはショックで……目指す道こそ違いましたけど、ずっと一緒に頑張ってきて、私だって自信作を応募したんですから。だから、友達を祝福する気持ちよりも、どうしてという気持ちの方が強くて……凄く、落ち込みました」

「……分かると思う」

 歩はコンテストに応募した時のことを思い返す。大賞の受賞者が自分より年下で、随分とショックを受けたものだった。赤の他人が受賞してもあれだけ心が騒ぐのだから……よっぽどだっただろう。親友であり……ライバルなら、なおさらだ。

「丁度、その頃です。お父さんから、STWの話を聞いたのは。そこで私は自分の才能を知りました。軍師の才能があること。そして、漫画家の才能がないことを」

「……酷いな」

「いえ。私はそれで救われたんです」

 歩が顔を向けると、凛音は天井を見上げていた。

「……ああ、それが理由だったんだって。私が落選したのは、才能がないからだって。私は、現実を受け入れるための、理由が欲しかったんです。才能がない……それは、この上なく明快な理由でした。それだけじゃない、私には世界を救う才能があった。それは、漫画家よりもずっと凄いこと……だから、私は夢を諦めました」

「諦めた」

「はい。その日から、漫画を描くことを止めました。漫画も読まなくなりました。世界を救うという、新たな夢に向かって……友達とも、疎遠になっちゃいました」

 沈黙。歩はスケッチブックをめくりながら、凛音に尋ねる。

「……どうして、その話を?」

「それが、答えだからです」

「答え?」

「先生のクイズですよ。私にとっての世界は、それです」

 凛音は歩の膝に広げられた、スケッチブックへ目をやった。

「ずっと考えていたんですよ? 私が救おうとしていた世界は何なのかって。……でも、いくら考えても、辿り着くのは一般論の世界。そして、気付いたんです。私が救おうとしていたのは世界じゃない。捨ててしまった、夢だったんだって」

「夢のために、世界を?」

「そうです。世界を救うのは、捨てた夢の代償。救えなかったら、夢を諦めた意味がなくなってしまう。だから、私は自分の選んだ道が正しかったと、夢を諦めて良かったと証明するために世界を……完全に、自己中な理由でした。自分でも信じられませんでしたが……一度そうだと気付いてしまったら、もう目を背けることはできません。私はただ、意地を張っていただけなんです」

「……そう、だったのか」

「先生は、知っていたんじゃないんですか?」

「俺はただ……君みたいな女の子が、世界を救おうとしていることに違和感があってね。何か理由があって、無理をしているんじゃないか……そう思っただけだよ」

「ずっと、漫画のことは考えないようにしていましたから。だけど、近頃は考えずにはいられなかった。先生のせい……いや、先生のお陰、かな?」

「俺の?」

 歩は自分の顔を指さした。凛音は肩をすくめる。

「だって、何かにつけて夢、夢って言うんですもん、嫌でも意識しちゃいますよ! それに、意識したら意識したで、先生が羨ましくなっていたのだと思います」

「羨ましい?」

「先生は初めて会った時から、世界よりも夢を選んでました。そりゃ、最初はなんて自分勝手な、とでもない人なんだろうって思いましたよ? 世界がどうなってもいいなんて、酷い人だって」

「……まぁ、当然だよな」

「でも、先生は世界を理由にして、夢を諦めたくなかっただけなんですよね? それは、私にはできなかったこと。それが羨ましくて、私は先生をSTWに入れようと……夢を諦めさせようとしていたのだと、今では思います。でも、先生は諦めなかった。それは、凄いと思います!」

 凛音は歩に肯いて見せる。歩は首を振ると、スケッチブックに目を落とした。

「……俺にはずっと夢がなかった。君が漫画家という夢を描いていた小学生の頃もそうだし、中学、高校、大学に行ってもそれは変わらなかった。夢、夢とうるさかったのは、親父だよ。夢を持っていないことが心配だって、いつも言ってた」

