あたし、天使だから
@eyes
第1話
その可愛らしい、けれど小憎たらしくもある天使が最初に声をかけてきたのは、僕が福岡マラソンを走っている時だった。
もっと詳しく言うなら九州大学伊都キャンパスの坂道を往復している時だ。
ーはい、膝上げる!
突然そんな声が左耳に飛び込んできた。
僕はあたりを見回した。
ー給水取る
僕はポカリを2つ取る。言われなくとも取るつもりだったけれど。
ー屁理屈いらない
矢継ぎ早に言葉が飛んでくる。
「ど、ど、どなたですか?」
どもってしまった。
ー天使ですが、なにか?
「て、て、天使」
また、どもる。
ーもねエンジェルって呼んでいいよ
コースは元岡小学校の前を通り過ぎて左折して、川沿いの道になる。
幻聴なら止まってくれ!
ここから正念場が始まるんだ。
ーそれがご要望に合わせて来た天使に対する態度?
「え?」
ー応援が欲しいんでしょ
たしかにそうだった。
福岡マラソンでは沿道から沢山の声援があるのだが、この川沿いに入ってからしばらくはめっきり人がいなくなる。
「そうなんです、もねエンジェルさん」
ーモネでいいよ。Call me MONE !
「OK、モネ」
ー左肩、見てみ!
僕の肩の上に手のひらサイズの可愛い女の子が座っていた。ピーターパンのティンカー・ベルみたいな格好だ。
ーさぁ、去年の記録を抜く瞬間が来たよ
24キロの表示を持ったスタッフの前を走り抜ける。僕は去年ここで脚がピタリと止まって歩き始めたのだ。それをたった今超えた。最長走破距離の更新の瞬間だった。
ーこっからは一歩多く走れば走るだけ記録だね
「ありがとうございます」
ーいいねぇ。好きだよ
「いやぁ、まいったなぁ」
ー「ありがとう」って言葉のことだけど
この天使、めちゃめちゃ可愛いんだが、めちゃめちゃ口が悪い。
ー日本の男って、みんなそう言うんだよね。はっきり言ってるだけなのに
コースは大きく左に曲がる。
「スイマセン」
ー謝るくらいなら考えるな
今津運動公園の近くになるとまた沿道に人が出てくる。
「モネさん」
ーなに?
「なんで天使さんが僕のとこにやって来たんですか?」
ーいま、それ、必要?
「絶対ではありませんけど」
ーなら、質問却下な
「その衣装は天使さんの標準的なものなんですか?」
ーそれも却下な
去年は足が痛くて何度も立ち止まった場所を今年は走っていくのがなんとも嬉しかった。
「モネさん、肩の上でヨガをするのはやめてください」
ーそれな。ヒマでさ
「なんで来たんですか」
質問というより詰問のように言ってしまった。
ーメンゴ
「今頃そんな言葉使いませんって」
海づり公園の前も走り抜けていけた。
ーキミのね、マラソン出場の動機が気に入ったんだよね
「なんです、それ?」
ー私がここにいる理由。さっき訊いてきたじゃん
「話飛んだなぁ」
ー沿道の人の声援でもらった元気を、次の人に渡していくってとこ。それって本気だよね
「本気というか実感なんです」
人の声がどれほど勇気をくれるか、というのは言葉でうまく伝わらないものの一つだった。それが全く知らない人であっても、声援は心を軽くしてくれる。元気をくれる。
「一昨年初めて福岡マラソンを走った時にずっとハイタッチをしているおじさんがいたんですよ(勝手にハイタッチおじさんと名づけたんですけどね)」
僕は問わず語りに話していた。
「その時は全然余裕なくって、なんでこの人ずっと左手上げてハイタッチしてるんだろ、って思ってて」
海沿いから坂道のキツい北崎へとコースは替わっていった。
「それで、どこだったかな、糸島のどこかで僕に声援に応えたら、応援してくれたその人が凄く喜んでくれたんです」
ー声援に応える人は少ないもんな
「その時にオレでも人に元気与えることができるんだ、って。そして、ハイタッチおじさんがやってたことってこういうことなんだって」
ー去年からコースどりも道の端っこにしたよな
「でも歩いちゃうと、声援に応えられないんですよ。頑張ってない自分が応えるなんておこがましいっていうか」
ーそれで一歩でも遠く、一歩でも多く走る、と
「それがひとつでも多くの声援に応えることになるから」
ーそんだけいいこと考える割には練習しないよな
「スイマセン」
ーでもな、その考え方、いいよ。自分が貰うだけじゃなくて、与える、お返しするって考えること、スッゴい良いよ
「ありがとうございます」
ーそれってさ、セイカランナーだよ
「オリンピックじゃないんですけど」
ー聖に火の聖火じゃなくて、生に火の生火だよ
「生火ランナー?」
ー元気ってのは生きることに火を点すことだよ。そんな元気って火をリレーするんだから立派な生火ランナーだよ
福岡マラソンには高い登りが三カ所ある。九州大学の伊都キャンパスの往復、そして北崎の坂。
僕は今までできなかったその三つ目の坂を走破することができた。
「やった」
僕がガッツポーズをしたとき、モネさんがいなくなったことに気づいた。
「モネさん?」
返事はなかった。
僕は34キロ地点でとうとう足が止まってしまった。そこからはちょっとだけ走っては歩き、ちょっとだけ走っては歩きを繰り返すことになる。
何度となく「ゴールまで走り続けるぞ」と思ったけれど、意気地なく足は止まり、最後に気持ちを奮い立たせたのは6時間のペースメーカーに追い越されそうになったときだった。
「絶対6時間を切るんだ」
そうやって僕は6時間を切ることができた。
ゴールでは地元の高校生がタオルとメダルを渡してくれる。
最初にタオル、そして次が完走の記念メダルだ。
「おめでと」
僕の首にメダルをかけてくれたのは聞き覚えのある声の主だった。
「モネさん!」
「生火のリレー、これからも続けんだよ」
「モネさん、来年も会えます?」
「どっかでな」
そう言ってモネさんは満面の笑みを浮かべた。
「あたし、天使だから」
あたし、天使だから @eyes
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます