第11話「世界の力」

 ――ここは、どこだ?

 歩の目に映ったのは、見知らぬ天井だった。

 歩は体を起こす。白い掛け布団。白いベッド。見渡す限り、白い部屋。自分の洗いざらしのジャージが、色鮮やかに見えるほどに。

 歩はベッドに腰掛け、足下へ目を落した。靴も脱がずに……そんなことを考えつつ、記憶をさらう。凛音と別れ、家に入ってからの記憶がなかった。

 妙にすっきりとした頭で、歩は自分の置かれた状況を結論づける。……ああ、連れ去られたのか、と。

 しゅっと音を立てて、部屋の扉が開いた。

 歩が顔を向けると、スーツ姿の男が立っている。スーツのブランドに明るくない歩にも、男が着こなしているそれが高級品で、相応の地位の者でなければ似合わないものだろうと、容易に察しが付いた。男は険しい顔を歩に向ける。

「亀山歩君だね。いつも娘がお世話になっている」

「娘って……」

「私の名は水無月源次。凛音の父だ」

「り、凛音ちゃんの!」

 腰を浮かしかけた歩を、源次は片手で制する。

「そのままでいい。君と娘のことを、ずっと監視させて貰っていた」

「監視?」

「悪く思わないで欲しい。この世界は君と娘の双肩にかかっている。その動向には、常に注意を払わなければならない。突然の事故、事件、病……そんなつまらぬことで、世界を救う力を失うわけにはいかないだろう? 何より二人のためを思ってのことだと、理解してくれ欲しい」

「理解って……」

「安心したまえ。君の私生活に興味はない。君が何をしていようと、それが犯罪でもない限り口出しはしない。それに、君の弱みを握ったところで、何の益もない」

 私生活……歩は日常を思い返す。監視など、全く気がつかなかったが……まさか、あれしたり、これしたりも、全部……そう考え、歩は恥ずかしいやら、腹立たしいやらで、赤面した。そんな歩を冷ややかに見詰めながら、源次は口を開いた。

「恥ずかしいかね? 腹立たしいかね? だが、私も大いに不快なのだよ。なにせ、一人娘が倍も年が離れた無職の独身男性の一人住まいに足繁く通っているなどという極めて不快な事実を知らなければならなかったのだからね!」

「そ、それは……」

「何を慌てる必要がある? 過ちが起きていないことは確認済みだ。……それとも、監視の目が届かないところで、何か不快な事案があったとでも?」

「い、いや! そんなことは、全くないです、はい!」

 源次は歩に苛烈な眼差しを向けていたが、やがて大きく息を吐き、首を振った。

「……まぁいい。ここからは君が最低限の良識を守ってくれたと仮定して話を進めよう。そうすれば、私も紳士的に振る舞うことができる」

「……人を監視したり、連れ去ったりすることが、紳士的なんですか?」

 歩の言葉に、源次は満面の笑みを浮かべた。……だが、その目は笑っていない。

「久し振りだよ。この私にそんな生意気な口を利く人間は。私がミナヅキ・インダストリーの総裁であること……いや、そもそもミナヅキ・インダストリーがこの世界でどのような役割を担っているかを知っていれば、そのような口を利くことはできまい。無知というものは、本当に恐ろしいものだな」

 ……世界有数の軍需会社だということぐらい、知っていますよ。世界中の戦争に介入し、争う双方に武器を供給する「死の商人」……歩はそう言いたい気持ちを堪える。恐らく、それしか知らないのかと、馬鹿にされるのが関の山だろうから。

「だが、君は何よりもおのれを知るべきだろう。今の君は、決して褒められるようなものではないということを、まずは自覚しなければならない」

「……どういうことです?」

「君はSTWに入ることを拒否しているではないか? それも、決して叶うことのない夢を言い訳にして……そんなこと、三十路の男がやることか?」

「そんな――」

「君が反論したくなる気持ちは分かる。だが、何度でも言おう。君の夢は決して叶うことがないと。……それで満足できないのなら、決して叶わないようにすることもできる。この意味、分かるかな?」