「心配?」

「ああ。俺が夢なんてなくても生きていけるって言ったら、親父はこう言ったんだ。夢を持つということは、人生の主役になることだって。……親父には宇宙飛行士になるという夢があった。でも、いくら頑張っても届かなくて、ついには諦めることになった。その瞬間、自分が脇役になったと感じたらしい」

「脇役……」

「親父はこうも言った。脇役になっても、人生が終わるわけじゃない……そりゃそうだろうと言ったら、脇役でも生きていける世界だからだよと答えた。……親父が言うには、夢を叶える人が僅かなら、その他……多くの人は夢を諦めているということになる。つまり、この世界は夢を諦めた人にこそ優しい世界なんだってさ。それなら、脇役の方が良いじゃないかって言ったら、親父はそうだなって笑った。でも、夢を持って欲しいとも言った。たった一度の人生なんだから」

「それで、夢を?」

「いや、そう簡単にはいかないさ。それでも、大学は卒業……就職先を決めることになった。大学にはここなら就職できますよっていうリストがあって、そこから選ぶんだけど……まぁ、どの企業にも興味が持てなくてさ。でも、それ以外じゃ就職は難しいから、さてどうしよう……という時に、親父とお袋が亡くなったんだ」

「えっ……」

 凛音は目を丸くし、口元を押さえた。歩は溜息をつく。

「……交通事故だった。飲酒運転のトラックに突っ込まれたんだ。意味が分からなかったよ。親父もお袋も、そんな死に方をしていい人間じゃなかった。こんなふざけた世界から、一刻も早く出て行きたいと思ったけれど、俺の前に異世界への道は開かれなかった。かといって、死ぬのは嫌だった。これ以上、殺されてたまるかという思いもあった。幸い……俺には金があった。慰謝料と保険金。それで生きることはできた。でも、死にたくないのと、生きたいのは違うんだと身に沁みたよ。どう生きればいいか、分からなかった。その癖、腹は減るし、眠くもなる。欲求を満たしながら、ただ、日々を過ごしていた。……それがどれぐらい続いたかな、事情が事情だったし、財産とかは親戚に任せていた。それで、実家を引き払うことになって、親の私物が俺に送られてきた。その中に、親父の書いた小説があったんだ」

「お父さん、小説家だったんですか?」

「とんでもない、普通のサラリーマンさ。でも、こっそり小説を書いてたみたいなんだ。内容も宇宙を大冒険って感じで……ああ、親父は夢を諦めていなかったんだなってね。嬉しくなって。それを読んでいる内に、俺も書いてみようかなんて思ってさ。小説の書き方の本を買って、書くようになったんだ。やがて何作か書いている内に、小説家になりたいと思うようになって……それが、夢だって気付いたんだ」

「……素敵な話ですね」

 ほうと息をつく凛音に、歩は苦笑い。

「そうでもないぞ? そこから俺が奮起して、名作を書き上げて、コンテストで賞を取って、念願のプロデビュー……とかなら美談だけど、実際はいくら作品を応募しても鳴かず飛ばず、それが習慣になって早十年以上だ。……それでも、金さえあれば生きていけるんだから、この世界は脇役に優しいよな」

