南阿蘇村の懐かしの家、年寄り一人

一石楠耳

南阿蘇村の懐かしの家、年寄り一人

 あの隙間風の多い日本家屋のことを、いわゆる原風景とでも言うのだろうか。


 わたしは生まれも育ちも横浜だけれど、父も母も出身は熊本で、小学校低学年の夏休みの頃には、ひと夏まるまる熊本のあの家で過ごしていた。


 風呂は薪で沸かす五右衛門風呂で、焚き木が燃えるのを見るのが楽しかったわたしは、よく風呂を沸かしていた。釜の底に沈めてある木の板を踏み損なうと、熱い釜に足や尻をぶつけて酷い目に遭う五右衛門風呂は、不便だけれど妙にエンターテイメント性にあふれている。


 少し離れには厩舎もあって、牛が数頭飼われている。今や直接農作業に牛を引くこともないらしく、寂れた様子のトラクターなんかが近くに停めてあった。今思えばあの牛は、どうして飼われていたんだろう。祖父とともにトラクターに乗って、あちこち走ってその振動に笑った記憶はあるのに、牛の詳細はよく覚えていない。


 そんな家が、田園風景の中に、ぽつんとある。今やフィクションの産物のような田舎で、『となりのトトロ』に出てくる風景を思い起こしてもらうのが、一番それらしいだろうか。しかしトトロどころか、となりに家もない。お隣さんは野っ原の先、目視するのが難しいようなところにぽつんと家があって、そこに住んでいる。


 住所も『あざ』が含まれるような、冗談みたいに澄み渡った空の下の、田舎。


 ある時、そんな田舎で飼われていた子猫が、家の裏手で一匹だけぽつんと、たたずんでいたことがある。その可愛らしさを見て、幼いわたしが「家の裏にねこだけだから、写真撮ろうよ」と家族を急かして、カメラを持ってこさせた。


 ところがここで気づく。田舎の我が家は裏手に阿蘇五岳あそごがくがあり、天気が良ければ緑に包まれた山並みがよく見える。阿蘇五岳あそごがくには根子岳ねこだけという山が含まれていて、当然これもよく見えるのだ。


 根子岳ねこだけをバックにしてちょこんと座る子猫を見て、「家の裏にって、どっちを撮ればいいの」と家族に笑われた。笑っている間に子猫は逃げてしまって、結局、子猫がいなくなった後の根子岳を、ただただ撮影したような気がする。


 母方の祖父と祖母の家族が住んでいたあの家だが、祖父も祖母も亡くなった。残ったのは長男にあたる伯父と、その奥さん。とはいえ二人共、ひ孫もいるぐらいの、おじいちゃんおばあちゃんだ。


 田園風景に建つこの古い家は、やがて改築されることになる。毎日大工さんが来てあちこち直す。そもそもこの家に住まう伯父は、元は大工の棟梁だ。職人の眼が光る中で改築は続く。


 伯父の奥さんは、畑仕事で曲がり切った腰でお茶を注ぎ、お菓子やおにぎりを作っては、毎日大工さんに持っていったそうだ。あの年とあの体でもって、若い大工が感心するほどに働くと噂になり、「あのおばあちゃんのために特別に」と、温水式便座と食洗機を改築ついでにサービスでつけてくれたと、聞いている。


 そんな伯父の奥さんが倒れた。


 伯父は絵に描いたような九州男児で、お茶くみすら一人では出来ず、もちろん料理どころか、米を炊くことも出来ない。


「俺は自分で米を炊くようであれば生米をかじって生きる」


 とまで言った伯父だが、その後、奥さんを亡くしてしまい、今は改築した熊本のぽつんとしたこの広い家に一人。


 お米を炊くことは出来るようになったそうだ。


 近隣の親戚が時折見に行ったり、介護士が顔を出すなりして、周囲に緑しかない一人住まいのきれいな一軒家に、老いた伯父は住んでいた。


 そして2016年4月14日、熊本県を震度7の地震が襲った。これは前震であり、わたしの故郷である伯父の家は、震度5弱の地震に揺られた。


 突然の天災に皆が振り回される中、続く4月16日には本震が訪れた。


 阿蘇五岳あそごがくがようく見える、南阿蘇村。本震ではこの地が非常に震源に近く、震度6強の地震が、わたしの思い出の田舎に起こったのである。


 地震の第一報を聞いたとき、わたしは大きな案件にケリを付けて一段落、久々に酒を飲んで休もうと思い、若干のほろ酔い。そんな時にテレビをつけたら故郷の大地震の報が舞い込み、ネットもその情報に埋め尽くされていた。わたしは目を閉じ、残った酒を一気に飲み干した記憶がある。


 心配を抱える中、そのあと数日は、熊本方面の親戚と連絡を取る方法を模索していた。そのさなかに本震が起こったわけで、果たして南阿蘇村のあの思い出の家は、伯父は、どうしているのか。他にも父方母方合わせて何人もの親戚一同が熊本にいる。皆、無事なのか。


 ようやく連絡が取れたとき、聞けた話は想定外だった。地震の影響で交通に不便があり、家にも被害が出る親戚が多い中、伯父が住む家は最も頑丈で周囲に倒壊する建物もないため、無事も無事。


 むしろこの家に、近隣の親戚が集まっているという。


 わたしの思い出の、おじいちゃんおばあちゃんが住んでいた熊本の家。それを継いだ伯父も、今や90歳近い。奥さんを亡くしてこの家に一人住む新たなおじいちゃんであり、果たしてあの震災で一人取り残されてやしないかと、思ったのだが。


 立て続く余震を危惧して、「この家のほうがよっぽど安全」と、夜は親戚が泊まって共に寝ていると聞いた。


 とは言え、震源のすぐ近くであり、いつまた大きな余震が襲ってこないとも限らない。


 なんだかんだで連れ出されて避難所で暮らすことを余儀なくされた伯父は、「やることがない」と、昼は家の近所の畑に向かい、畑をいじっては避難所に帰ってくる生活になったらしい。


 被災地となった我が家に、出勤だ。




 土地の気質なのか、それとも親族の気質なのか。何か深刻な事態が起きたときにはむしろ拍子抜けするような返し方をされることが多いのが、わたしの熊本方面の親戚一同の常である。


「一応避難してるんだから、勝手に戻って畑いじったらダメだよ」


 それまでの心配をよそに、わたしはそう言って笑った。

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