「……脅迫するつもりですか?」

「私はただ、真実を言っているに過ぎない。君が小説家の才能を持っていないことは、だ。それだけでも、君の夢が叶わない理由としては事足りる」

 歩はぎりっと歯を食いしばる。その音に耳を澄ませながら、源次は先を続けた。

「……もっとも、私は八十億という人命を軽んじるような作家が書いた小説など、頼まれても読むつもりはない。一人の読者として、また、一人の人間として」

「あ……」

「そう思う人間がいても当然だろう? だが、君にはそんなことすら分からない……亀山君、君の考える世界は狭すぎるのだ。君が何の才能もない人間なら、それでも良い。叶わぬ夢を追い、朽ち果てていくのもまた人生だ。だが、君は得難い才能を持っている。その才能に見合った責任を負う義務があるのだ」

「そんな、俺は――」

「君は凛音にこう言った。持って生まれた才能も、自分の責任なのかと。その通りだよ。才能は自分の一部だ。それを自分ではないという無責任……そんな我が儘が、この世界に通用すると思っているのか?」

 黙り込む歩。それを見て、源次は口調を和らげた。

「……とはいえ、君が才能の犠牲者であることも事実だ。前触れもなく、自ら望んだ訳でもない、世界を救うという大役を押しつけられ、さぞ息苦しかっただろう。私は世界の命運が個人の才能で左右されることは望まない。才能の有無に関わらず、人間は平等であるべきだ。だからこそ、君に協力をお願いしたい。この世界を、誰でも救えるようにするために」

「協力……」

「そうだ。君はリオン・ハートを知っているかね? 凛音が使用している世界防衛システムのことだ。凛音の才能を引き出すと同時に、その才能を解析するシステムでもある。……つまり、凛音でなくとも世界を救えるようにするためのものなのだ。世界を救うためとはいえ、凛音には大きな負担をかけている。その負担を取り除きたいと願うことは、間違っているだろうか?」

「いえ……」

「君に良識が備わっていて良かった。早い話が、私は『アユム・ハート』を作りたいのだよ。あのリッターとかいう兵器を、誰でも使えるようにするためにね。そのために、君の才能……魔力の仕組みを、徹底的に解き明かしたいのだ。アユム・ハートが完成すれば、君はもうリッターに乗る必要がなくなる。君は自由だ。心置きなく、執筆にも専念できる……悪い話ではないだろう?」

 ……確かに、と歩は思った。監視したり、連れ去ったり、夢が叶わないと言ったり……はともかくとして、協力の内容は筋が通っている。

 才能の有無に関わらず、誰でもそれを使えるようになるのなら、それは素晴らしいことだ。……ただ一点、それが兵器であることを除けば。

「……用途は、世界を救うことだけですか?」

「ほう、流石は小説家志望……と、言いたいところだが、発想が古いな。君が世界を知らない何よりの証拠だ。君が危惧するような事態は決して起こらない。なぜなら、この世界はすでに私の手中にあるからだ。今や、この世界の敵は異星人だけ……だからこそ、STWという組織が存在しているのだよ。を守るためにね」

 歩はまじまじと源次を見返した。……そうか、目の前にいるのは、世界征服を成し遂げた男なのか。本当はそんな馬鹿なと笑うべきかもしれないが、そうできない何かを、源次は持っていた。……少なくとも、源次は自分が世界の支配者であることに、何の疑いも抱いていないようである。

 圧倒的な自信。それを前にして、歩が口にできる言葉は一つしかなかった。

「……分かりました」

「ありがとう。話せば分かると思っていたよ。君の善意に、私も報いよう。アユム・ハートが完成した暁には、君をプロデビューさせてあげようじゃないか」

「な……」

「自費出版なんてケチなことは言わない。プロデビュー後のアフターケアも約束しよう。君の筆力がいかほどかは知らないが、必要ならゴーストライターも用意する。芥川賞でも、直木賞でも、ノーベル文学賞でも……取りたい賞があれば都合すしよう。もちろん、富と名声は全て君のものだ。漫画化、アニメ化、映画化、ゲーム化……メディアミックスも任せてくれ。他にも要望があれば、遠慮なく言って欲しい。どんなことでも、君が望むままに叶えてあげよう」

「ふざけるな!」

 歩は立ち上がった。その噛みつくような視線にも、源次は平然としている。

「……何を怒っているのかね? ゴーストライターのことか? 自分の書いた作品が評価されたいというのなら、どうぞ、自由に書いてくれ。どんな駄作でも、宣伝次第でいくらでも名作に仕立て上げてみせよう。有名人に絶賛させれば、ファンは追随する。近年の読者は、内容よりも話題性を重視しているからな。簡単な話だ」

