第32話 俺、先輩と二人きりになる2
「あの子と再会したのは三年ぶりだったけど、変わって無かったねぇ」
説明を始めると言った先輩は、息を吐きぽつりと呟いた。
再会という意外な言葉に、視線だけ向けて尋ねる。「学校で会う前から知り合いだったんですか」と。
「うん。てーか親戚。あたしの祖父は
先輩はそう言って笑った。「ほら名前が似てるでしょ。みのりと、るりかって。同じ三文字。うちの母親とあの子の母親は仲が良かったし、同い年だからって付けたんだよ」
淡々と話してくれているが、俺は二人は元々顔見知りだったのに驚いていて、なにも言えなかった。
そっか。ときおり見せる上級生と下級生の枠を外れた馴れ馴れしい掛け合いも、それならば納得がいく。ひとつ頷いた俺に、「そりゃ10年来の付き合いだもの」先輩は少し楽しそうな顔になって言った。
「10年前の雨宮、ですか。今があれなら、昔はいったいどんな子供だったのやら」
「……気になる?」
「いえ。それほどは。それより先輩の方が気になりますね」
「え、あ、あたし? どこどこ。どこが気になるの?」
先輩は嬉しそうに聞いてきた。
「え、いや。だって雨露木征爾は元々名家出身で、その直系ってことは先輩も結構いい出自ってことでしょう? どうやったらこんな汚部屋にできる教育を受けたんだかって」
「……あー。そー。気になるってそーゆーとこ。ふぅーん」
今度はなんだかちょっと怒っている。
うーん。今の発言のどこに
「かわいい女の子の過去とか知りたくならないふつー?」
「いえべつに……。いえ嘘です超知りたいです!」
「よろしい。ねぇねぇ。どんな子だったと思う?」
めちゃ睨まれたので慌てて意見を変える。がしかしこれは難易度高いぞ。外してもアウト、正解してもアウトになるような気がする女子特有の質問だ。
俺はしばし思案した後、「まあそうですね。意外と物静かな女の子だったんじゃないですか」と、恐らく当たりの中で一番怒られなさそうな答えを口にした。
「驚いた……。なんであたしの子供のころの性格、わかったの」
「いやなんとなく。ていうか運ですよ、運」
「なんで会ったこともないのに運だけでわかんの。キモ……」
酷い言われようだった。いや聞いておいてそれってほんとひどくない⁉
「ま、そういうとこも、あの子が気に入った要因かもね」と、先輩はソファの上で小さくなり膝を抱え、少し笑いながら昔のことを話し始めた。
先輩はもともと暗くて友達がいない人だったらしい。雨宮に追いつけるよう、並べるよう、追い越すよう努力し、今の誰にでも話せる性格に変えたという。
「今の先輩を見てるとにわかに信じがたいですけど」
「あはは。ま、あたしは変わったよ。ううん。変えた。まー掃除がちょっと苦手なのは変えられなかったけど。えへへ」
「ちょっととは――あ、はい。いえ」そんな睨まんで下さい。
「で、そんなあたしたちには共通点があった。分る?」
さすがにそんなところまでは分からない。
「それはね、雨露木征爾が残したものを保持、維持、管理すること。お、不思議そうな顔したね? なにそれって顔に出てる」
「そりゃまあいきなりそんなこと言われれば」
「ちょっと理解しがたいかもねぇ。偉大な祖父を持つ血筋に産まれちゃったあたしたちの運命ってのは」
そう言って笑った先輩は、表情とは裏腹に、全く面白くなさそうに話し始めた。
雨露木征爾。人類における技術の遺産ともう言うべきこの
彼にしてみればそれで良かったかもしれないが、残された家族にかけられたのは無言の圧力だった。
あるのは彼を越えなければならないというプレッシャー。
優秀であることを求められ、結果を出すことが一族の
「あたしが自身に課したのは、このサクライの正常化。まだ表面化しちゃいないけど、大野代議士の一派の横暴が強くなってて、放置していたらいずれよくない方向へ傾く。桜ヶ峰学園も同じ。それをどうにかしようと思ったわ。と言っても、代議士レベルをいきなり
ここ数年で学園――というより生徒会が一気に変貌したのはあの大野によるところが大きいわ。と、言って先輩は大きく息を吐いた。
大野の政治的才覚は、公平に見積もっても平均以下だ。
