第17話 二人の砂
鉄の棒を砂鉄の浜に突き立てる。ざくっという砂を
「地味な作業ね……。この下に埋まっているとしても、こんなやり方で見つかるほど浅い場所にあるのかしら」
「砂は中央の湖に少しずつ流れてるからな。九年経って大分層は薄くなっているはずだから、そんなに深くはないはずだ。というか深くないことを祈ってる」
「御大層な推理の割に意外とガバガバ……」
「ま、探検とか冒険なんてそんなもんだっつの。どんな高名な考古学者だろうが名探偵だろうが推理の九十五%は当てずっぽうで、決め手はいつだって残りの五%なのさ」
「残り五%は?」
「どこからともなくやってくる運」
「……確かに運だけは良さそうだものね、あなた」
ってナニソノゴミを見るような眼? いや割と大真面目に言ったんだけど。
「でも救助されたのなら、詳しい場所とか現場の情報がもっと広まっていてもおかしくないと思うのだけど、そういう情報はこれまで一切ないのね」
「大方買収でもしたんだろうさ。金と権力はある生徒会だし」
軽口を叩く間も作業は続けている。雨宮も俺と同じく作業を再開していたが、ちらとみるとその足取りは重く見えた。
嫌々、というわけではなく、単純に体力が無さすぎて動きが鈍くなっているだけだろう。ま、単純作業過ぎて面白くないからかもしれないけど。
ちなみに俺はめちゃくちゃ楽しい。
「八坂は、どうして雨露木メモを探そうとしてたの」
唐突に。
こちらを見ることすらなく雨宮が言葉を向けてきた。
そりゃお前に脅されたからだろ、と軽口を返そうとし、口をつぐむ。
彼女の声はいつになく真剣で。細い手が持つ棒きれは、言葉の重さを吸ったかのように動きを止めていたからだった。
「金さ」
あまり人に話したことのない理由をストレートに答える。
雨宮の――意外性の微粒子が散りばめられた――視線が、こちらへ向いたのが分った。
「
「ええ。
「夢と現実は別さ」
鉄の棒をこれまでより強く砂に食わせる。地面からジャッという砂鉄が擦りあう音が立った。
「俺が冒険ってやつに憧れたのは、まあ映画や小説の影響ってのもあるけど、一番は母親の存在だ」
良家のお嬢様出身だった母は、小柄でいわゆる日本美人で、ころころ良く笑う清楚なお嬢様だった――らしい。
推測系なのは、俺が物心ついたとき既に彼女は母親ではなく一人の冒険家になっていて、母親らしい(あるいはお嬢様らしい)ことをしている姿を俺は見たことがないからである。
家族をほっぽり出して世界中を飛び回るような人だ。
三十代になっても衰えることはない清楚な見た目というのはともかく、あの勝ち気な性格を見せられて「うちの母は良家のお嬢様なんです」などとはとてもとても。
そもそも、平凡な学術家だった父と大恋愛の末結婚した時点では、超有能な専業主婦母でしかなかった。
その彼女がなぜ冒険家になったか?
