第22話 跳動

「お、八坂おっかえりー」


 シャワーを浴びてリビングに戻ると、阿賀山先輩がコンビニのビニール袋を丁寧にたたんでいた。


「お帰りす先輩。あ、シャワー使わせてもらいました」

「うぃうぃ。あ、シャンプーは別で置いておいたけど、ちゃんと使った?」

「ええ、中にあったフローラルなやつを」

「ちょ! あれ高いから男には使わせたくなかったのに! だっからわざわざ別の置いてたのに!」

「冗談です。ちゃんと旅行用のやつ使いました。でもあんな男物のシャンプー、よく持ってましたね?」

「ん、あーあれはこのあいだパパが置いてったの」

「パパ。たしか血の繋がりよりもお金の繋がり的な感じの総称でしたっけ」

「あはははは面白いね八坂。聖女でも怒ったら人を殺すくらいしちゃうって知ってた?」


 笑ってるけど本気と書いてマジな目だった。うん。これ以上余計なことは言わないでおこう。

 適当に誤魔化しキッチンの横を通り過ぎようとすると、ベーコンを焼く香ばしいが鼻孔びこうをくすぐった。

 おやっと思いキッチンを見る。銀髪の少年が慣れた手つきで卵を割りフライパンに落としているところだった。焼けたベーコンを上に乗せ塩を振り、少量の水を入れて蓋をする。パチパチと油が爆ぜる音が、忘れかけていた食欲を刺激し始めた。


「美味そうだなおい。鹿倉。お前料理できたんだ?」

「これを料理と呼ぶかは微妙なラインだと思うが、その、まあ訓練しているからね。一通りは可能だよ」

「ほーん。そりゃ俺の出番がなくなるな」

「すまない。さっきキミが作ると言っていたが、どうにもボクの胃袋が持ちそうになかった。悪いが人数分作らせてもらった。……怒ってるか?」

「いや全然助かる。作るより消費する方が楽だからな。そこの料理できないご主人様と同じで消費する側に回らせてもらうさ」

「あら、私は別に料理が出来ないわけではないのよ。そこは勘違いして貰っては困るわ」


 謎の主張をしながら割って入ってきた雨宮と共に料理を運ぶ。


「ほーう? 勘違いというと」

「私が料理するときだけ素材の味が壊滅的なレベルに落ちる。謎だわ」

「世間一般ではできないと言う」

「……見解の不一致ね。ふんっ」


 リビングにある小さな丸いテーブルに、目玉焼きとキャベツのスープ、それに小麦色に焼けたトーストが置かれていく。ささやかな、しかし空腹時には贅沢ともいえる朝食に感謝しつつ、しばし無言でむさぼりつく。スープで流し込み一息つくと、やっと日常が戻ってきたような気がした。

 熱い紅茶に口をつけたあたりで、先輩はテレビをつけた。


「とにかく全員無事で良かった良かった」


 画面に映る丸顔のレポーターが話しているのは、昨日島で起きた原因不明の地震についてで、要約すれば島で起きるはずのない地震は人工的なものであり島地下からの大規模な振動がその原因ではないか――といった内容だった。