ただ、ある才覚だけは他の追随を許さなかった。
どう攻めれば人を強制的に動かすことができるか、という才能だ。単語に置き換えるなら脅迫という言葉が一番適切だろう。それを大野は熟知していた。
人が人らしく生きる上で一番必要のない才能。それが彼に開花してしまったのは、いったい誰にとっての不幸だろうか。
「野球部部長のように自ら蜜を吸いに近寄っているやつらもいるんだけどさ、生徒会で大野に付き従っているメンバーの八割は、なんらかの弱みを握られてるの」
「あの横暴な態度に誰も歯向かわなかったのは、そういう理由があったんですね」
「あたしはなにか探れないかって思ってハッキング
「それはそれでずいぶんですね⁉」
あとその能力は俺の脅迫にも役にたったとおもうんですが。
ま、俺の場合はきっかけだけで、半分くらいは自発的なものになったけど。
「あたしの力だけじゃ解決できそうになかった。そんなとき、久しぶりにあめみーに会ったの。この学園に入学するっていうからね。で、あたしはこれを見せた」
そう言って先輩は、背後にある段ボール箱――のさらに下に敷かれている引き出しから紙切れを取り出した。金色の
「これは祖父――雨露木征爾さんからの手紙。元々うちのパパに渡されたものらしいんだけど、宛先が孫になってたから開けられなかったんだって。半分悪戯だと思ってたのもあるみたいだけど」
「そりゃ未来の孫にって言われたらなぁ。雨露木征爾は天才ゆえの
「あたしもそう。でもあめみーが来たときに一緒に開けて見たの。孫二人だから条件は満たしてたしね」
「なにが書かれてたんです?」
「なにも書かれてなかったわ」
「……ほー」
「がっかりした?」
「そりゃまあ。でも取りあえず調べると思います」
「ふふ。あめみーと同じこと言うのね。彼女、いきなりコンロに持って行って火であぶったわ」
『雨露木征爾――大伯父は古臭い遊びが好きだったって知ってるから』
「浮かび上がった文章を読みながら、そう言ったあの子の顔が紅潮してたのを覚えてる」
「相変わらず突拍子もないこといきなりしますねあいつは……。燃えたらどうしたんだか」
「そーゆー子だから。いつだったかな。二人が大好きなおもちゃがあったんだけど壊れちゃって、直すか新しく買うか、それとも接着剤でくっつけるかくっつけないかで一日中口論したこともあったし」
状況がよく分からないがそれで一日も。てーかそんなんで一日とか先輩も先輩だと思います。血は確かに繋がってんだなぁ。
「で、結局なにが書かれてたんです」二人の子供時代がどんなものだったのか。続きが気になったが話の先を促した。
「あの倉庫の地下にあった部屋。それとそこにある箱のこと。ただ中身についてはなにも書かれてなかったわ。こんな手の込んだことをするんだから、なにも無いってことはないと思うけれど」
『この箱の中には彼が残した最高の財宝が入っている、とある筋から情報を得ているわ』
雨宮と初めて会ったあの日、彼女は俺にそう言った。
先輩の手紙が
「そしてあの子は言ったわ。みのり、これを使えば生徒会を変えられるわって」
俺は「そうですか」と相槌をうったが、心の中ではもやを払うのにいっぱいだった。
今の話だと、箱の中身についてはなにも書かれていなかったことになる。
それなのになぜ、雨宮は最高の財宝があるなどと言いきれたのだろう。
冒険に憧れていた俺を釣るためだけの嘘?
「今回のさ、生徒会を解散させるってアイデア。あめみーが考えたんだよ。生徒会を変えるのは無理。なら壊せばいいだけだって。変えるということに囚われていたあたしにはそんな発想は出てこなかった。ね、キミも思うでしょ。あの子はすごいって」
同意を求められたが、先輩が返答を期待していないことは明らかだったのでなにも言わなかった。そもそも分りきった答えだ。
雨宮るりかはすごい。
勉強ができるとか可愛いとかそういうものじゃないのだ。
言葉にできない異質な存在。暗闇に一つだけある光のようなもの。その周りに自然と集まってしまう。
雨宮と出会ってからまだ一ヶ月だが、それは肌で感じていた。
そんなすごいあいつが、ただ先輩の手伝いをしているだけ?
