第20話 トラップ・フラップ

 ふくろうの放った一撃を避ける。雨宮の声――それと少しの運――があったからだが、攻撃者は避けられるとは思っていなかったようで、ちぃっという苛立った声を漏らした。


「抵抗はそこまでにしてもらうぞ」


 体勢を立て直した彼は見るからに大きな拳銃を俺たちに向けていた。


「そんな危ないもん向けんなよ。学校で習わなかったのか?」

「その余裕。この銃が偽物だと考えて出てきたものなら改めるべきだ。もっとも……お前に改めるがあればの話だが」


 ガリッという撃鉄げきてつを引く音に合わせ、俺は嘲笑ちょうしょうした。


「……なにがおかしい?。この距離で外すとでも思ってるのか?」

「いや。後ろの壁に埋まってるバッジに、貫通した弾が当たったらどうすんのかな、って」


 一瞬。モノクルの奥の瞳が移動した。

 いくら狭い空間といっても、拳銃の弾が身体を貫通すれば威力は削がれる。それくらいのことはプロである彼等であれば常識だろうが、それでも一瞬意識が俺から外すことができた。

 時間にすれば0.1秒にも満たない――――しかし確実な隙。


「でやああああああ!」


 俺は普段決して口にしないような雄叫びをあげ、身体をふくろうにぶつけた。圧倒的な体格差があるとはいえ全体重をかけた一撃に、さすがのふくろうもよろけ体勢を崩す。

 銃を手にした右手を右足で蹴る。勢いのまま身体を回転させがら空きになった顔面に左足をぶち込む。

 ぐにゃりとした柔らかい感触がかかとを捉える。

 骨の感触ではない。顔面を狙った足は、ふくろうの左手に受け止められていた。

 くそ。不意打ち失敗。一歩退いて体勢を整える。


「ここ数年オレの顔面に蹴りを喰らわせようなんてヤツはいなかったな。学生にしちゃ中々だ」

「……そりゃどうも」

「反骨精神だけは褒めてやるが退路は無い。オレに勝てると思い込むほど頭の回転が遅いわけでもなかろうが、それでも続きをするか?」

「悪いけど、生徒会バッジは俺の夢に必要なんでね」

「命と引き換えにするほどのものか」

「ここで引くようなら、夢なんてさっさと諦めた方がいい。それに」

「それに?」

「ここで手に入れておかないと、聞き損ねたの目的も聞けなくなるしな」


 背後で誰かがハッと息を飲みこんだのが聞こえた。が、差し当たり関係ない。

 さて。銃は数メートル先にある。初手の行動成果としては十分。

 飛び道具で一方的に負けるという不安要素を排除できただけでも僥倖ぎょうこうてなもんだ。

 ああちなみにこの先乗り越えなければならない不安要素はというと、


1.純戦闘能力的に10倍はあるだろう梟を何らかの手段で無効化する

2.イギー・レノと戦っている鹿倉の救出、もしくは加勢

3.この部屋に仕掛けられているだろうトラップを排除しバッジを手に入れる

4.上記の要素を取り除き、雨宮を連れて無事に帰る


 ……ナンヤーエムブレムのハードモードの縛りプレイかなにかか、これ? クリア条件きつすぎィ。

 けど自然と口角が上がる。

 理由は明白。こういう非日常困難こそ、俺が望んでいた冒険だからだ。


「ふぅ!」短い掛け声と同時にふくろうが床を蹴った。

 棍棒のような太い右腕――分厚いジャケットの上からでもはっきりと筋肉の隆起が分る――から放たれる右フック。

 視界が揺れたと思った瞬間、身体ごと横へ吹き飛ばされた。


 左上腕に右掌を重ね、更に逆へ重心を移動させることで衝撃を吸収していて派手に吹き飛ばされたように見えるがダメージは余り無い……予定だったんだけどくっそいてえ⁉ ハンマーか何かかよ⁉


「ちょっと八坂大丈夫⁉」

「大丈夫だ。安心しろ。お前の道具はこういうのを何とかするために、ここにいるんだ」


 雨宮の悲痛な声にちょっとやせ我慢しながら答えてやる。

 その後に続くふくろうの攻撃も、かわし、受け止め、反撃する――まあ最後の行動は像に注射針を刺した程度の効果しかないが、しないよりはマシだ。

 徐々に苛烈さを増していく梟の攻撃。しかし直撃して致命傷を受けるまでにはまだ幾ばくかの余裕がある。お茶を濁せているうちに打開策を思いつかなければならない。

 どうする? どうすればこのシチュエーションを乗り切れる?