「こんな騒ぎがあったからさ、こっちはこっちで心配してたんだよ」

「無事に戻ってこれたのは正直奇跡みたいなもんですね」

「あらあらそうなの。その奇跡を生んだのは誰しらん?」

「誰でもないし。運ですよ、運」

「ならその運を運んだのは?」

「さあ?」

「ま、いいや。それで奇跡の釣果ちょうかはどうだったの?」


 俺はまだ湿っているズボンのポケットから、親指程のバッジを取り出し、テーブルの上に置いた。


「これが生徒会長バッジ、かぁ」


 先輩は指でつまむみ感慨深そうに呟くと、


「じゃ、なにがあったか聞かせてよ。あたしだけ仲間はずれにはしないよねぇ?」


 ニヤリと笑い俺たちを見回した。

 楽しんでるなこの人、と思いつつ、俺は先輩に昨日(正確には今日)起きた出来事を語った。


 巨大地下空洞デッドスペースで生徒会長バッジを見つけたこと。

 プロのトレジャーハンターに襲われたこと。

 『排出口が近くにあるという可能性』と『そこから脱出できる可能性』という二つの低い可能に賭け、二人を抱え砂鉄が降り注ぐ湖の中を泳いだこと等々などなど


「途中でバッジを落とす可能性は、正直ゴールするより数倍高かったです。こうして目の前にあるのはほんとラッキーの塊としか言いようがない」


 話し終えた俺は一息つき紅茶を口に運ぶ。もう随分ずいぶん温くなっていた。


「はーそんなことがあったのかぁ。ニュースでやってる地震ってその湖が原因じゃん」

「もしかしてバレたらやばいですかね……?」

「公式発表じゃ死者負傷者はゼロだけど、電車の運行遅延やらで影響はあったみたいだし、知られたら億単位の請求されるかもね。あはは」


 ……うーん笑えない。

 ここで全力で謝るので未成年の特権ちょっとくらいということで許して下さい島民の皆さますみません。


「でも悪いことばかりじゃないんじゃない? さすがにあの巨大地下空洞デッドスペースを放置してた管理上層部も、これを機に監視の目を強めるでしょー。それであめみーたちを追いかけてたトレジャーハンターさんたちもしばらく大人しくなるんじゃないかな」

「うーん。そりゃ望み薄ですね。あいつら俺たちのことをある程度みたいだし」

「どういう意味? 八坂」


 尋ねてきたのは先輩ではなく、ソファで寝てしまった鹿倉にタオルをかけていた雨宮だった。


「梟ってリーダー格が、俺のことをって呼んだんだ」

「……? それがどうかしたの」

「俺たちは確かに若いけど、だからって学生とは限らないだろ? もしかしたらこの春卒業した社会人かもしれないじゃないか。なのに学生と断定したのは――」

「私たちの存在自体を前もって知っていたから、だと?」

「ご明察」

「でもそれだけで確定するのは尚早じゃないかしら」

「ああ。でも決定的な理由がもう一つあってな。雨宮、相手は四人いただろ? そのうちの一人……身体が細かった男を覚えてるか?」

「ええ。いたわね。顔までは覚えていないけれど」

「あいつだけ明らかに場馴れしていなかった。で、そいつをぶんなげたときに、襟元に見慣れたものをつけてたのに気付いたんだ。なんだと思う?」

「ねぇ八坂」

「おう」

「私もかなめと同じで眠いの。もったいぶらずに言いなさい。それとも永眠してみる?」

「真顔でさらりと怖いこと言うな。つか相手が分れば眠気なんぞ吹き飛んですぐにに行きたくなるさ」

「…………?」

「あいつの襟首にあったのはな、生徒会バッジだ。あのルーキーはトレジャーハンターじゃなく、生徒会メンバーだったのさ」

「生徒会メンバーって……あっ!」


 雨宮と阿賀山先輩が同時に息を飲んだ。

 二人とも頭の回転は速い。その意味をすぐに察したのだろう。

 ピクニックに出かけた生徒会メンバーが偶然プロのトレジャーハンターとご一緒していた……なんて言うつもりはない。

 つまり、トレジャーハンターを雇ったのは。


「生徒会ね。だから私たちのことも学生だと知っていた」

「そーゆーこった。正体がバレてーらならこれから先、あいつらが黙ってるとは思えん。俺たちが無事戻っているのは月曜日に登校すれば奴らにも知られるだろうな」

「……でも私たちが生徒会長バッジを探してあそこに行くなんて、彼ら生徒会はどこで知ったのかしら。そもそもあるのが分っていたら自分達で探しに行けばいいだけなのに。ね、そう思わない?」


 どきりとした。

 指摘にではなく、彼女の仕草に。

 濡れた髪をサイドアップにした雨宮は普段よりも幼く見えるのに、細い指を顎に当て思案にふける彼女は妙に大人びていて、ギャップが不思議な魅力を引き出していたからだ。

 ……素材が良ければなにをしても可愛いってずるくなーい?