これは実に極めて単純明快。父の憧れであった冒険家について話を聞くうち興味を持った、からである。
結婚生活三年目にして、自ら冒険家になると言いだ家を飛び出していった。
「あの人は言いだしたら、止めても聞きやしないからね」
そう言った父親の笑顔は、今でも忘れられない。
よく理解できないが、二人の間には強い繋がりがあったのだろう。
数年に一度家に帰ってくる母親は、俺と姉に、彼女が見て触れて体験してきた様々な
――密林の奥にある謎の神殿と、それを密かに守ってきた人々の話
――人工的に作られた海底洞窟、そのさらに地下に眠る秘密の遺跡
――広大な砂漠に眠る未発見の文明の遺産
それらを話す母さんは、誰よりも活き活きとしてして、話を聞かせるだけで聞く者に力を与えてくれるような、そんな生命力に満ち溢れたオーラを纏っていた。
どこまでが本当で、どこまでがホラなのか。
そんなものは関係なかった。ただただ、話を聞くのが好きだった。
でも。いつしか純粋に楽しみにすることができなくなっていることに気が付いた。
自分が大人に近づいたからとかじゃない。
「物足りなくなったんだよ、俺は。同じ景色を、同じ視線で見てみたい。世界を、まだ見たことがないモノを、写真や映像じゃないく、自分のこの瞳に写し込みたい――ってな」
鉄の棒をひゅっと真っ暗で無機質な空へ向ける。
ところどころに光っているのは星ではなく通気口だろう。
舞い上がった砂鉄が
「こんな景色は普通に生きてたんじゃ見られない。けど夢を追うには金が要る。資金を手っ取り早く得られる雨露木メモは、俺みたいな駆け出しのガキにとっちゃまさに夢への切符ってわけだ」
部活動に金が必要なように、冒険するにも金が要る。だから生徒会の奴らが部活のために金を集めてるってのも、まあ納得がいかないわけじゃないんだよな。
と、ここまで喋って、雨宮に視線を向ける。
結構真面目に喋ってやったのに、反応の一つもなしかという非難を籠めて。
「……そのお母さまに援助して貰ったら?」
父が亡くなった三年前から、母との連絡は途絶えている。遺品の中に手紙のやり取りはあったから、二人が疎遠になったわけではなかったはずだが、葬式の日にも戻ってこなかった。
「ま、仮に会えたとしても金を貸してくれなんて言わんけどな」
「どうして?」
「楽をして同じ景色を見たいのなら最初からそうしてる。けどあの人だって一から始めたんだ。実家からはとっくに勘当されていて、いったいどうやって資金繰りをしたのかはさっぱりわからないけど、少なくとも親父や誰かの力を頼ったわけじゃない。一人の力で成し遂げて夢を追ってる。そうして瞳に夢を宿してる」
そこまで言って、雨宮がこちらを見ているのに気が付いた。
その瞳はどこまでも澄んでいて、いつのもように馬鹿にするでもなく茶化すでもなく、ただただじっと。
「立派ね。誰かの遺産を宛てにしている人とは大違い」
やがて視線を逸らし、誰に言うでもなく彼女はそう呟いた。
俺は。
たぶん普段なら気にも留めなかったし、聞こえていたとしても反応することはなかっただろう。
「そりゃ悪いことなのか?」
「え?」
けれどそうしなかった。なぜだかは分からない。
雨宮の中にある黒い感情を、初めて見てしまったからかもしれなかった。
「別にいいだろ。俺は誰にも頼らない道を選んだけど、それが必ずしも正しいってわけじゃない。俺は俺、誰かは誰か。お前はお前。誰かを真似する必要ないし比べる必要もない。俺は俺の信念があって今ここにいる。それとも他に理由がいるのか?」
鉄の棒を地面に突き立てる。ざくっといういつもの音。
柄でもないことを言ってしまったか、という後悔が若干渦巻き始めたころ、
「そうね。理由なんてたいしたものじゃないかもしれない」
ざくっという軽快な音が、少ししんみりとした短い返事と共に返ってきた。
「あなたの存在と同じくらい」
「おいおい。もしかしてそりゃ俺の存在が大して意味のないものだって遠回しに言ってる?」
「あら。遠回しには言ってないわよ」
軽い声は、もういつもの雨宮さんだった。
こっちの方が合ってるよな、やっぱ。
「そういうお前こそ、なんで雨露木メモを探してんだ?」
「大伯父からの手紙があったからだって言ったじゃない」
「そうじゃなくて。革命を起こすって言ってたじゃないか。雨露木征爾からの手紙はただのきっかけなんだろ? 本当はなにがしたいんだ」
少しの間があって、
「内緒」
「おいおい。俺も理由を話したんだ。ちゃんと教えろよ」
「じゃ、雨露木メモを見つけたら教えてあげる」
ふわりとした光が跳ねるような声色に思わず振り返った。
俺は初めて、雨宮るりかの、本当の笑顔を見た気がした。
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