「意外と粘りやがる。イギーとレノはまだ上でやってるのか」


 梟は俺を見据えたまま舌打ちした。

 ……そうだ。奴の仲間はまだここへ来ていない。

 つまり鹿倉が足止めをしているということだ。条件2はひとまず置いておこう。

 現段階で梟は俺に集中させているから条件1も一旦後回し。条件1を満たし条件3をクリアするには――


 対峙しつつ頭をフル回転させていく。梟の背後、壁に埋まった生徒会長バッジがキラリと光った。


 これだ!

 俺の脳裏に青写真が閃くのと、実行――正面から飛び込み梟に向けて拳を放つ――はほぼセイム。

 構え受け止めようとした梟に、俺は握っておいた砂鉄を投げつけた。「――⁉」予想外の行動に梟は腕で顔を隠す。


 一瞬の隙。

 俺は脇をすり抜け梟の背後の壁にあった生徒会長バッジに手を伸ばした。

 だが。あと数センチで届くというところで、襟首を引かれ逆壁へと投げ飛ばされてしまう。背中をしたたかにうち一瞬呼吸が詰まる。


「ちっ! のくせに油断も隙も無いやつだ。まあ狙いは良かった。だがあの程度の奇襲でオレの脇を通り抜けられるとでも思っていたか。甘い」


 トレジャーハンターの男はモノクルを指先で直し、倒れた俺を一瞥いちべつしてから、壁に埋め込まれていたバッジを摘まみとった。

 それを見て俺はにやりと笑う。


「なにがおかしい」

「そりゃ狙いがうまくいけば笑いも込み上げる。俺の狙いはあんたにそれを取らせることだったからな」

「……なに?」

「あんたらがどこで情報を得てここを突き止めたかは知らないけど、そのバッジはなんだぜ。なにが起きるのか分かって取ったんだろうな?」


 モノクルの奥の目がいぶかしげに細められたのと、壁が崩れたのは同時だった。


「雨宮! 梯子はしごにつかまれ!」

「え?」

「貴様

  っ――」


 梟の言葉は最後まで聞き取れなかった。

 壁の向こうから流れ込んだ、大量の砂鉄に飲み込まれたからだった。

 一気に腰まで持っていかれ、バランスを崩した梟の手からバッジがこぼれ落ちる。


「悪いがこれは返してもらうぜ!」


 空中でキャッチする梯子へ向かって走る。


「ぷはぁ! このガキが――――かはっ!」


 身体を起こそうとした梟は、第二波によってバランスを崩す。既に砂は地下室の半分ほどを埋め尽くしている。

 流れくる砂に乗るようにして梯子付近へ走る。呆然としていた雨宮に近づきその身体を持ち上げた。


「ちょ、八坂! 何よこれ!」

「生徒会長が持ち帰れなかった理由トラップだ。ま、俺もなにが起きるかなんて分からなかったけどな」


 そう、生徒会長には持ち帰れなかったがあったはずなのだ。

 一体それが何なのか。調べる時間はなかったがのだけは明白だった。

 こんなトラップだったとは全く予想もつかなかったわけだが、少なくとも何かが起きることに賭け、そして今日何度目になるか分からない運は、しっかりと味方してくれたのだった。


「ほとんど無計画に近い計画じゃない……!」

「ああ。最初からどう考えても無理無理プロジェクトだ。だから確率に賭けただけさ。ま、鉛筆を転がすより期待値は高かったがなってうおぁ⁉」


 軽口を叩いた瞬間、第三派が地下室を振動させた。

 大きな衝撃によって残りの壁と天井が崩れ去り、更なる大量の砂が流れ込み始める。巨大な濁流はもう外まで流れ始めていた。

 まるで大きな波。その上に鹿倉とレノと呼ばれていた男がいた。二人とも立っているのも困難なようで、互いに戦いの手を止めバランスを取るのに必死だ。


「梟さん⁉ こりゃ一体⁉」

「レノ! キーロープを出せ! 鉄柱に引っかけてオレたちを上から引っ張り上げろ!」

「あのガキは⁉」

「後回しだ! 早くしろ! お前らも流されるぞ!」


 レノがハッとして振り向いた先にあったのは、高さ二メートルはあろうかという砂流さりゅう

 慌てて腰に巻いていたロープを数メートル上にある鉄柱に引っかける。なにかく動力でもついていたのか、するりと二人の身体を鉄柱の上へと持ち上げていった。


「お前はあそこで寝てるイギーを叩き起こして上へ引きあげろ! 俺は随伴ずいはん殿を確保する!」


 引き上げられた梟はレノに指令を出しつつ、自らの腰にロープを巻き付けると、砂粒に飛び降り、その近くに倒れていた男を引き上げた。

 四人が上の鉄柱の上へ乗るまでに要した時間は二分もないだろう。


「連携すげえ……。プロのトレジャーハンターは伊達じゃないってことか。って感心してる場合じゃないな」


 危機は俺たちにも等しく迫っている。

 浮かんでいる浮き輪を大きな波が流すかのように、砂流は俺と抱き抱えた雨宮の身体を持ち上げた。波は中央の湖へと流れ込み始めている。ろくに機能も分かっちゃいない謎の湖へ。