「……俺の夢は、そんなんじゃない!」

「では、問おう。君の夢とはなんだ?」

「え……」

「プロデビューすることか? 満足のいく作品を書くことか? 賞を取ることか? 富か? 名声か? ……私は、その全て叶えてやると言っているんだぞ? 何を躊躇う必要がある?」

 源次は歩に近づいていく。歩は首を振った。

「そんなの、違う――」

「何が違う?」

 源次は歩の胸倉を掴み上げた。

「己の力で成し遂げることに意味がある……か? それなら、なぜお前は今プロになっていないんだ? 十年以上もかけて? お前は一体、何になりたいんだ?」

「お、俺は――」

 源次は歩を突き飛ばした。歩はベッドの上に尻餅を突く。

「……私を甘く見るな。君を思い通りに動かすことなど、造作もないことだ。君を強制的にリッターで戦わせることだってできる。……神楽の奴は、頑なに拒否していたがな。だが、操り人形では性能が落ちることも事実だ。世界が滅んでしまったら、元も子もない。ただ、もう悠長なことも言ってられないのだよ。だから、君にはとことん協力して貰う。検査、投薬、実験……死体になっても、利用価値はある」

 歩は青ざめ、足が震える。それを見て、源次は満面の笑みを浮かべた。

「顔色が良くないぞ? 安心したまえ。我が社のスタッフは優秀だ。君を簡単に壊すようなことはしない。私は君が憎いわけではない。私はただ、世界を救いたいだけなのだ。私なりのやり方でね。世界を救う才能を持たない私には、そうすることしかできないのだよ。君の才能は私が利用させて貰う。君はゆっくり休め。そして好きなだけ夢を見るがいい。君の夢が叶うのは、夢の中だけなのだから」

 源次は踵を返し、部屋を出て行く。歩は頭を抱え、ベッドの上でうずくまった。


 ――終わった。

 ついにやってきたのだ、終わりの時が。

 

 ――いつか、その時がやってくることは分かっていた。

 貯金が尽きた時。病に冒された時。災害が起こった時。


 ――その時は、ある日、突然やってくるのだ。

 前触れもなく、思いもよらない形で。


 ――いくら抗ったところで、世界には勝てない。それも、分かっていた。

 それでも、世界の思い通りなんて、なりたくなかった。


 ――好きで生まれたわけじゃない。

 生きる責任を押し付けられ、それでも、自由に生きることは許されない。

 

 ――世界を救うだって?

 とんでもない、救って欲しいのは……


「……先生!」

 歩はぼんやりと目を開いた。また、見知らぬ天井だった。暗く、高い。

「大丈夫ですか?」

 凛音の顔がぬっと現れる。汗か、涙か、滴が一滴、歩の頬に落ちた。歩が僅かに肯くと、凛音はケーブルの束を手に眉をひそめた。

「なんですか、これ? ……こんなのっ!」

 凛音がケーブルの束を引っ張ると、ケーブルの先端……歩の全身に取り付けられていた電極パッドが一斉に剥がれ、歩は身をよじらせた。ばりばりばり。

「いたたたた!」

「我慢してください! もうすぐ、全部取れますから!」

 歩が手足をばたつかせた拍子に、その身にかけられていた毛布が床に落ちた。

「きゃーっ! な、なんで裸なんですかっ!」

「えっ? し、知らないよ!」

 後ろを向く凛音。歩はベッドの上から手を伸ばし、落ちた毛布を拾い上げた。それを腰に巻きつつ、体を見やる。電極パッドの赤い跡が、そこら中に残っていた。

 周囲を見回しても、着慣れたジャージは見つからず、目に入るのは用途不明な装置ばかりである。見上げると、ガラス張りの二階部分に、白衣の人影がちらほら。

「……凛音ちゃん、ここは、どこ?」

「STWの研究所です。その、先生が行方不明になって、敵が来て、それが新手のシュヴァリエで、とんでもなく強くて、和馬君が離脱して、司令が先生の居場所を突き止めて、私も一緒に……もう、色々大変だったんですから! ううん、今もまだ、現在進行形で、大変なんです!」

「……緊急事態で、引っ張り出されたのか」

「で、でも、私は、そのためだけじゃ――」

「とにかく行こう。格納庫まで案内してくれ」

「先生……」

 ――結局、こうなるわけだ。考える必要なんてない。乗って、出撃して、倒す……なぁ、これでいいんだろう? それが、俺の才能なんだから。

 ……簡単だ、世界を救うなんて。救ってやるよ。救えばいいんだろう?

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