「まあまあ、あめみー。それは後で考えればいいじゃん? 鍵は手に入ったんだしさ。箱を開けて雨露木メモを先に手に入れちゃえばこっちのもんじゃん?」

「それは、まあそうね」

「簡単に言うわね」

「難しく言っても同じでしょ? ほら、寝るのはあとあと。さっさと地下室に行っちゃお」


 阿賀山先輩は俺たちの不安を吹き払うようけらけらと笑いつつ、食器を片付け始めた。

 ま、確かに先手をとってしまえばこちらのものだ。

 雨露木メモを手に入れられるという欲求は、睡眠を欲しがる俺たちの身体をソファから立ち上がらせるのに十分だった。


 携帯を置いてきてしまったのに気が付いたのは、エントランスを出てすぐである。


「先輩すいません、すぐとってきます。……あ、でもどこ置いたっけな」


 そこまで考えて、最後に触ったのは自分でないことに思い至る。

 雨宮が先輩たちを呼ぶために使ってそれっきりだ。


「たしかテレビの上に置いたと思ったけど」

「了解。先輩鍵貸してもらえますか」

「はいはいよー。あとで倉庫に合流ね。ほい、あめみー鍵」

「ってなんで雨宮に鍵を?」

「乙女の部屋で童貞を自由に歩き回らせるほど、あたしは不用心じゃないよぅ?」


 普通に真顔で言われた。

 俺は部屋漁りをするような童貞へんたいに見られていたのか。積極的に痛めつけてくスタイルはいつものことだけどちょっとショック……。


「ちょ、なんて酷い顔だ⁉ 冗談、冗談だから!」

「みのり。私の道具をからかうのはそれくらいにして」

「ごめごめ。ってあれ、ちょっと怒ってる?」

「……怒ってないわ。どうせ戻るなら私も行こうと思ってたし。みのりたちは先に行ってて」

「あいあい」


 にやにや笑った阿賀山先輩は「二人きりだからってあめみーに手を出しちゃだめよ? やっさかー」と、ひらひらと手を振りながら遠ざかって行った。


「ほら八坂、さっさと行くわよ」

「あいあい」


 エレベーターで十数階駆け上がり先輩の部屋へ。

 雨宮が言っていた通り、携帯はテレビの上にあった。ポケットにしまいリビングの扉を開けたところで、「あいたっ!」足をつまづいた。


「ちょっとなにやってるの。大丈夫?」

「ああ」


 普段ならこんなミスは犯さないのだが、もう少しで雨露木メモに対面できる――夢への第一歩になる――そんなはやる気持ちがあったからかもしれない。

 焦りは禁物だ。


「そういえばさ、そろそろ教えてくれよ。生徒会長バッジが手に入ったんだからさ」

「?」

「ほら、言ってただろ。「バッジを手に入れたら教えてあげる」ってさ」


 あの巨大地下空洞デッドスペースで、雨宮が言った言葉。

――――「お前こそ、なんで雨露木メモを探してんだ?」

――――「大伯父からの手紙があったからだって言ったじゃない」

――――「そうじゃなくて。革命を起こすって言ってたじゃないか。雨露木征爾からの手紙はただのきっかけなんだろ? 本当はなにがしたいんだ」


 雨宮るりかが雨露木メモを求める理由。

 そこに深い意図があったわけじゃない。

 自分の気を落ち着かせるため、ただなんとなく聞いただけだ。


「そうね。いいわ。みのりにも言ってないけど特別に教えてあげる」


 しかし、俺は、


「私の目的はね」


 彼女の口から発せられた言葉を、

 その意図を、


「革命を起こして――――この島を消しとばすことよ」


 このとき初めて知ったのだった。

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