第21話 日々日常

 トレジャーハンターという職業を知ったのは、小学生に上がった日の夜、たまたま放映されていた古い冒険家シリーズの映画を見たときだった。


 中学生のとき、大学で教鞭を振るっていた父親が「現代経済と雨露木征爾」という題目で書いた論文をたまたま読んだことがあった。

 たまたま運動神経が人並み以上で、身体を鍛えるのが好きだった。

 たまたま母親がトレジャーハンターとしての実績を上げていた。


 いくつもの意図しない

 どれかが欠けていたら、俺がトレジャーハンターを目指すことはなかったかもしれない。

 興味を持つこともなかっただろうから、人生の舵はまったくどこに振れるか分からないものである。


 高校生となり雨宮るりかと出会った。

 人生で初めての冒険に巻き込まれることになった。

 テレビやネットで紹介されている話なんてのは華やかな面だけだとは分っていたが、自分が危険な目に合うまではどこか夢物語のように思っていた。


 自らの命すら賭けの対象にする職業。その狂気を垣間見てなお、俺はサラリーマンになる道を選ぶ気にはならなかった。

 なぜならば――――


「最初から狂っていたからです」


 涼やかな声が、肩越しに聞こえた。ボールペンを持った手を止め、振り返る。


「……人の日記の先を勝手に付け加えて読み上げるのはやめような? 雨宮さん」

「あら。間違ってた? おかしいわね。大体合ってると思ったのだけど」

「……遺憾いかんの意を表したいところだが間違ってない」

「良かった。一応狂ってるっていう自覚はあったのね」

「狂ってるのが正常というのもどうかと思うが」

「いいじゃない。それでこそ私の道具よ。それが正常動作」

「いやな道具だな⁉」

「あ、かなめがシャワー使ってるから次に入っていいわよ。タオルで拭いただけじゃ海水がべたつくでしょう。シャンプーは特別に使用許可を上げるわ」


 ここお前の部屋じゃなくて阿賀山先輩の部屋なんだけど。なぜにお前の許可制なの?

 と言いかけたとき、大き目のTシャツに隠れた形の良いお尻が視界に入った。

 シャンプーの香りに混じる女の子特有の淡い芳香。慌ててノートへ視線を戻した。

 それを知ってか知らずか、彼女はくすりと微笑み、濡れた黒髪をバスタオルで拭きながら、奥にある部屋へ消えていった。


 窓のブラインドから燦々さんさんと朝日が漏れている。

 既に日付は丸一周し、日曜日の朝だ。

 とりあえず阿賀山先輩の部屋にお邪魔し、ひと時の休憩をとっている。


 言わずもがな、俺たちは無事に帰ってきていた。

 ただ、どこをどう通ってあの巨大地下空洞から出たかは、あまり覚えていない。

 かすかに覚えているのは、海中で聞いた、震えるか細い声。

 「ごめん」なんていう彼女に似つかわしくない許しを乞うた言葉。

 あの水の中で声なんか伝わるわけないのだが、俺の身体は微細な振動を通して雨宮るりかの声を受け取っていた。

 それが記憶の最後だ。

 気が付ついたときには沿岸の一番低いスロープに寝かされていて、雨宮が俺の防水加工された携帯で、阿賀山先輩を呼び出していた。

 雨宮の目がほんの少し赤く腫れていた気がするが、視界は薄らぼやけていたし、もしかしたら見間違いかもしれない。


 ともあれ、俺たちはやってきた阿賀山先輩に連れられ、彼女の賃貸マンションに転がり込んだところである。


「しかしさすがに腹減ったな……もう10時間食べていないし」

「それには同意するわ。なにか食べる物作れない?」


 奥の部屋から出てきた雨宮がひょいと顔を出し、キッチンに立つ。

 雨宮さん、お前がいるのは、まさにその食べる物を作る場所なのだが。作れないと聞くのはこれ如何に。


「あらいいの? 私が作っても? 自慢ではないけれど、私の料理はこれまでに二人を病院送りにしているわよ」

「いや本当に自慢にならないぞそれは。……すみません俺が作ります。って勝手に使っていいもんなのかな」


 キッチンは洗った食器がきちんと整頓されている。使いかけの洗剤は半分くらいに減っていて、ここの持ち主がインテリアの一部でないことを証明していた。並べられた包丁や軽量器具が少し手前に置かれているのは、阿賀山先輩の身長が低いからだろう。


「みのりはこの部屋のは好きに使っていいって言っていたし、いいんじゃないかしら。食材も足らないだろうからってさっき買い出しに行ったし」

「そっか。じゃあ作るのはシャワー浴びたらでいいか? 身体がべたべたして気持ち悪いし」

「ええ。あ、バスルームは廊下の左よ」


 ふらつく足を何とか動かし、寝ていたソファから立ち上がる。廊下を歩き扉の前に立つと先程のシャンプーの匂いが流れてきた。

 ここか。扉を開けようと取っ手に手をかけてから、ふと自虐の笑いを浮かべる。

 おっと俺はノックを忘れないぜ? 俺はラッキースケベでとらぶるを起こすキャラじゃない。つうか男の裸を見ても嬉しくないけど。

 そんなことを考えながら、コンコンと扉をノックした。


「ルカか?」

「いや俺だ」

「…………キミか。ボクに用だろうか?」

「用つうか俺もシャワー浴びたいんだが、今入っても大丈夫か?」

「! ダメだ! 許されない! 入れば最後、特別条約第八条二一項違反によりボクは君を抹殺するまで一生追い続けなければならなくなるがそれはボクの本意ではない」


 妙に慌てた早口が扉をみしっと震わせた。

 んーなんて? 中二病真っ盛りの設定が出てきた気がするけどまあ要約するとNGということだろう。


「じゃ、入るのが許される状況になったらノックを返してくれ」


 壁にもたれ待つことにする。

 しかし結局こいつも良く分からん奴だよな。年齢相応の設定が好きなのはともかく、巨大地下空洞でのあいつの動きは、訓練でも受けたかのような敏捷びんしょう性だったし。

 雨宮と契約(一体なんの契約か)したって話だけなら笑い話で済んだろうが、あの動きを見せられると、本当に護衛エージェントかもしれないと思ってしまう。

 ま、何者か知らんが少なくとも今は味方だ。

 知りたければ阿賀山先輩が戻ってきてから改めて聞けばいいし、とりあえず今は風呂に入って、飯を食って、それから――


「お待たせした」


 そんな事を考えていたら、ノックもなく扉が開き、鹿倉要が姿を見せた。

 上はティーシャツに野暮ったいジャケット、下はジーパンという無骨な格好だが、上気した顔と濡れた銀髪にタオルを当てる恰好はハッとする程色っぽい。つか外見だけならどう見ても女だ。この細い腕でよくアイツらと渡り合えたなおい。


「ん、ボクの腕に何かついてる?」

「いや。シャワーの後で飯作るから、あっちで適当に雨宮と寝てていいぞ」

「そうか。ならそうさせてもらうよ」


 鹿倉の顔を眺めながら、俺は扉を閉めた。

 うーん。女子(と男娘)が使った浴場か。なんだか漂う湯気すら高貴なものに感じるな! 妙にいい匂いするし。

 いや待てよ。俺も一緒のシャンプーを使うわけだから、もしかして同じようなふわふわした女の子の香りになっちゃうんだろうか。おお、何かちょっと楽しみだぞ。

 が、シャツを脱ごうと手をかけたとき、洗面所に「男性用・八坂はこれを使うこと」と書かれた旅行用の小さなシャンプーが置かれているのが目に入った。


 あ、ですよね。

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