「先生は、主役じゃないですか?」

「……そうだったな。じゃあ、とうとう脇役になる時が来たんだ」

「夢を、諦めるんですか?」

「俺の夢は、決して叶うことがないらしいからな」

「……お父さんですね?」

 歩は凛音から目を逸らし、口を開いた。

「でも、変な話だよな? 世界を救う方が主役っぽいのに」

「諦めないでください!」

 凛音は歩に詰め寄る。歩が振り返ると、凛音は俯いた。

「……脇役の私が、言うことではないでしょうが」

「何言ってるんだよ? 君だって、諦めてないだろう?」

「え?」

 歩はスケッチブックを閉じて、凛音に差し出した。

「面白かったよ。絵と擬音は……その、個性的だったけど」

「え? これ、よ、読んでたんですか?」

「そのために渡したんだろう?」

 凛音は顔を真っ赤にして、スケッチブックを抱き締める。

「あ、いや、ちちょっと見てくれればいいかなって……その、面白いなんて……」

「個人差はあるだろうけど、俺は好きだぞ? こういうの」

「や、やめてください! す、好きだなんて……」

 照れる凛音。歩はやれやれと首を振った。

「夢を諦めた奴が、作品を持ち歩くか? それに、世界を救うのは夢を捨てた代償って、未練があるからこその言葉だろ? この前だって、何か描いてたし」

「あ、あれは……」

「君はまだ十七だろ? 世界を救ってからだって遅くないさ。全然遅くない」

「でも……」

 俯く凛音を見て、歩は溜息をついた。

「……ま、そう簡単に割り切れるもんじゃないよな」

 歩は腕を組んで、目を閉じた。「うーん……」と唸る歩に、凛音は首を傾げる。

「先生?」

「……俺の正直な気持ちを言って良いか?」

「どうぞ」

「俺は今書いている作品を、コンテストに応募したい」

「締め切りは、今月末でしたっけ? あと十日……ですね」

「……朝から晩まで、一日中頑張って、なんとか……間に合う……ってところだな」

「あの、お父さんの話は……その、大丈夫ですか?」

 凛音は躊躇いがちに尋ねる。歩は渋い顔をしながら、何度も肯いた。

「コンテストの作品投稿フォームにはさ、小説家のタレントの有無を記入する欄があるんだ。入力は任意とされているけれど、欄が用意されている以上、選考基準の一つなのは間違いない。タレントを持たない応募者の作品は、その時点で落とされている可能性もあるし、それは理に適っているとも思う。……それでも、作品の出来で選考されていると信じることは……応募者の自由だ。それぐらい夢を見たって、罰は当たらないだろう?」

 凛音は肯き、じっと歩を見詰めた。

「今回は諦めて、また次回……というわけにはいかないんですよね?」

「ああ。次がある保証なんて、どこにもないからな。そんな悠長なことで叶うほど、夢は甘くない……って、ああでも、これはあくまで俺の考えで、君は――」

「分かってます。それでも……私は夢を、諦めてしまったのだと思います。……今は、まだ。だから、今の私にできることは、今、夢を諦めていない先生を支えることだけ……うん、そうだよね、私、決めました!」

「えっ?」

「異星人は私達でどうにかします! 先生は、執筆に専念してください!」

「そんな、いいのか?」

「私に考えがあります! それに……うんうん、予言者の直感も、大丈夫だって言ってますから!」

 凛音は自分の頭を指さしつつ、歩に目配せする。

「それは頼もしいな。……でも、無茶をしようとしてるんじゃないか?」

「無茶も無茶です。だけど、先生が諦める口実を、これ以上作りたくないですから」

「世界を救うのに忙しくて、応募できませんでした……うん、立派な口実だよな」

「だから、世界はSTWが救います! ……ただし、ここまでする以上、書き終わりませんでしたなんて、許しませんからね! 私、本気で怒りますから!」

 凛音は歩の鼻先に指を突きつける。歩は寄り目になって口を開いた

「ああ、分かった、約束する」

「じゃあ、指切りしましょう!」

「え? い、いいよ、そんなの……」

「駄目です! はい、指を出してください!」

 歩は渋々、右手を出して小指を伸ばす。凛音も右手の小指を伸ばし、絡めた。

「指切りげんまん、嘘ついたら……」

 凛音はそこで言葉を区切り、悪戯っぽく笑った。

「ミコちゃんの特製ドリンク飲~ます! 指切った!」

「……これは頑張らないとな」

「やり遂げましょう! ……世界にとっては、いい迷惑でしょうが」

「いいさ。神楽さんの話通りだと、この世界はもう詰んでいるも同然だからな。やれることをやるだけさ。それで駄目だったら……あの世で土下座でもするかな」

 肩をすくめて見せる歩を、凛音はじっと見詰めた。

「……謝る必要なんてないと思ってるのに?」

「バレたか」

 笑い合う歩と凛音。……これも監視されているのだろうかと、歩は思った。いや、むしろ監視していて欲しい、見せつけてやりたいと、強く思う。

 ――これは宣戦布告だ。異星人ではなく、救うべき世界に向けた、俺達の。

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