 もしかしなくてもこれは非常にまずい……。まずいぞ。


「ヤサカ、ルカ。無事だったか」


 数メートル先に相変わらず無表情の鹿倉要の顔があった。その顔にある真新しい切傷は、恐らくレノとの戦いでつけられたものだろう。


「まあな。最終的に無事と言えるかは知らんが」

「そうだね。この状況はレベルファイブの危機と言ってもいいよ」

「そりゃ悲惨だ。で、あの湖に引きずり落とされる前に脱出したいんだが、スーパーエージェントにいいアイデアはないか?」

「ない。それに考えるのは契約に入っていない」

「おう。聞いた俺がアホだったぜ」

「……仮に考えるとしても、そういうのはヤサカの方が得意だと思う。これまでの君の行動を見ていれば君にそういう能力が携わっているのを認めざるを得ない。付け加えると何かを考えてもボクに実行する体力は残ってない。済まないが先ほどの戦闘ですべて使い果たしてしまった」


 確かに鹿倉の表情はお世辞にも生気に満ち溢れているとは言い難い。「悪いけどしばらく動けそうにない。だから……あとは任せた」その言葉を最後に彼は瞳を閉じた。

 そういえば壊滅的なほど体力ないんだっけこいつ。まあそもそもあの二人とやり合ってたんだから仕方ないけど。


「ねぇ八坂。私たちも早くこの流砂から出ないと」

「そうしたいのはやまやまだが正直無理だな。もうがっつり腰まで砂が浸かってて抜けるのすら厳しい」

「ってそんな。あなたトレジャーハンター志望なんでしょう? あいつらが使ったような道具はないの?」

「ある。もちろん用意してきたぞ。アイツらが持ってるのよりは安いが、似たような道具グッズが上着に入れてある」

「上着? あなた上着なんて着てないじゃない」

「そりゃ途中でお前に渡したからな。んでもって、そいつはお前がさっきのどさくさで無くしちまった」


 砂に埋もれている上半身、雨宮の白い肩が見え隠れしている。砂の下で彼女を抱き抱える腕に、ほのかな震えと体温が伝わって来た。


「私の責任、ね……。ごめんなさい」

「おいおい。そんな殊勝しゅしょうな言葉も知ってたのか。お前の口から初めて聞くが実に新鮮だぞ」

「……ばか。茶化さないでよ。こんなときに」

「こんなときだからこそだ。俺はまだ雨露木メモをこの目で拝んでないし例の箱を開けてもいない。ここで「悪かったな」なんて謝って人生を終わらせるつもりは全くない。俺まだなにも成し遂げちゃいない。この世にはまだまだ未知はじめてがたくさん残ってるんだ」

「未知の初めてを解き明かすまえに童貞はじめてを捨てたらどうかしら」

「うん。それが一番難易度高い」


 皮肉に笑って返すと、雨宮もふふっと小さく笑った。どうやらほんの少しだけ調子を取り戻したようだ。


 しかしそんな話をしている間にも、俺たちの身体はどんどん流されていく。気が付けば湖はもう10メートルほどに迫ってきていた。

 流砂に流される中、苦労してポケットに入れていたロープを取り出し、雨宮と鹿倉の腕を結び、俺へ引き寄せる。動きにくくなるがこれではぐれることはないだろう。


「命はハンターにとって最大の宝だ。バッジはあとで死体ごと掘り起こしてやるさ」


 上からふくろうの声が響く。ほぼ同時に、俺たちの身体は、大量の砂と共に湖へと飲み込まれた。

 光りなど無いまっくらな湖。さらさらと水中に降り注ぐ大量の砂鉄が身体に触れる感触。

 ここはサクライの最下層よりもさらに下。海抜50メートル以上。

 だが直接海に繋がっていると思えない。物理的なものである以上、どこからか海水を引っ張っているはずで、必ず排水するための場所があるはず。そこからなら抜けられるはずだ。

 はずはずはず……全て予想と可能性。

 どれだけ思考しても確証はどこにもない。

 微かな望みをかけた逃避行。

 最終的に辿り着くのは可能性という名の、いつもの


「だから俺がやるしかないんだよな」


 微かな光を手繰り寄せるために、俺は力強く水中の海水をかき分けた。

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