「頭の中では雄弁に考え付いたことを正しく喋って伝えられているのに、現実にはそうはいかない。色々なものが邪魔をして、不純物が混じった言葉としてしか吐き出されない。でもあの子は違う。純粋な想いをそのまま言葉にする。だからみんな惹かれる。ついていく。あたしにはできない……」
誰に言うわけでもない先輩の独白に、続けて、
「あたしたちの目的を話してあげるって言ったよね。雨露木征爾が残した遺産――サクライそのものの適切な保護。学園の正常化はその一歩。それがあたしたちの目的だよ。納得した?」
そう言ったので俺は頷いた。
だが棘は残っていた。喉にちくちくとささる違和感。いや先輩の言葉に嘘偽りは感じられない。感じているのは別の部分だ。
それを確かめるため口を開こうとしたが、先輩は顔に手を当て、肩を落としていたので
「今回の計画だって形にしたのはあの子。道を見つける船頭であり、切り開く開拓者であり、そして改革者。それに比べて生徒会長のあたしは……さ。キミだって、本当はそう思うでしょ」
掠れた声。感情を押し殺し吐き出したそれには、涙の水滴がぺたぺたとついているように思われた。
きっと、イケメンでデキる男ならここで優しい言葉の一つでもかけるのだろう。
だが俺はイケメンでもないしデキる男でもなかった。
なので。素直に浮かんだ言葉をそのまま口にした。
「切り開いた道は荒れてますよね。そこにある
「えっ……?」
「切り開く人間だけが偉いわけじゃないでしょう。開かれた道の舗装は誰がするんですか。船頭だけじゃ船は動かない。正しく歩ける道を創るのも、そこを歩くのも、俺は才能だと思います」
「…………」
「先輩と出会ってからそんなに時間は経ってないですけど、俺は、先輩には雨宮にないものを見つけてると思います。だから別に、先輩が選んだ道は間違ってないんじゃないですか」
先輩は形の良い眉をひそめたが、構わず続ける。
「それに。先輩の一番は、人から慕われるところです」
生徒会執務室にいた後輩らが、先輩に向けていた笑顔。
あれはこれまで頑張ってきた者に対しての信頼の証だ。
生徒会改革のアイデアを考案したのは雨宮かも知れないが、それを実行するのは阿賀山みのりであり、彼らにとってそれ以外の人間では有り得ないのである。
「でも……そーゆーのより、あたしは、もっと、あめみーみたいな」
「ありませんよ。雨宮には、人に好かれる才能ってやつは」
先輩はハッとしたように、顔を上げた。大きな瞳がさらに大きく見開かれている。
柄にもないような台詞を吐いてしまったかもしれない、と少し後悔し始めたとき、
「
先輩がなにか言いうと同時に、背後の段ボール山が崩れ、俺の頭に落ちてきた。
「いってぇ。もう少し片付けておいてくださいよ。って、今なんか言いました?」
「いいえなにも言ってません、べつに、なにも!」
そう言って彼女は、べーっと小さく舌を出した。その頬を、さっと夕日が照らしだした。
いつもより紅潮しているように見えるそれは、とてもいい、今まで一番の笑顔。
「あーもう。そういう顔されたらほとんどの男は一発っすね」
「ほんと?」
「ええ。俺みたいなザコ童貞以外なら余裕で食えると思います」
「な、なら。た、食べちゃおっかなー……」
「あ、いや待てよ。処女じゃないビッチは範囲外でした。無理ですねすみません」
「……は、はぁ⁉ だだ、誰が処女じゃないのよ! このバカ! このにぶちんあほどーてい後輩くん! アホ浩一郎!」
照れ隠しに言った無駄な一言は先輩のぐーぱんを誘発させ、俺は段ボールの山に押し飛ばされた。
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